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奥井宗夫のむねのおく 2-16

「よみがえる総天然色の列車たち第2章16近鉄篇4」のむねのおく

奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴

三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。

―「よみがえる総天然色の列車たち第2章」も16巻目、「近鉄篇4」です。ご覧になって、いかがでしたか。

奥井 おもしろかったです。ただ、自分で撮ってはいたけれど、ほぼ忘れているもん(笑)。

―そんなことはないでしょう(笑)。あの、仮に忘れているとして(笑)、どんな所が面白かったのでしょうか。

奥井 やっぱり、800系の前後やね。800、820、900もやけど、記憶にないもの、はっきり言うて。せやから(映像を見て)ああ、あれはそうやったという風に思い出してくる。

―近鉄沿線の松阪にお住まいの奥井さんと言えども、奈良線とか橿原線とか京都線辺りはアウェイですか。

奥井 はい、そうです。行きたくても行けないしね。それと、肝心の貨物列車の重連が出て来なんだなあ。

―そういえばなかったですね。

奥井 あとの方で撮影したビデオテープかもしれんね。でも、あれだけ撮れていたら、我慢ができると思いますけどね(笑)。

―800系と言ったらセミモノコック構造のきれいな車体で、改めて見て美しいと思うのですが。

奥井 そうですね。800も820も全部伊賀線(860系と880系)まで行ったでしょう。ああ、これはビデオテープの方で撮ってあるのか。

―伊賀線はフィルムの方ではもっと前の時代、5000系の頃までですね。(註:「よみがえる総天然色の列車たち第2章14近鉄篇2」に収録)

奥井 はい。

―京都線や橿原線で面白いと思うのは、奈良電出身の車両たちが活躍している所だと思うのですが。

奥井 あっち(京都線、橿原線方面)へ行くと、番号(形式)が出てこないのよね(笑)。

―680系というのが活躍しているのですが、ほかの近鉄特急車とは違う感じ(奈良電車両を改造した特急車)がしています。

奥井 あれにはよく乗りました。

―大和八木駅の(橿原線)ホームで680系が入ってくるところですが、ホームで待ってらっしゃるのは、実はのちに奥井さんの奥さんになられる方の映像なんですね。

奥井 はい、そうです(笑)。丁度、デートに行く途中で……。

―彼女を撮るのではなくて、しっかり電車の方を撮っておられたと(笑)。

奥井 しっかり電車を撮っていますから(笑)。

―遊び心と言いますか、奥さんになられる彼女を入れて、きっちりと風景を撮っておられる。

奥井 そうなんです(笑)。あそこに行くまで、旧ビス(10000系)、いや朝から出かけたから普通のビスタ(10100系)やな、に乗ってますね。しかし、旧ビスにはよく乗ったんですよ、デートの時に。時間を合わせてね。

―どうせ出かけるのなら、旧ビスに乗って、ですかね。

奥井 上着を脱げるようにしていけば(階上席が)少々暑くても大丈夫だし、しかも車掌も回ってこないし、ホント、いい列車でしたよ(笑)。

―車掌が回ってこない、というのはある意味邪魔が入らない(笑)のですね。そんないろんな思い出もある10000系や680系もそうですが、18000系はどうでしたか。

奥井 あれもよく乗りましたね。京都―奈良というのは、神社もそうですが仏像関係も好きなので、つい乗る機会が多かったですね。それに比べると、吉野線は乗ってないわ。

―この撮影の時ぐらいですか。

奥井 そうやね。それ以外ではほとんど乗っていない。吉野水分神社あたりには行ったことがあるけれど、下から強引に登って行ってますからね。

―しかし、時代的には(撮影された時の)南大阪線・吉野線というのは、面白い頃だったと思いますが。

奥井 そう、面白い時代でしたね。

―なにしろ、養老線と並んで貨物輸送をしていた、丁度最後の頃の吉野線ですものね。

奥井 ええ、撮れましたからね。あれはよかったです。

―あのデ51形という電気機関車は如何ですか、奥井さんとしては。

奥井 前は好きでしたね。そうだなあ、僕が好きなのはデ25あたりの凸型だったんだけども、その次にデ51は好きでしたね。そのあとのデ35というのは、以前(凸型ボンネットの)中央に通路があったんですが、そのあたりを直していますからね。そこら辺は、うまいこと理解できなかった。

―デ35というのは、名張検車区で動いていた電機ですね。あれは既に形が変わった後、ということですか。

奥井 そうです。中央通路と言って、立山の電気機関車(富山地方鉄道デキ6500形やデキ8100形)と一緒で、中央に通路があってその両側にボンネットの箱がある形やったんです。で、一回は撮りに行ったんです、重たい録音機を持って。そしたら助役が、せっかく来てもらっているのに悪いのですが機器類(電装品)をみんな国産のものに変えてしまったんですよ、って。

