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奥井宗夫のむねのおく 2-15

「よみがえる総天然色の列車たち第2章15近鉄篇3」のむねのおく(その2)

―この青山峠の映像は、DVDの中盤と終盤の2回に分けて登場させています。「近鉄篇Ⅲ」は青山峠と無くなりつつある車両を絡めた構成にしていまして、大阪線を支えてきた歴代の車両として2200系をメインに取り上げています。

奥井 実際、素晴らしい車でしたね。20メートル50センチあったんですからね、全長が。シートピッチがとてもゆったりしていて、転換クロスシートもあるし、固定クロスシートもある。また、ロングシートの車もある。だから、どこに(どのシートの車両に)乗ろうか、大阪へ行く時は楽しみでした。

―なるほど。編成によって固定クロスの車両が付いていたり、転換クロスのモ2227形が付いていたりして、先頭にはモニ2300形が……。

奥井 固定クロスと特別室があったんですから。

―特別室は最後まで残っていたんですか。

奥井 残っていました。ところがね、昔は大阪行きの場合、宇治山田からはお客を乗せていなかったの。中川までは扱いをしないで、中川からお客を乗せていた。だから松阪から乗りたくても乗れないので、中川でドアが開いたら後ろへ走って行って乗った。だけど、(宇治山田からは)大概ヤミ屋の人がその特別室に集中して荷物を置いていた。そういう所へ割り込んで乗りに行ったの。走っていったら「ボク乗りたいのか」と言うて、一席分場所を開けてくれた。

―ヤミ屋というと戦後すぐの話ですね、ヤミ屋が荷物を運んでいた頃の。

奥井 そう、だから特別に入れてもらったの。常時じゃなくってね。

―それは後ろの2両を締め切っていて、ヤミ屋さんだけ入れていたとか。

奥井 ではなくて、後ろ(の1両)だけ(ヤミ屋が)専用に入れるような話になっていた。だから、ホームのその場所に米俵を積み上げていたもの。一番後ろの荷物室のドアは使わせていなかったけれどね。(電車がつくと特別室の)ヤミ屋さん専用にどんどん荷物を積み込んでいた。

―荷物室があるので、当然大きな荷物の人たちがそこに集まっていたみたいなことですか。

奥井 そうじゃなくて、荷物室は近鉄が小荷物専用に使っていた。

―あー、そうか。単に(ヤミ屋さんが)担いでいた荷物を(特別室に)入れていただけなんですね。モニ2300形は山田寄りに連結されているが決まっているから……。

奥井 大阪行きの上り列車のね。

―そこを使っていたんですね。でも、中川からは一般のお客も乗れたんですね。

奥井 乗れるんです。だから、一般のお客は普通のクロスシートに乗っていた。

―需要に合わせて、後ろを締め切って(ヤミ屋さんの)荷物を載せていた。

奥井 いつも決まっていた。彼らは毎日乗っているから。

(編集注:同じような話は大阪側にもあり、鶴橋駅南側の市場で仕入れた鮮魚を持って帰る魚屋さんのために鮮魚持込み指定列車というのがあった。朝7~8時台に数列車指定されており、下り先頭車がその持込み指定車両になっていた。大阪線で指定された下り快速急行では、先頭車を上本町―鶴橋で締め切り、鶴橋で魚屋さんが仕入れた鮮魚を持ち込めるようにしていた。)

―最後の方の映像が中心になっているのですが、それでも奥井さんは、カメラをちゃんと荷物室・特別室のところに付けてパンしていて、セミコンパートメントになっている様子がよく判るんですね。

奥井 あの車の宇治山田側のコンパートメントはちょっと広いのよね。その次のはちょっと狭いのよ。そのあたりをちゃんと映したかった。だから、うしろ(宇治山田側)のコンパートメントはゆとりがあってね、真ん中に米俵を積んでいました。

