奥井宗夫のむねのおく 2-18
「よみがえる総天然色の列車たち第2章18 路面電車篇<前篇>」のむねのおく(その3)
―広島の話に戻りますが、割と早くに広告電車を走らせていたんですね。今みたいにラッピングじゃないですから塗料で描いていっているはずですが、ありとあらゆるやつが来て、それを片っ端から撮られている。編集の際、台本には登場する車両の形式などを書いていくのですが、ここではその代わりに広告の施主名を書いています(笑)。しかも、メジャーなものが少ないんですよね。
奥井 そうそう、それは言える(笑)。それもまた、直に塗り替えちゃうんです。
―費用も結構高いはずなので、そんなに長期間、掲載できなかったのでしょうけれども、それにしても「イエローチェーン」とか、「進物の大進」とか、「UCC」が挟まって、「記念品のカキタ」などが出てくるんですよね(笑)。
奥井(笑)
―ローカルなスポンサーさんで、デザインなんか誰が考えるのでょう、電鉄の方で考えるのでしょうか。
奥井 やるんでしょう。土電なんかでも、面白かったですよ(笑)。今回出てこなかったけれど。
―いつもよりは時間を長い目に編集していますが、それでも1巻には入りきりませんので、土電は後編に登場します。撮影の時期としては、やっと京都から広島に1900形が入り始めたころですね。
奥井 ええ。
―ポツポツですよね。後編で伊予鉄に京都からの2000形が出てくるんですが、あっちは色が変わって走っています。
奥井 見たらわかりますよね。
―そうなんです、京都市電もそうですし、神戸市電が廃止されてこっちで走っているとか。大阪市電については、今回の作品は、残念ながら撮影のタイミングで言うと廃止(昭和44年3月31日)には間に合っていなくて、その後の広島でのフィルムだけなのですが……。
奥井 今も残っていますからね。
―今はクーラーが載ったりとか、形がだいぶ変わっていますが、ここではオリジナルの形で見られます。
奥井 なんか、大阪の市電を撮りに行くより、大阪の周りの私鉄に行ったね、あの時は。それだけのひまがあった。
―なるほど。
奥井 まだ、南海も押さえてなかったもの(笑)。
―まだ山陽電車が兵庫の駅前から併用軌道で走っていた頃ですよね。あの頃、神戸の市電を撮らずに山陽電車を撮っている……。
奥井 そうそう。あれももっと撮りたかったね。
―ロクサン形が走っているのを見たかったですね。
奥井 亀井一男さんていう名物の人がいたから、もっと行きたかった。
―他に登場するのが、大分の別大線ですが……。
奥井 あれ、連接はなかったんだわ。連結はあって連接はなかった。
―連結でしたね、連接じゃなかった。
奥井 連接があったと思ったけど、なかった。
―海岸沿いに温泉もあってホテルもあったところを、もうもうと砂埃をたてながら連結車が走っていて。
奥井 あそこはね、団体旅行で行ってね、朝食を摂らずに撮影して。それで、集合時間ぎりぎりに戻って。しかもそのあと、直方で団体から離れて撮影して、そのあとタクシーで走ったんだよ、空港まで(笑)。
―別大線を撮られた後、直方で筑豊電鉄に行かれた?
