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深読み!近鉄プロファイル第2章(その1)

近鉄プロファイル第2章(その1)

第2章では、大阪から伊勢志摩へと走る大阪線・山田線・鳥羽線・志摩線、忍者のふるさと伊賀地方を走る伊賀鉄道を取り上げています。

その中で、いくつか興味のあるところをご紹介しましょう。

大阪線のうち、布施ー桜井間は大阪電気軌道によって建設されたことはDVDで述べられている通りです。八木ー桜井間が開通するまでは、架線電圧は600Vだったわけですが、この時代の大阪線にはどんな電車が走っていたのでしょうか?

大阪線用の車両であるデボ1000形が登場するのは1929年のこと。それまではデボ1形から始まる奈良線・畝傍線(現、橿原線)で走っていた車両が共通運用で走っていました。

デボ1000形が登場したこの年、高安に車庫と工場が設けられました。同時に奈良線の小阪にあった工場が廃止になり、奈良線・畝傍線の車両も高安工場で整備することになりました。でも、布施ー高安間は1929年に架線電圧が1500Vに昇圧されました。それからはどうしていたのでしょうか?

実は、デボ1000形は架線電圧が600Vでも1500Vでもどちらでも走れる複電圧車両として製造されており、奈良線の600V車両が高安工場で整備される時は、このデボ1000形に牽引されて小阪車庫との間を行き来していたのです。これは1952年に奈良線用の玉川工場(八戸ノ里―若江岩田間にあった)ができるまで続けられました。

河内山本の5番線は、1961年に橋上駅舎化された際、輸送力が伸びてくる大阪線の運用に支障をきたさないように設けられました。しかし、デイタイムには乗り換えの便を考慮して、1番線から信貴山口行きが発着することもあります。

信貴線ですが、戦後1948年から1957年まで「東高安線」に線名が変更されていました。もちろん、信貴山口も「東高安」に変更されていました。西信貴鋼索線(復活当初は信貴鋼索線、第1章で紹介した信貴生駒電鉄を合併した1964年に、現線名に変更)の営業再開とともに元の線名に戻されています。

DVDでは西信貴鋼索線のコ7形の前に据えられて使用されているコニ7形ですが、いつも使用されている訳ではありません。使用されていない時は、信貴山口の鋼索線ホームの片隅に引き上げられて、その小さな体を休めています。

信貴山急行電鉄(1936年、信貴山電鉄から社名変更)は、鋼索線で山上の方へ登り、それから鉄道線で移動するという珍しい形態をとっていました。鋼索線と山上鉄道線の接続駅であった高安山には、現在の改札口の前に山上鉄道線の2面2線のホームがあり、小さな信貴山車庫が併設されていました。

五位堂は、近隣の大和高田駅高架化(待避線撤去)に伴い1963年に待避線が作られましたが、当時は準急と普通がとまる小さな駅でした。1982年に五位堂検修車庫が出来、さらに近くに真美ケ丘ニュータウンの開発が進められて、今日のような10両編成の列車が停車する、快速急行停車駅になったのです。1936年、信貴山電鉄から社名変更)は、鋼索線で山上の方へ登り、それから鉄道線で移動するという珍しい形態をとっていました。鋼索線と山上鉄道線の接続駅であった高安山には、現在の改札口の前に山上鉄道線の2面2線のホームがあり、小さな信貴山車庫が併設されていました。

大和八木は、桜井まで開通した時に畝傍線と交差する乗り換え駅になりましたが、大阪線のホームは当初、相対式ホーム2面2線でした。1967年、新ノ口連絡線の完成とともに島式ホーム2面4線に改良され、現在のような形になりました。 大和朝倉駅に待避設備ができたのが1996年のことですから、大和八木駅改良以前は五位堂-榛原間23.0kmもの区間で待避ができなかったことになります。

さて、大阪線の東半分、桜井ー参急中川(現、伊勢中川)間は参宮急行電鉄の手によって建設されました。このうち、名張ー伊勢中川間は単線でした。この区間の複線化は1960年から順次始められ、新青山トンネルの貫通を以って、1975年、完成しました。

参宮急行電鉄が建設したのは大阪線の東半分と山田線ですが、この桜井ー宇治山田間の免許を取得したのは、なんと第1章で紹介された田原本線の前身である大和鉄道でした。桜井ー名張間は、大阪電気軌道・大阪鉄道・大和鉄道他数社との兢願となりましたが、大和鉄道が免許を取得しました。大和鉄道に免許が交付されたと見るや大阪電気軌道は方針を変換、同鉄道を傘下に治めて名張ー宇治山田間の免許も取得、この免許を参宮急行電鉄に譲渡します。参急は路線の規格を自社のものに合わせて変更して、宇治山田までの路線を建設しました。

大和朝倉を過ぎると大阪線は勾配区間に入って行きます。山深いところや谷間の田畑が見下ろせるところがあったりして、車窓の楽しい区間でもあるのですが、空撮映像を見ると初瀬街道が走る谷の南側斜面を切り開き、盛土を築いて、線路が伸びているのがよく分かります。ブルーレイ版のメニュー画面では本編未使用部分の空撮映像を見ることができるそうです。

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