―そのコンパートメントに乗ろうと思った時、急行になってからでも料金は……。

奥井 いや、料金は一切ないから。我々の記憶する限り、(特別室について料金がかかったのは)特急の2303だけです。

―2303というと、レクリエーションカーになったやつですね。編集をしていて2303の車両が映っていたので、これがレクリエーションカーになった車両かと思ったら、違いました。番号が入れ替わっているんですね。

(編集注:レクリエーションカーとなった2303の変遷は以下の通り。昭和24年9月特急に格上げレクリエーションカーに改造、昭和32年3月格下げ3扉化されて初代モ1420形1421に改造、昭和36年2月電装品をモト2720形に供給してサ1520形1521に改造、昭和46年11月廃車。2代目2303は、昭和32年3月に2300を改番。大軌・参急は車番を0番から付番していた。)モニ2300には特別な車両という思い入れはあるのですか。

奥井 ありました。車掌が車内巡回するとき、後ろのカギをかけて自慢げにハサミを鳴らしながら回っていくんです。

―後ろのカギ?

奥井 後部の運転台から荷物室を通って側廊下に出てきて、小荷物を預かっているからドアに鍵をかけて。それも、ハサミの握りの後ろをヤスリで削って、鍵をかけられるようにしてあるの。

―はぁー、現場の知恵ですね。

奥井 そして車内巡回に行くの。その時にカチカチカチッとハサミを鳴らしながらね。

―昔、駅でも(改札口で)やっていましたよね。駅員上がりの車掌さんですかね。駅でもカチカチやって、お客がいないときでもカチカチやっている(笑)。

奥井 車掌は今どこにおるかなって、位置までわかる(笑)。

―ちなみに(当時は)無人駅が多かったんですか。

奥井 無人駅があるというより、急行で途中駅には停まらなかったんですよ。だから、車掌さんは悠々と先頭まで行って帰ってこられるわけです。今の急行は結構停まるけれど、昔は(中川を出ると)伊賀神戸までノンストップだったから。端まで行っても十分ゆとりがあったと思いますよ。

―ノンストップといいながら(単線区間なので)運転停車は結構していたんでしょうね。特急を待避したり列車交換をしたり。

奥井 単線だったので、常時……。

―交換ですね。

奥井 ところが、同時に熱気がね。

―?

奥井 抵抗器からの熱気が、うわぁーって来るんですよ。電気抵抗で(スピードを)落としているもんですから、そら物凄いものでしたよ、熱気は。停まった途端に熱気がうわぁーって回って来る!(笑)

―そうかそうか、昔の電車ってそうでしたよね。窓も開いているし!(笑)

奥井 ましてや2200(の熱気)は素晴らしいものでしたよ(笑)。

―ものすごく発熱している訳ですからね。

奥井 普通の電車なら抵抗器は左右2列でしょ。ところが近鉄の2200は、真ん中にもう1列あるの。

―それだけ増強している訳ですか、勾配対策で。

奥井 ですからね、発熱量が素晴らしいの!!(笑)

―当時の2200は、三菱電機の自慢の作品でしょ。相当手をかけたらしいですね。

奥井 最初はようけ故障したらしいですね。だんだん良うなってきたんでしょうけれど。

―とはいうものの、まだ未確立なところもあったんでしょうね。導入実績は作らなけりゃいけないということで。

奥井 だから、電車はかなり重たかったんと違う? 公式には50トンとか言っているけれど、実際には60トン近くあったんじゃないかしら。

―60トンということは、軸重15トンにもなりますよね。

奥井 だからとんでもない数字やと思うんですよ。

―昔の蒸気機関車並ですよ。新幹線でも0系で19トンですから。後になれば軽くなるので。

奥井 今の新幹線は、軽い軽い!(笑)

―(2200は)いかつい格好ですが、撮影されたころにはアンチクライマーは見えなかったですね。

奥井 アンチクライマーは、もう終わっていましたね。

―なるほど、2200にはもうなかったんですね。3扉化とかの改造の段階で取っている。逆に6331とかには、最後まで残っている。それにしても2200とか大軌のモ1400とかは、戦前のいかにもという車体で、しかも大型でカッコいい車両です。2200でも、2227形からは、ちょっとシュッとした格好ですね。

