奥井宗夫のむねのおく 2-10
「よみがえる総天然色の列車たち第2章10ローカル私鉄・東日本篇」のむねのおく
奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。
―これまで国鉄の「電気機関車篇」「電車篇」「ディーゼル篇」や「西日本」「東日本」の私鉄篇が発売されたわけですが、今回いよいよ「ローカル私鉄編に突入ということになりました。奥井さんご自身としては「待ってました」という感じじゃないのかなという気がしているのですが。
奥井 はい。結局私は模型マニアでもあったので、EDクラスの電気機関車には凄く興味があったわけです。だからどうしてもそれがいっぱい動いている所は最高に面白かったんです。
―そうですね。逆に国鉄ではED級の機関車というのは飯田線とか、阪和線とか一部には居ましたけれど、どちらかと言うと少なかったわけで、中小私鉄がそういうものの天下だったわけですね。
奥井 やっぱり岳南にしても、上信にしても良かったねぇ。まさに「森の中の機関車」という感じですね。ポール・デルヴォー(註:鉄道を主題とした数多くの作品を残したベルギー出身の画家)にあるみたいにね。
―そうするとやはり奥井さんにとってメインは、電車でもなく、ディーゼルではなく、電気機関車ということですか。
奥井 やっぱり鉄道模型をやっていると、戦後はEBクラスの電気機関車から始まっているし。戦前もそうですね。旭屋さんですか、あそこが作った模型にしても全部EBクラスが多くて、それらにみんな親しんだわけですから。
―可哀想なのが今の若い世代のファンの人たちで、そういうのが現役で走る姿をじかに見るチャンスがほとんどなくて。
奥井 それは言えますね! 私たちの時代はどこへ行ってもそれが走っていて、しかも入換えでゾロゾロ動く所に集中して行ってましたから。行けただけでも僕は幸せだったと思います。
―その辺りのEB級・ED級の面白さって何ですか?
奥井 やっぱり小回りが利くというのがものすごくいいのね。大抵前と後に電気機関車を付けたりして。どっちも機関車ですから前は前で仕事をする、後は後で引き込んで行く、そういうことを上手いことやっていくんです。ものすごくスムーズに仕事をはかどらせて、列車が走る間を縫ってものの見事に片付けて行くのね。若松市営軌道にしてもそうだから。あれはいいですよ!
―若松市営軌道はローカル私鉄篇ではなく路面電車篇の方に取ってありますから、これも楽しみにしていただきたいのですが、あれも凄くいい線ですね。
奥井 あれは素晴らしい! 良かったですよ。
―併用軌道で貨物を牽いてる路線ですよね。
奥井 商店街のど真ん中走ってますからね!
―フィルムに写っている場所探しが楽しみです。実はあそこは後々行ってみたいと思うくらい作る前から私も楽しみにしています。
奥井 僕も自分のフィルムを見ていてもう1回行きたいと思う所はいっぱいあるね。
―今回の作品で実際撮影に3回も行かれているのが江ノ電なんですが、それもまた行ってみたい所の……。
奥井 ひとつですねぇ。何遍行っても行きたいねぇ、あそこは。
―今回江ノ電の担当者の方が仮編集の映像をチェックしていて、「元東急の600形が重連で走っているのが写っている!」と教えてくれたんです。こちらはうっかりスルーしていたんですが、あれは車両が長いのでホームからはみ出すので、重連にはしていなかったんですね。
奥井 なるほどね。
―事故か故障で何かして回送されたのか判らないのですが、それが稲村ケ崎の駅に重連で入って来るんです。後の編成には乗務員も乗っていて。
奥井 広島でもそういうのがありますよ。事故で、連接の1040形だったかな。それが後を押されて来るシーンがワンカットあるんです。今度は逆にそれが戻って来んかいなと車庫で待っとって、1時間待ってパァやった(笑)。
―江ノ電の最初の撮影はポールの時代ですね。私がナレーションで書かせてもらったんですけど、昭和38年、湘南と言えば、それこそ加山雄三主演の東宝映画「若大将シリーズ」の時代。もっと私が嬉しかったのはこの年に「天国と地獄」が公開されているんですよね。奥井 なるほど!
