奥井宗夫のむねのおく 2-18
「よみがえる総天然色の列車たち第2章18 路面電車篇<前篇>」のむねのおく(その1)
奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。
―「よみがえる総天然色の列車たち第2章」も18巻目、路面電車篇の前篇ですが、映像をご覧になっていかがですか?
奥井 とにかく疲れた…。
―何故に疲れたのでしょう。中身がつまらなかったとか……(笑)。
奥井 いやいや、撮ってからほとんど見てなかったでしょ。せやから、ああ、ここに行ったとか、ルートは大体わかっているけれど、何を撮ったかがちょっと記憶に残っとらんのね。
―はい。
奥井 そして広島みたいに何回か行ってると、2回目以降は覚えているけど、初めの時のはちょっと忘れかけてたのよね。
―それで疲れた、なんですか。
奥井 ええ、京都から始まって、西の方を全部見たら、そりゃ疲れますよ(笑)! だけど、面白いね(笑)。
―相当な分量の映像を凝縮して編集していますので。路面電車篇は2回に分けていますが、その中でも車両のやり取りがいろいろありまして……。
奥井 そうそう、ここの車両があっち行ってこっち行って、というのがあって。京都の時なんか、片っ端から来た車両を撮っていましたが、そうしてみると、初めて系統立てて解るのよね。
―引越しして原形で走っているのが広島の1900形で、廃止後も走っているものは京都市電では結局この1900形だけだとか……。
奥井 そうそう。
―この前篇は京都市電から始まっています。私自身は結構京都市電には乗っていて記憶にあるのですが、奥井さんから見て京都市電というのはいかがでしたか。
奥井 京都はね、まあ言うたら烏丸通りとかの、昔からの通りを上手に使っていたので、割と乗りやすかったですね。
―乗りやすかった?
奥井 はい、京都は乗りやすかった! 駅裏まで行っていなかったですからね。でも、ちゃんと通りを通っていたから。
―運転系統が複雑で乗客も多いというのもあるのですが、京都の話をするときは、電車の話もさることながら系統の話をしないといけない、と思いつつ編集しています。奥井さんは歩くのも趣味でおられるから、鉄道で行かれる時もそうですが、ある程度ここはどうだあそこはこうだと下調べされてから行かれるじゃないですか。
奥井 うんうん。
―ですので、今回もいろんなところで見所をしっかり押さえながら撮られておられるな、と思っています。
奥井 その(鹿児島の)石橋の話もしっかり聞いていたものですから、特に興味があったので(現地では)丁寧に撮りました。
―はい。そういう意味では、京都ではポイントを絞れなくて、撮りにくかったのでは……。
奥井 京都は、かなり回っているでしょ。
―ええ。それでどこを撮りに行こう、と決められたのかな、と…。
奥井 だいたい勘で……。どこの車庫があるのかは覚えていますから、この辺で撮ろうかと……。
―私が乗った時は外周線しか残っていなかったのですが、北大路まで乗って行くと、ここでは時間調整がありまして、渋滞で遅れたらいかんとかで、かなりの時間、停車しているんです。
奥井 そうでしょうね。ダンゴ運転というのは、お客さんが嫌いますからね。だから時間調整するのは仕方ないと思うわ。
―固まって電車が来たら……。
奥井 お客さんが多くなってしまって遅れるでしょ。
―そうですね。
奥井 そうするとすぐダンゴになってしまうからね。今のバスでもそうよね。
―時間調整しながら乗務員も交替するのですが、その時に運賃箱を置いていけないから、運賃箱ごと交替している(笑)。
奥井(笑)。
―他所でもやっているんでしょうけれど……。
奥井 ああいう裏事情が今ではなかなかわからないもんね(笑)。
―フィルムにはちゃんと撮られているので、そこから何が言えるかはこちらの仕事なんですが(笑)。
奥井 こっちは想像せなアカンかったけど(笑)。
―ということは、運賃箱をキャリアに縛ってゴロゴロ転がすという光景を他所ではご覧になられたことは。
奥井 いや、それはわからない。しかしあったら撮ってるよ。僕は。
―他所とはちょっと違うのかな、と思いまして。普通は車庫まで運賃箱を載せっぱなしで、乗務員だけ交替しているのかと。私もあまり運賃箱ごと交替しているのを見たことがありませんので。近年乗っていても、そういう場面に出くわしたことはないですね。
奥井 まあ、複雑な路線って減ってきましたからね、仕方ないでしょうね。