―なるほど。本来はスイスのブラウンボベリー社製でしたものね。

奥井 それと、近鉄の変電所は、輸入品と国産品、方式が違うものを全部そろえたらしいです。その中で調子の悪いものを排除していって、標準的なものに揃えたのと違いますか。

―そういうことをしていたのですか。

奥井 はい。舶来品と国産品を同時に揃えて使ったって言ってましたからね。松電の変電所はGEだってことは判ってるんですが(笑)。

―ああ、ゼネラル・エレクトリックですね(笑)。ところで、吉野線を冬の寒い景色の時に撮りに行かれていますね。

奥井 あの時は国鉄和歌山線の奥まで撮りに行こうと思うて、大和高田でバスに乗り換えたんです。ふとバスを見ると、前後のタイヤにチェーンが巻いてある。こんなんで走っていけるのかいな、と思ってバスに乗って御所まで来たんです。

―国鉄和歌山線の蒸機と近鉄とを掛け持ちで撮影に行かれたのですか。

奥井 そうです。そしたら、雹にやられて、車が玉突き状態でバスが走れんようになって。仕方ないから運転手も、ここで下りて国鉄に乗り換えてください、て言うて、みんな乗り換えたんです。(列車を待っている)その間に近鉄をちょっとと撮ってきたんです。

―御所で途中下車したので、それで御所線のショットが入っている訳ですか。

奥井 それで結局和歌山線には乗ったんですけどね、もう吉野口で下りちゃいまして。吉野口から吉野線を撮りに行ったんです。

―なるほど。

奥井 その短区間がちょっともたついてしまって。北宇智あたりまで撮りに行くつもりにしてたんですけどね、計画が狂ってしまったんです。

―あの辺は和歌山線の白眉ですからね。このあたりの映像は、また「蒸気機関車篇」で出てきたりして。「ディーゼル篇」でも出てきた映像があるんですけども、その辺はまたのお楽しみということで。話は前後しますけれど、田原本線とか生駒線とかもしっかり撮っておられるのですが。

奥井 一応、全部撮っておかなければ仕方がないと。まだあの頃はそんなにお寺に興味はなかったんですけど、千光寺とかいう有名なお寺があるんですがまだよう入らずに、電車だけで精一杯でした。山もまだ登っていましたからね、役行者関係のお寺などぼちぼち回ってますけど。

―「近鉄篇」としては、廃線となった線がいくつかあるんですけれど、「近鉄篇Ⅳ」では東信貴鋼索線がそのうちのひとつとして登場しています。

奥井 うまいこと映っていて、よかったです。

―乗車されずに撮影だけで。

奥井 あの時は上まで行きませんでしたね。もう、下だけで精一杯でした。

―別の時には乗られたのですか。

奥井 ええ、乗ってます。

―台本にも書いているのですが、ケーブルカーなのにロングシートがあったと。

奥井 あの、勾配が緩かったですからね。だから十分にさばけたと思います。

―勾配が緩いからロングシートでいいや、と。構造も(階段状の)平床で簡単ですから。

奥井 デートでも使ったことがありますよ(笑)。すべて電車に関係するところしか行きませんから(笑)。

―(笑)それであれですね、配達だと称して後ろの段ボール箱にカメラを隠して、三脚がはみ出しているのに奥さんは何も言わなかった(笑)。

奥井 三脚は使いませんでした(笑)。

―段ボール箱にカメラが入っていても何も言われなかったのは、その辺の教育(!?)がちゃんとできていたからなんですね(笑)。

奥井(笑)

―そのあと後半に出てくるのが電動貨車なんですが。

奥井 そういえば、貨車疎開が出てこなかったね。

―貨車疎開って、そんなフィルムがあるんですか。

奥井 撮ったと思うけどなあ。明星車庫の貨車を全部まとめて、移動させるんです。それを一回撮ったことがあるんです。

―お預かりしているフィルムの中にはなかったですね。

奥井 そのあとで撮ったのかもわからんね。「あおぞら」を明星に留め置くスペースを作るために、貨車を白子あたりまで疎開させたんです。

―電動貨車ですが、有蓋、無蓋、いろいろ出てくるんですけれど、その中で面白いなあと思ったのが、中川短絡線での方向転換です。

奥井 あそこは便利でしたね、方向転換では。

―あれはやはり情報をつかんで行かれたのですか、それ、行けーって。

奥井 そうなんです。あそこには、旧ビス(10000系)が良く方向転換しに来ましたね。夜中にしてましたんで、撮りには行ってないのですが。

―旧ビスですか!?