―犯人に誘拐された子どもが開放された後、運転手であるお父さんと、監禁されていた場所を、江ノ電を頼りに辿って行くんですよね。「途中でこのトンネルは見たよ」とか。そもそも監禁場所からの電話越しに聞こえた電車の音が、ポールの音だということになって、東京周辺ではそれは江ノ電しかないという話で。
奥井 ポールと言うたら少ないもんね。僕らは三重交通の神都線でよく見てましたから別にどうこう思いませんでしたが。
―「ローカル私鉄・西日本篇」には叡電が出てきます。
奥井 ああ、なるほど。叡山電車ね。
―日本最後のポール電車で、京都市電とも平面交差もちゃんと撮られています。それも楽しみなんですけど。
奥井 路面電車篇も楽しみですね。
―江ノ電は地方鉄道なんでこちらのローカル私鉄篇に入ったんですけどね。ポールの時代を捉えたこの翌年にはなくなって、最初の撮影から12年後の昭和50年の所はすっかりパンタに替わっていましたね。しかし車両たちそのものの姿はまだ替わっていません。
奥井 そうですね。ヘッド周りを少しいらったぐらいで。
―その辺の時代時代の変遷というか、変わらない所とちょっとずつ変わる所とが3回に分けて克明に記録されていて、大変面白いです。この昭和50年の翌年にドラマでブレイクして全国的に知れ渡って、廃止かどうかって言っていたのが、ほんとにそれで回復して行ったらしいんですよね。それでそのあとのフィルムではドラマの舞台となった極楽寺駅に、観光客の姿が増えてきているのが写ってるんですよね。それで勢いがついて新型の電車を導入することが出来たという……。
奥井 上手いこと1000形登場の時に行くことが出来ました。
―最初のフィルムは海岸沿いの道路がガラガラだったのが、次の昭和50年はお正月ということもありますけど、ずっと渋滞していて、それをしり目に江ノ電が軽快に走って行きます。渋滞に関係なく走れるということで見直されたという経緯まで見て取れるようですね。それと停まっている車の前にしめ飾りが付いているんですよね。
奥井 あの頃はみんな付けてましたね。
―今はなくなりましたね。
奥井 針金でボディーに傷をつけますからね。それで皆嫌気さしてやめてしまったんです。
―最初やり始めた頃は?
奥井 あれがカッコいいんだということで。
―家とか大事なものに付けるという風習の延長ですね。
奥井 そうですね。私鉄で車内に今でも付けている会社はありますよ。
―次の箱根登山鉄道ですが、現在との一番大きな違いは、近年のことですが、箱根登山鉄道の列車が箱根湯本発着になって、小田原まで来なくなったことですよね。3線軌条もなくなって。でも湯本から先はそれほど雰囲気も変わっていなくて、一部の車両もそのままで。
奥井 そうですね。長野電鉄なんかは車両もがらっと変わりましたからね。
―このフィルムの箱根登山鉄道での見所はどこでしょうか。
奥井 まだ単行で走っている列車がある、という時代やろうな。もう今時あんなんないでしょう。
―塔ノ沢の駅なんかも短い短いですもんね。今はトンネルを拡げてホームを伸ばして、全く変わっています。
奥井 あそこら辺は早く撮らなきゃダメだという気がしてましたよね。いずれ変わって行くだろうという予感がしてましたから。
―次に登場する銚子電気鉄道で気になるのが、作品中では触れていないのですが、架線柱のビームがこう言う、カギ形と言うか、ハテナ形みたいになっていて、そこに架線がぶら下がっているんですね。
奥井 あれはポールだから仕方ないんでしょうね。
―ああ、ポール用にああいう形になっていた名残ですか。
奥井 はい。
―銚子電気鉄道には各社からの車両が色々集まっていて、出身を見てみると中日本篇で出て来る近江鉄道から来たものもあれば、後に国鉄となった鶴見臨港鉄道のものとか。
奥井 僕も説明を聞いて初めて、あ、あっち行ったんか、こっち行ったんかと。色塗り替えたら判りませんからね。
―各社とも色んな鉄道会社から貰って来た車両は多いんですけど、割と大手から来るようになっています。それなのに中小同士で行き来していますから。
奥井 結構あるのでびっくりしました。
―昭和56年に撮影されたこのフィルムの中で、「鉄道ファンの皆さん、この電気機関車と一緒に写真を撮りませんか」と車両基地に張り紙がしてるんですね。当時からここの会社はファンやお客さん向けの、そういう姿勢が伝統的にあるという所が垣間見えますね。
奥井 サービスしましたね。それにあそこは硬券だったから皆切符を買いますからね。この間も岳南鉄道で1回硬券を買ったんですよ。懐かしくって懐かしくって。
―ああ、まだ硬券がありましたか。
奥井 あります、あそこは。しかもセットで売ってるんですよ。良かったですよ!