―かなり末期の映像なんですが、これを見ていると京都の車の多さがよく見て取れて、軌道にもバンバン入って来ています。そこのところは私としては言いたかったことだったんですが……。
奥井(笑)当然でしょうな。
―それまで認められていなかったものが、ある時期に車を軌道に入れていいという話になって、そのうち電車が居るから渋滞が起きるみたいな話になってしまって……。
奥井 交通渋滞になると当然、電車が居るから動かんと言うし、ま、(電車にとって)気の毒な面もあったんだな。
―京都では交差点でいろいろと集中的に撮られているのですね。
奥井 うん、引っかかるものは引っかかるので……(笑)。当然来る電車が多いから、ひとつの電車よりカットが稼げるし。結局、役に立ってるわね。
―そうですね。
奥井 当然信号員がおったり、いろんな事情もあるし、割と丁寧に撮ってるでしょ(笑)。
―西日本私鉄篇で京阪の四条のところが出てくるんですが、そこには路面電車が出てきませんから(笑)。
奥井 そうそう(笑)。
―実は、こっちに温存していたわけなんですが(笑)。しかし残念ながら四条河原町交差点の映像は出てこないのですね。
奥井 出てこないですね。ど真ん中を通っていたから(笑)。というのは、建物が高いと影が多くなるでしょ。だからある程度建物を避けながら、上手に歩いているわけです。お日さんが順光で、なるべく日の当たるとこ当たるとこを当然探しますから。
―ただ、京都の場合は撮影場所の特定をしている時に思ったのですが、(撮影当時と今では)かなり変わっていて、当時からの建物とかがなかなか見つかりませんでした。
奥井 あー、それもあるんですかね。
―他所の都市以上に……。
奥井 割と建物そのものは残っているでしょ。
―いやそれが、案外……。
奥井 残っていない?
―案外ダメですね、京都は。ダメっていうか、いい悪いじゃないですけれど、例えば壬生の車庫から上がって行くと、出世稲荷神社の鳥居が映っているのですが、この神社が移転していたり……。
奥井 ははあ、神社自体が……。
―それで前後の建物の中に何とか同じ旅行社を見つけて、やっと撮影場所が確定できたわけです。もう大変で、私だけじゃなくて監修の山邊先生に、まずある程度場所と特定していただき、私が編集しながらチェックしていく形で進めるのですが……。
奥井(苦笑)
―さすがよく見つけたなと思うこともあれば、時々裏付けの取れない所もある。「あれっ」と思いながら調べて……。
奥井 やっぱりそれだけ変わっているんだな。
―ええ。
奥井 それは計算に入れていない(笑)。
―まあ、そこまで計算に入れてとる人はいませんから(笑)。たとえば御所の辺りのように変わっていないところもあるのですが、逆に言えば、その街の変貌ぶりや自動車の変わりようが面白いところでもありますけれどね。
奥井 あの、レールを外したら車が当然よく走れるようになるので、混雑が減ったのには違いないけれど。
―その、走っている車そのものの面白さもありますしね。車ファンでない人でも、オーッと言うところがあると思います。
奥井 あると思うな。呉の市内で目抜き通りでも全然車が走っていないものね。
―昭和30年代のフィルムですから車の数が少ないのとはいえ、あの30年代の末に元々軌道内に車は入ってはいけないっていうものを、特例でOKにしていったんですね。
奥井 うん。
―ですから随分早い時期にそうなったのだなと思いつつも、大都市は大都市で相当その渋滞があった。まあ道も狭かったのでしょうね。
奥井 そう、狭かったですね。
―そこでその(廃止か存続かの)運命の分かれ道があった。でも広島は、DVDの中でも言っていますが、軌道内の通行禁止をバシッとしている訳です。映像を見ても電車の流れはスムーズですしね。
奥井 そうですね。
―そのあたり、京都と広島を対比していて全然違うなあ、というのがひとつあって、その辺りに電車だけではない面白さがあります。
奥井 広島にLRT入れたらどうなるかな。京都に入れたらいいか。
―京都市LRT構想も進みませんよね。河原町通か、四条通かにLRTをと言ってますが、まあそもそも市電をまくったことが政策の間違いですよね。
奥井 そうそうそう!
―確か、1980年代以降に、路面電車を建設した都市が、ある時点で世界中の80か所以上あったという話を聞いており、今はもっと増えているはずです。一回はなくなったロサンゼルスも復活した所で、都心では地下を走って、ちょっと周りでは地上に出て路面を走り、その先は郊外電車として高架を走っています。それでロングビーチへ行く線に乗ったことがあります。治安が悪いのか、停留所には警察官がいて……。
奥井 ほう!
