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奥井宗夫のむねのおく 2-19

よみがえる総天然色の列車たち第2章19 路面電車篇<後篇>」のむねのおく(その4)

伊予鉄道は、逆に今とあんまり変わらない感じですね。

奥井 変わらないですね。

―車両も一緒だし。ただ、京都市電から来た2000形が塗り替え(改造)前で、まだ車庫の片隅に並んで待機していて……。

奥井 なるほど。

―そんな時代ですが、先ほどお好きだといわれていた松山の、印象としてはいかがでしたか。

奥井 あの当時は、広告電車が多かったですよ。今はもう、単純になりましたけどね。だから、ちょっとは気にしていましたね。それと、鉄道とのクロスがありますし。

―そうですよね。

奥井 鉄道線には、まだ古いモハ100形が残っていましたからね。

―ローカル私鉄・西日本篇と分けて収録しています。同じ会社内での軌道線と鉄道線の平面交差があって、西鉄の薬院と同じような感じで、今残っているのはここだけです。

奥井 ええ。だから行きたいんです(笑)。

―最後に長崎ですが、ここは今も元気に走っているところです。

奥井 大方残っていますね。車両としてね。

―ええ、そうなんです。

奥井 新しいのは特に何も入らないし。

―いや、長崎は、新しい車両は結構入っています。

奥井 そうですか。

―逆に古い車両は、保存用の車両ものしかないのかな。

奥井 そうなっているんですか。

(編集注:映像にも登場する長崎電気鉄道生え抜きの201・202・211・300・360・370・500形が健在で、この後に他都市の車両機器を流用した1200・1300・1500・1700・1800形と、低床車両の3000・5000形が製造されている)

―ええ、都電の古いもの(2000形→700形)が行ったりするんですが、(映像は)新しい車両が登場する前の時代ですよね、撮影当時は。

奥井 ええ。あの後で、もう1回行ってることは行ってるんですが、駅前の高架だけでどこにも行かずに来る車両だけ撮っていましたから、役に立ちませんわ、あのフィルムは。

―あのう、今も動態保存か、静態保存かな、九州電気軌道の1形、西鉄発祥当時の車両(160形162・168)が車庫に普通にいてて。この時は走っていなかったんですかね。

奥井 あのね、走っていたと思うんですよ、あれ。ただ、僕が行ったときはもう、時間がなかったから、よう撮らなかった。

―朝のラッシュ時(に運行)のパターンですかね。走っているのは。

奥井 と、思いましたよ、あれ。ごくごく当たり前に、側線に待っていましたからね。

―(車庫の)奥に引っ込んでいる感じではなかった、ということですね。

奥井 直に動いていくような感じでしたね。

―鹿児島の時もそうだったんですが、奥井さん、石の橋に異様に執着がおありのようで、大変関心が深い。

奥井 そうですよね、この辺に石橋ていうのが全然ないから、余計執着があったんでしょうね。それでつい、鹿児島でも撮って。しかし、今となっては貴重な映像ですよね。

―中島川にいくつも架かっているのを片っ端から撮っておられて、これらもほとんど水害(昭和57年長崎大水害)で流されたんですよね。こちらは復元されましたけれど。

(編集注:鹿児島の石橋は、残ったものを移築して保存された)

奥井 別の場所でしょ。

―いや、同じ場所に集めて戻したみたいです。

奥井 へえ。

―長崎は同じ場所に戻しましたが、どっちの水害に遭ったという……。前の時(鹿児島)もそうでしたが、やっぱりしっかり撮ってらっしゃるなあ、と思いまして。

―余談ですけれど、大浦天主堂の横の脇道、8ミリ映画のドラマを撮りに行ったときに、現場で見つけてここで撮った思い出がありまして。その思い出の場所をしっかり撮られておられて。さすが奥井さん、なんかいいなあ、と思いました(笑)。ただ撮るだけじゃないよなあ、って(笑)。

奥井 それはそうですね(笑)。

―やっぱり、いい場所で撮っておられるしね。電車もねえ。奥井 それは、やっぱり考えて考えて、考え抜いて撮っていますから(笑)。

―蛍茶屋あたりも、だいぶ感じが変わっていますからね。

奥井 ええ。

―僕はこのシリーズを作っていて、楽しくて楽しくて仕方がないです。

奥井 皆さんがどのように理解してくださっているのか、わかりませんけれどね。

―路面電車篇、非常に楽しい作品だったと思います。いい映像を、僕としては、伝えることが出来たらいいなと思っています。撮影、お疲れ様でした。また、蒸気機関車篇が続きますので、楽しみにしていただけたら、と思います。

奥井 ありがとうございます。

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