奥井 編成を二つに分けて電動車を別々に使うときに、よく方向転換していました。

(編集注:10000系の電動車ユニットのうち、上本町寄りのMcMユニットモ10001-モ10002を方向転換して山田寄りにモ10001を持ってゆき、上本町側となったモ10002に10400系ク10500形や11400系ク11500形を連結して、2M1Tか2M2Tで運転されることがあった。)

―もう解ってて、待ち構えていて、「ほら来たぞー」って、最近は奥井さんの撮影のその前後が想像できるようになってきまして、それを思い浮かべながら見ていると面白いなあと(笑)。

奥井 それと(撮影現場まで)飛ばせるところは飛ばしますから(笑)。

―それにしても、その電動貨車が引退してモワ10形やクワ50形がそれに取って替わって活躍している、そのフィルムが……。

奥井 多くあるんですね。

―これだけでも1本の作品ができるのではないかと思ったぐらいでして(笑)。

奥井 自分でも忘れているね(笑)。

―時々とんでもないものが来たりしますよね。モト90とモワ10が連結したようなものとか……。

奥井 明星車庫では、中川までの区間で電動車でない車両の試運転を、電動貨車を繋いでいとも簡単にするんですよね。運転台のない車両は真ん中に挟みましてね。

―なるほど。

奥井 ですから、そういう編成が良く来るんですよ。

―はいはい。それで試運転の映像があるわけですね。で、試運転は中川までで?

奥井 中川に着いたら側線に入れて、すぐに引き返してきます。何本か列車をやり過ごしたら帰ってきますから、往復撮れるんです。

―(あらゆる車両が取れる)絶好のロケーションの場所にお住まいで!(笑)

奥井 ええ、そういうことですね!(笑)伊勢神宮のご利益はまるっきり受けますし、しかも別のサービスも全部受けますから(笑)。

―伊勢神宮のことに関しては、国鉄近鉄を問わず、色々と……。

奥井 ええ、こんなありがたいところはないですよ(笑)。

―ロイヤルな方とかやん事無き方とかも通られますし(笑)。あと、アッと思ったのは、680系が名古屋線に転属して来てるんですね。

奥井 あれ、両方ともありますからね。683の方もあったと思うけどなあ。

―その683の方は、特急車としては西大寺で留置されている映像しかなかったんですが、こちらでは電動貨車の仲間入りをしていて動いている映像が出てきています。

奥井 あれも動いていたんですよ、683の方も。けど、結局は力が不足ですわ。後ろの列車が全部つかえちゃうんですよ。で、(名古屋線での使用は)すぐ諦めましたね。

―それは683の方ですか、680の方ですか。

奥井 どっちもです。

―どっちも後ろがつかえたのですか。出力が弱かったのですね。

奥井 えらいもんですな、それだけ近鉄の全車両の馬力がそろっていたんですね。

―なるほど。(京都線・橿原線の大型車化以降)こちらに転属して活路を見出そうとしていたんですが、あまり長くは使えなかったと。

奥井 そうなんです。あの、名鉄に入った東急の車(東急3700系→名鉄3880系)が馬力不足で、すぐに全部引退していきましたからね。

(編集注:683系は名古屋線に転属することなく新田辺車庫に留め置かれており、昭和51年に車齢の若いモ683を除いて廃車、モ683は電装を解かれてク1320形に編入され、ク1322となって荷物電車運用についている。)

―それで680系の方は志摩線に移って行ったんですね。志摩線では特急がバンバン走る中で、奥井さんとしては680をつぶさに狙っているような感じがしていたんですが、やっぱりそうだったんですか。

奥井 そうなんです。あれは、この時期を逃したらすぐに無くなってしまうことがわかっていましたから。

―そのお陰で「近鉄篇4」は編集してみると、結局680系が主役になっているような感じになっていて、素晴らしい流れになっています。何か味がありますね、志摩線で働く姿には。

奥井 そうなんです。(680系は志摩線に)丁度合うんです。志摩線はもうちょっと直線化してって言いますが、あそこは国立公園ですからね。いらえないですね。

―ルートをさわるにしても限界がある、ということですね。

奥井 もうちょっとね、美しい橋を架けるなりして、津波対策も兼ねてですね、僕は(改良を)してほしいな、と思うんですがね。

―しかし(680系が)最終的に志摩線に行くのは、クーラーがあり、転換クロスも残っていたということで……。

奥井 丁度、(観光路線としての志摩線に)よかったんです。

―特急だけでなく普通列車でも……。

奥井 通勤時にちょっとだけ混雑したらしいですけれど。そのほかは、大体うまくいっていたそうです。もうちょっと長生きしてほしい車でしたけれどね。疲れてきたんじゃないかなあ。

―今回、編集して知らぬ間に680系が主役になったと編集した私が驚いた、「近鉄篇4」でした。ありがとうございました。

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