―電車が来ると、「見ろ、Kawasakiの車両だぜ!」とか誇らしげに言われました。
奥井(笑)
―LRTやLRVが出てきて、路面電車がまた脚光を浴びて復活、最新化していくという時代がこの後に来るんですが、この「路面電車篇」はその前の時代、昭和40年代後半から50年代にかけてのフィルムを中心に編集しています。この中では、神戸市電や西鉄福岡市内線などの最後の様子が収録されていますが、神戸市電は最終日に撮りに行かれているんですよね。カレンダーで調べたら最終日(昭和46年3月13日)は土曜日でしたので、土曜日なら奥井さん、撮りに行けるんだろうなと思いまして……。
奥井 うんうん、そうです(笑)。
―名物が和田岬の、あの市電専用の鉄橋で……。
奥井 あれねえ、あれは何としても行きたいと(笑)。ところが帰るのはどう帰っていたんだろう(笑)、とにかく突っ走らなきゃと思って、行きました。
―まずはあれを撮りに行かれたのですね。
奥井 そうなんです。しかも仕事してから行くからね、向うに着いたのが遅かったんです。昼過ぎてたかな。それから半日撮って帰ってきました。
―今でこそ、何か廃止されるということになったら、沿道で普通の奥さんでも写メで撮っているようですが、この時の神戸では、一般の方がいっぱい見ているだけというのが面白いなあと思いました。
奥井 ただ見てるだけ(笑)!
―ホントに見てるだけですからねえ。奥井さんもその後ろ越しに撮られていたりして(笑)、意識して撮られているな、というのがわかります。神戸市民の私としてはなかなか感慨深いものがあります。
奥井 もうちょっと撮りたかったけれども、あれだけでもね。
―奥井さんは昭和30年代から撮っておられるわけですが、これほどハイペースで撮られるようになったきっかけというのは、何か……。
奥井 あのね、フィルムの値段がだんだん下がってきたのね。それで当然早くなってしまった。
―最初は蒸気機関車から?
奥井 そうですね。
―その次の路面電車を撮り出した、とお聞きしたんですが……。
奥井 そうなんですよ。それとね、蒸気機関車は完全に最盛期を過ぎていましたからね。ここら辺でも重連ばっかりで走っていたけれども、重連一回も撮っていないのよ。
―後ろに繋いでいる両数も、だんだん短くなってきた……。
奥井 そうなんそうなん。で、大抵ここ(松阪)からは姫路快速と名古屋快速があって、どちらも重連で引いていたものだったけど。昭和31年の六軒事故があってからは、どちらも短くなってしまった。
―客離れがあったんですか。
奥井 客離れもありましたね。近鉄も当然、力を入れてくるし。
―蒸気機関車がそういう時代になってやがてなくなっていくんですが、それと並行して集中的に路面電車を撮りに行かれた……。
奥井 というより、カラーフィルムだからカラーのある電車でないと面白くない(笑)。路面電車には広告電車もあるので、当然それを撮りに行くっていう格好になったんです。
―なるほど。他の私鉄篇と比べて、割と早い時期に路面電車を色々と撮られているのは、そういう訳があったのですね。
奥井 そうです。それでも、肝心の神都線(伊勢市内を走っていた三重交通の路面電車)があったんだけれど、フィルムを取られてしまった……(笑)。
―貸出したら、帰ってこなかった!? うーん、困りましたねえ(笑)。
奥井 まあ、幻のフィルムとなりましたね(笑)。
―その神都線が出てこないというのは……。観ているファンの方も期待されていると思うのですが、ここでお断りさせていただきます。神都線は出てきません。でも、昭和46年の神戸市電、この時代を中心にいろいろと撮られている……。
奥井 もうここまで来たら、全部撮ってしまえ―(笑)。
―阪堺電車にしても、当時は南海大阪軌道線ですが、丁度ワンマンになるというその準備と合わせて電車の方を撮られている……。
奥井 南海の時に出てきたのと、ぜんぜん違うでしょ。カラフルで。
―ええ、「西日本私鉄篇<後篇>」で阪堺線は一回取り上げているんですが、これは少し前の時代で、今回はちょうど「雲電車」が出てきた時ですね。
奥井 カメラを持たずに行った頃と比べて、どんどん変化するのね。だからこちらも、これはまた変わるぞっていう気持ちがある。あの、雲電車っていう名前も……。
―当時、雲電車っていう名前はなかった?
奥井 言わなかったよね、昔は。
―後から付けたんでしょうね。
奥井 後付けですね。
―今、少数ですが復活していまして……。
奥井 あるある。
―こんなにカラフルではないのですが。この色に意味があったというのを今回知りまして。
奥井 僕は初めて聞いた(笑)。
―編集しながら再確認していたのですが。
奥井 雲電車にそういう謂れがあるのは知らなかった。
―ええ、この柄もあの界隈も、ガラッと変わりましたからねえ。今や日本で一、二を争うあべのハルカスが間もなく全面開業しますのでえらいことになっていますが、駅前からの通り(阿倍野筋)も全く変わってきています。
奥井 (飲食店の表に保存されていた)2200の面は、まだ残っているのかな。
―あれは、もうないそうです。
奥井 ああ、そう。