◆
―次の関東鉄道ですが、あそこは雑多な車両が多く集まっていて、相当なディーゼル王国というか。
奥井 北海道からも沢山来ているでしょ。限られた時間の中で何を撮っていいか解らないんですよ。苦労しました。
―実際に稼働する数の割りに構内に居る車両の数が多すぎるように思えましたが、状態が悪かったからでしょうか。
奥井 部品のええとこ取りするつもりやったと思うんです。それにしても、よくいとも簡単に機械式をトルコンに改造したもんです。どこの会社の工場でもそういう技術はありましたね。
―私が驚いたのは後の東急東横線である東横電鉄のキハ1形が居るというところですね。
奥井 あれは感激しましたね。
―残念ながら動いている姿ではないのですが、しかしあの姿です。伝説的な車両ですからね。
奥井 でも何としても撮りたかったのがあのディーゼル機関車です。
―DD501ですね。
奥井 そうそう、あれが目玉ですね。今時ロッドでああいう風に動くのなんて少ないですもん。
―しかもそれが国鉄から乗入れして来た12系のあの長い編成を牽くんですからね。
奥井 殊にあいつは車輪径が小さいから、派手に動いた動いた。
―そして奥井さんとしては一番気になったのが、電気機関車がゴロゴロ居た上信電鉄ということですね。
奥井 はい。あれは良かったですねぇ。
―デキ1形とかがバリバリ貨物を牽いて本線を走っているわけですからね、下仁田まで。
奥井 いい所ですねぇ。(青果業の)僕らとしてはこんにゃくの産地ということで当然興味があるのですが、こんにゃくどころの話じゃない(笑)。
―ED31形が動いている映像もあんまりないんじゃないですか。
奥井 多分他の方はあまり撮ってないと思います。
―それと、割に早い時期に進んだ電車が出て来て、後に消えていったオリジナルの車両がありますね。
奥井 そうなると長野電鉄が一番目を惹くんじゃないかな。特急用こそ名鉄と同じような規格で造っていますけど、あれでも大したもんですよ。やっぱりポリシーがしっかりしてるのかな。
―そういう意味では秩父鉄道もそうですよね。
奥井 あの頃は電気機関車をゾロゾロ入れてた時期ですから。バラエティー豊かですよね。
―阪和電気鉄道出身のED38形なんかがいますけどあれは古株の方ですね。
奥井 他にもEE(イングリッシュ・エレクトリック社)のデキ1形とか、スターが揃ってましたね。
―その後続々と自社機を入れたわけですが、それらの両方が活躍している時代ですね。それプラス電車も300系とか500系とかですね。東武の熊谷線まで出て来たりしますが、あれの映像も今回私は初めて見ました。
奥井 私も動く映像を見たいと思っていましたが、あそこに写っているのを忘れていました。
―尚かつ今はやっていない東武からの直通列車や、300系のアルミの中間車・サハ352も出てきて、見所が色々あって面白かったです。
奥井 あそこで散々撮って、西武に乗って帰ってきたんです。
―関東私鉄篇に登場した分ですね。凄く充実した行程だったわけですね。
奥井 1日ですね。鹿児島行った時(鹿児島交通)も1日で無茶苦茶撮って来たんですよ。
―その次に松本電気鉄道が出て来るわけですが、これは案外フィルムが短いですね。
奥井 時間がなかったのと、車両そのものが単調でしたからね。
―1形式だけでしたからね。
奥井 新村の駅へ撮影の許可を取りに行ったら、ハフ1ですか、2軸単車があったやつを、「車庫から押して出したら写真撮らしたるわ」と言われたけど、自分1人では動かしようがなかったんです。
―当時のフィルムの感度からすれば、車庫内では撮影出来なかったわけですね。そして次の上田交通は、丸窓が全盛期の頃で。
奥井 逆にあの電車しか動いてなかったから、他の車両はほとんど撮れないんですよ。それでしゃあないから、NHKさんを(笑)。
―NHKのジープが並走して奥井さんが乗った列車を撮影しているんですよね。カメラマンが命綱なしで屋根に乗って。今だったらあれ、絶対ダメですよ。
奥井 本当は上田丸子線とか行きたかったんですけど、駄目でした。あそこはもっと行きたい所でしたね。
―しかし長野電鉄の方は力が入っていましたね。
奥井 カラーフィルムでしょ。やっぱり色の奇麗な所中心に行っちゃうんですよ。上田の青と長野赤と比べたらどうしても長野の方へ行っちゃう。しかも電気機関車は青で、その対比が良かったでしょ。
―定山渓鉄道から来た機関車がいるということにビックリしたんですけど。
奥井 あれは良かったですよ。後で越後(越後交通長岡線)に行っちゃいましたけど。
―私は長岡線の存在そのものを知りませんでした。
奥井 僕は電気機関車について行きたかった(笑)。
―あと長野電鉄と言えば2000系。名鉄の5000系とほとんど同じ丸こいやつですね。
奥井 そうなんです。あれも日車の味ですね。よく出ていて良かったです。
―つい近年まで現役で走っていて、転換クロスシートで、乗ったら「特急料金200円いただきます」って言われ、ああ、料金取るんやと思いました。
奥井 僕は硬券の切符が欲しくて乗りました。
―言っても、2000系は昭和32年製という、あの時代の素晴らしい車両でしたが、その後OSカーも登場します。
奥井 OSカーは良かった。地味やけどな。
―ローレル賞も取ったのに、早くなくなりましたね。
奥井 あれにはもうビックリしましたね。もっと長生きしてほしかったんですが、時代がそうなってしまったのですかね。いい車でしたよ。
<了>