奥井 いやいや、直方の駅で蒸気機関車を撮ってきた。
―ああ、そうですか、蒸気機関車篇(続刊予定)で出てくる分ですね。
奥井 そしたら、戻ってきたら顔が真っ黒になっていた、煤煙で……。
―団体旅行で行ったのに、一人だけ顔が真っ黒になっていた(笑)。どこに行ってたんやって。
奥井 顔、洗ってこいって(笑)。
―まるでむさぼるように、行く先々でシャッターチャンスはないかとカメラを持ち歩いて。ちょっとでも時間があったら、「ワシ行って来るわ!」(笑)。
奥井 そうなんです(笑)。
―なるほど、その成果の積み重ねという訳ですね。
奥井 そういうことです(笑)。
―もちろん狙って撮りに行ったものが中心なんですけれど、それ以外に時々出てくる短いフィルムというのは、そういう風にして撮り集められたということですか。ワンカットだけ出てくるものがあるのもそういうことなんですね。
奥井 そうなんです(笑)。
―九州の路面電車では、今も公営では熊本と鹿児島が健在で……。
奥井 残っています。
―民営では長崎も元気なんですが、この当時の熊本、鹿児島っていうのは……。
奥井 熊本は、もう近代化したっていうような感じでしたね。
―丁度いろんな支線が無くなった後で、現在の路線と同じになった頃なんですね。
奥井 そうなんです。確か、車体の色で区別することぐらいでしか、撮り様がなかったもんでね。ただ、面白かったのは、取引のある東海銀行に新入社員が入ってきてね、あいさつしに来たので出身地を聞いたら熊本だって答えるから、「健軍か」って言ったらびっくりしていたね(笑)。
―「何でその地名を知っているんですかぁ」って(笑)。
奥井 そうそう。いきなり言ったら、もろに当たってね(笑)。
―鉄道ファンなら健軍ですか、ハイハイっていうのでしょうけれど、そんなに知名度のある地名とは……。
奥井 思っていない。「へぇ!」って。
―この時は車庫が交通局の所にあったんですね。上熊本駅の周辺はもう全然様子が変わっていて、新幹線なんかが出来たりして、さらに変わっていますが。この時の熊本が今と近いようで違う、この時代を見る鏡と言いますか……。
奥井 あそこにあった電気機関車、いや電動貨車か、あれが半分しか映っていなかって、残念やった。場所が悪かった(笑)。
―鹿児島の方は、今は亡き路線が2路線、どちらも入っていて、鹿児島市電の全ての路線が写されています。乗ったことのない路線が出てきて、びっくりしました。しかも上町線清水町行の系統は、郡元から西鹿児島駅を通って今は鹿児島駅に行っている系統で、当時は鹿児島駅ではなく清水町に行っていたんですね。
奥井 街の方に連接が入っていてね、それだけ学生が動いとったんやなあ。車庫の方に行っても連接が居らん。そりゃえらいこっちゃと思って聞いたら、「あっちに行ってる向うへ行け」って(笑)。それで泡食って。
―あ、連接を追いかけまわして撮ったんですか。
奥井 そうなんです。鹿児島に行ったら、なんとしても連接を撮らなあかんっていう気はしとったもんだから。連接を追いかけて、橋(甲突川の五石橋)を追いかけて。そうやって、あれだけ撮れたんですよ。
―連接の700形は、大阪市電の車両の運転台をカットして連接にしたものと、車体をそっくり新造したものとあるんですね。区別がつかないんですが、新たにデザインせずにコピーしたというのが、面白いですね。
(編集注:700形は、701と703が大阪市電3001形を改造、702と704が台車や電装品は大阪市電から流用して車体を新造した。中間台車のみ、全車新造している。側面窓の形状に一部差がある程度で、ほぼ同一の車体である)
―連接を撮りに行きながら、橋も初めから撮りに行くつもりで……。
奥井 はい、橋は全部撮りたかったもんだから。撮っておかないかんと思っていったら、のちに水害(平成5年8月6日の鹿児島大水害)でやられてしもた。
―そうでしたか。
奥井 JRのとこ(「国鉄ディーゼル篇<中篇>」でも出てきたように……。
―鹿児島本線のところですね。えーと、西田橋。
奥井 はい。
―市内の中心部を流れている甲突川ですが、当然路面電車は近くを走っていて、しかも伊敷線は平行して通っていたので、からめながら紹介しています。鉄道であれ橋であれ、人が使って生きている古いものを見るのは、いいもんだなっと思っています。
奥井 うん、そうですね。みんなぞろぞろ歩いているんだもの、橋の上を。
―車が渋滞していますからね、あの橋の上で。それだけ堅牢だったということですが、考えてみれば、残った橋も後に全部使われなくなったという事で、これだけでも貴重で面白く、電車以外のことでも勉強させていただいた作品でした。