奥井 そうですね、(2227形は)ちょっと腰が高かったですね。

―2227形から狭軌用に改造できるようにとの前提があったんですね。

奥井 はい。

―詳しくは知らなかったんですが、狭軌用モータにしようとすると床下の空間が必要で、高くなったと。

奥井 そうなんです。

(編集注:2200と同じ出力のモータを狭軌用で設計すると幅が狭くなる分、回転子の巻き数が多くなってモータの直径が大きくなり、その分床の高さも高くなった。)

―でも、張り上げ屋根ですがシルとヘッダーがしっかりついている、きれいな車体ですね。

奥井 はい。それとお召用の2600がありましたからね。あれが明星の車庫に1両だけ眠っていた時に、のぞきに行きました。あれはよかったですよ。素晴らしかった。

―車内は普通車に改造されたとはいえ、大きな窓はそのままでしたからね。

奥井 中はね、全然見られなかったんですけれどね。いっぺん明星車庫まで行って、見せてほしいと交渉していたら、その間に上り列車となって行ってしまって、仕方なしに上から見ていたことがあってね(笑)。

―2600は、お召としての使用実績はあったんですか。

奥井 宮様が一回乗られていて、天皇陛下は乗られていないと思います。あの時は宇治山田から橿原神宮へ参って、その時に使われたと思います。

(編集注:昭和24年4月に正仁親王(常陸宮)がご乗車された記録がある。特急に増結して運転された。)

―じゃ、ある程度見込みで造られた、ということですか。

奥井 紀元2600年という記念で造ったものですからね。

―当時は、造っておかないといけない、いつ用命がっても使用できるよう、用意をしておかないといけない、というものだったんですね。

奥井 そうなんです。

―そこが新京阪のフキ500と違うところなんですね。あれは乗るから、と言われて造っていますからね。こちらは案外、出番がないままに用意されていて、戦後に早く一般形に格下げされたわけですね。

奥井 早くもないけど、まあ、車両不足の時に貴重なもんやったと思いますね。

(編集注:2600は、2250系登場に備えて昭和27年12月に貴賓車から特急車に改造、昭和36年1月に一般車に格下げ、昭和38年12月に3扉化、昭和49年3月に廃車された。)

―中を見てみたかったですね。

奥井 うん、僕も見たかった。

―鉄道博物館で(御料車を)のぞいてみたことはありますが、(2600の車内は)ちょっと想像がつかないですね。

奥井 僕らは図面を貰うているから、あーいい車だったんだなと思って。

(編集注:2600の車内は、昭和27年12月貴賓車から特急車に改造された際、トイレや随行員控室等を撤去してオールクロスシート化、昭和36年1月に一般車格下げにセミクロスシート化、昭和45年6月にロングシート化されている。)

奥井 みんな2600の模型を作ると、屋根上に大きなベンチレーターが3つあったことを知らないんです。

―このDVDを見て、3扉化後の2600を作るという人が出てくるかもしれませんよ。前、何でしたっけ、模型を作ったという人がいたという話がありましたね。

奥井 別府鉄道ですか(笑)。

―そうでした(笑)。

奥井 だから、安達製作所が2600を作った時も、ベンチレーターが違ったままだったんです。本来の2600のベンチレーターではなかった。

―確かに人目を引く外観ではありますね、3扉化されたとはいえ窓が大きくて特別な車両で1両しかないですし。まあ、そういう意味では結構混結して走ってくる映像を見ていますと、いろんな車両がつながっているのをじっくり見れば見るほど、スルメみたいに味が出てくるように思います。そうすると、さらにシュッとした外観でシル・ヘッダーが無くなった2250は、特急車として一世を風靡した車両なんですが、急行用になってからでも、なんか格が違うのかなと思えるんですが。

奥井 格が違ってたんですよ(笑)。しかし、割に乗る機会はなかったね、2600は。

―1両しかないとそうですね。

奥井 いつもね、松阪駅に(急行が)入ってくるのを遠目に見てるんです。今日は旧型で行くかな、新型で行くかな、ていうのをまず考える。それで自分が乗る車両のドアの位置を決めるんよ。M車とT車では、全然乗り心地が違ったんです。T車の3000は、横揺れがひどいのね。

―(T車の方がいいのかと思ったら)逆にT車の方が悪いんですか。

奥井 両側とも大型モータのM車だから……。

―両側から押し合いになるからですか!?

奥井 だから、T車にはなるべく乗らない。できたら電動車に乗りたい。

―それ、初めて聞きましたね! T車の方が乗り心地が悪い!

奥井 T車は全部中間車ですよ。ク(3100)もあるけれど(先頭には)つながないんですよ。大阪線では両端に電動車を持ってきてたんですよ、乗務員が。

―運転がしやすいから?

奥井 そうなんですよ。乗り心地が違うんでしょう(笑)。

―あ、自分の乗り心地が悪いから?(笑)

奥井 僕はそう思てます。

―その説は案外当たっているかも(笑)。

奥井 それとコントローラーの加減がわかるから。だから、先頭は必ずM車が来ていました。例外的に団体とかの貸し切り列車の時にしか、T車が先頭には付きませんでした。

―そういう使い方をしていたんですね。運用の都合もあったのかもしれませんが。

奥井 2250系で、3020から改造されて3120が出てきて初めてT車が頭に来るぐらいでしたね。

―編成が長くなってきた時には、(T車を先頭にする)そういう使い方をしてなかったんですね。

奥井 そうですね。

(編集注:もともとク3100形、ク3110形は、ローカル運用時にMMだけでなくMTでも組んで、出来るだけ経済的にも運用できるような目的で製造された。また、2250系は登場時、MTMないしMTTMが基本編成であった。昭和34年、名古屋線が改軌されて名阪特急が直通するようになった時に、伊勢中川―宇治山田の短区間特急の設定が必要になり、サ3020形を改造してク3120形登場させて、初めてMT編成を組むようになった。)

―お話を聞いていると、いろいろと見えてくるものがありますね。

奥井 車両を見たら、解るんですね(笑)。だから、意外と前も後ろもM車で固めているんですよ。乗り心地が関係していると思うんです。また、(台車の)揺れ枕の(バネの)数を変えたこともあると思うんです。

―先日、塩浜に行ったときに、久しぶりに内部線に乗ったんですが、先ほどのお話じゃないですが、やっぱりどこに乗ろうか、と(笑)。結局、数少なくなった吊掛けの音が聞きたいという、(乗り心地で選ぶという話とは)違う意味で電動車に乗ったんです。トレーラーに乗っても面白くないので(笑)。

奥井 まあ、吊掛けの音は、良かったですね。

―良かったですよねぇ!

奥井 まして(2200などは)馬力が大きくて、その馬力をフルに使って走っていますからね。だけど、やっぱり2200(を収録した「近鉄篇Ⅲ)は2200だけでいっぱいになるか!

―それだけ、撮ってはりますからね。例えば、この後2250がどうなったのかとか、1400がどうなったのかとか、編集した結果、本作品に入りませんでしたから。本当は2200などを紹介していくこの流れで、晩年の鮮魚や荷電も紹介したかったんですが、次の巻に後回しになってしまいました。

奥井 まあ、奈良線ではそんなに撮ってないから。とはいうても、かなりあるかな。

―次の「近鉄篇Ⅳ」では、奈良線系統の800から旧奈良電の車両とか、ミニスナックカーに至るまでの京都線・橿原線特急の映像とか、旧奈良電車両を改造した680系などが続々登場してきます。また、680が志摩線に行くんですよね。この辺の映像も出てきますので、お楽しみにしていただければと思います。

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