奥井宗夫のむねのおく 2-17
「よみがえる総天然色の列車たち第2章17近鉄篇5」のむねのおく
奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。
―「近鉄篇」も5本目になりました。当初、5本もできるのかな、と思う位のフィルムの量でしたが、編集を進めていくうちにカメラのポジションがこの辺からかなり変わってきて、映像的にもだいぶ広がりが出てきました。
奥井 逆光の時でも、無理して撮っていましたからね。
―この時期に、撮影に対して思うところがあったのですか。
奥井 この頃からフィルムの質がだんだん良くなってきたんです。コダクロームⅡぐらいになるとラチチュードも確かにありますしね。それと、同じアングルで撮っても仕方ないし。ちょっとずつアングルを変えられるところは変えて撮っていましたね。ともかく、ビスタカーを撮る時は今しかなかったし、もう、ビスタカーに全力でぶつかっていくしか仕方がなかった。この後になると、あおぞらⅡになるんですが、これはカメラが違いましたから。これはもう、やむを得ないと。撮れるだけ撮らなしょうがないと。
―ですので、ナレーションであれこれ言う必要もなく、すでに「近鉄篇Ⅰ」の方で紹介もしていますし。あとはもうこの姿を皆で見ましょう、みたいな感じで、たっぷりと走りを見せる作りにしました。試写をした今この場が、編集を終えてから初めて客観的に見る機会だったのですが、飽きないし、映像が面白いですよね。
奥井 面白いですよね、確かに。まだ、旧エース・新エースがともに走っていますしバラエティがありますから、非常に面白いなっていうのは僕でも思います。
―それと、いろいろなコンビネーションも一通りありつつ、さらにV9と言われるビスタカー3重連の運転が始まったところから、季節ごとに撮られてまとめられています。
奥井 結局、冬ではない季節のいい時に走っていますので撮りやすかったので、自分でも楽しんでいました。
―見ていてつくづく思うのですが、10100系というのは形がきれいですね。
奥井 あの、外観がいいんですよね! 乗るとちょっと窮屈ですけどね(笑)。
―(笑)
奥井 それと、ドアが少ないというのが、欠点でしたよね。そのほかの点では、優れた電車でした。
―実際、目撃されたことはあるんですか、乗り降りが不便である、というようなことですが。
奥井 ええ、これは常時乗っていますので、僕らはドアの位置がわかっているのですぐに移動できます、しかし一般の人はそんな調子にいかずまごつく人もありますし、もちろん降りる人も乗る人もいるわけで、しかもフラットではなく階段があるので不便に思う人は多かったと思います。
―乗ったらそこで立ち止まってしまいますよね。
奥井 我々はね、わかっていますからすっと進んでいけますけど、(同じように動ける)そんなお客さんは普通いないですよ(笑)。
―混んでいる時に乗り降りで遅れた、というようなことを、実際見られたことはあるのですか。
奥井 それで遅れたということはないですね。近鉄は割と特急の時間に余裕をとっていましたから。
―なるほど。
奥井 ですから、そう心配するものではなかったです。
―逆に言えば、スピードアップするために、停車時間を削るというようなことはできなかった。
奥井 そうですね。
―車内の映像も、早く出したいと思いながら、我慢して出さずに握っていたのですが……。なるほど、というような感じの映像です。僕は10100系には乗っていますので、記憶にあるのですが……。
奥井 今の若い人たちは乗っていないのですから、そんな感じはわからないと思います。でもまあ、あのころは今みたいにリクライニングじゃないからねぇ。もっと新しい車両では、ホントに座席もよくなりました。
―ただ、これで引退した10100系のシートが16000系で使われたりしているんですよね(笑)。
奥井 そうなんです(笑)。
―それなら、16000系のその前のシートはどんなものだったのかな、という気もしますが(笑)。でも、確かに出入り台があって階段があって、その(サ10200の)階段の映像も出てきますが、それを見るとコンパクトで飾りっ気もなくシンプルで。逆に最小限のスペースに必要なものを目一杯詰め込んだ結果ということなんでしょうね。
奥井 まあ、そういうことでしょうね。
―それとおもしろいのが、運転室周りを車内から撮っているのですが、あの化粧板というのは、一般形の車両と変わらないようですね。
奥井 たしかに、そうですね。
―シートが見えなければ、一般車を内側から撮っているような雰囲気です。しかも、運転台もそんなに高くないですしね。
奥井 そうです(笑)。
―あれが、前に「近鉄篇Ⅱ」で出てきた10000系のものすごく高い運転台と比べたら……。
奥井 それだけ改良しているんでしょうね。あの、10000という電車の運転台には恐れ入りましたよ。コントローラー(マスコン)がL字型で、こんな風に(腕を大きく回して)コネんならん(笑)。
―それと統一規格と言いますか、一般形と同じ機器を積んでいるように見えましたが……。
奥井 はい。
―映像を見て違うのは窓の形で、たまたま第一編成でしたので、桟が入っていることですか。(モ10101の)あの窓はじっくり見ると、曲面ガラスではないようですが。
奥井 だから、直したんかな、と思いましたが。確かに曲面じゃないんです、あの1番だけは。あと、5番もちょっと変わっていると誰かが言っていたなあ、僕にはその違いはわからなかったが。
(編集注:5番について調べたが何の情報もなく、代わりに8番、モ10308の特急マークが、他の流線型のものと比べて、ほんの少し反り上がっている、という情報を得た。)
―あの映像は1番ですね。
奥井 1番です。
―当初は桟が入っていても曲面ガラスを……。
奥井 使っていたと思います。それがいつ、替わったのかはわかりませんけどね。
―最初から曲面ガラスを使ってたら、わざわざ桟を使わずに初めからパノラミックウィンドーの2枚窓にしてもよさそうなものですが、それがそうじゃなかった。
奥井 そうじゃないんですよね。あれ、曲面やと、ワイパーが使いにくいんやろか。
―あー、なるほど。
奥井 でも、ほかの車両は全部曲面でしょ。
―それもそうですね。
奥井 そこら辺は、我々ではちょっとわからないですね。
(編集注:モ10101の前面ガラスは、製造当時、曲面ガラスの製作が間に合わなかったので、平面ガラスを縦桟で継いだ構成したものである。)
―なんていう想像が膨らんで仕方がないですね、車内からの映像があれほどあるだけで。非常に面白い。それで、最初は名古屋線系統だけで始まったV9ですけども、大阪線の方でも運転されて……。
奥井 人気があったんですよ、あれ!
―(V9を)追いかけられて、奥井さんもまた乗られて。そして例えば、10100系の貫通型運転室の連結している様子とかを撮られていて(笑)、縦長の窓のところなど、色々とおもしろいところがあります。でも、走りだけを見ていてきれいな(編成だと思う)のと、ホームから見て(流線型の)あの丸みというかふくらみというか……。
奥井 あのふくらみは独特ですね。
―見ていて、正直飽きないなあっていう、これだけ10100の映像ばかり見せられたら飽きるのではと思っていたんですが、編集した私がまだ飽きてこない! 奥井さんにとっては、いかがでしたか。
奥井 ずっと撮っていても、飽きてこないですね。
―10100系が引退していったのは、12400系とか30000系のビスタが登場してきたからで、「近鉄篇Ⅴ」はそちらのシーンから始まっています。12400系は今もそう変わらずに走っている電車で、収録の有無を含めてどうしようかなと思っていたのですが、10400以降の車両との混結が結構出てくるので、入れています。
奥井 あれの8連なんか、なかなかいいですよね。
―ああ、12400系を2本使った8連ですね。
奥井 その間にあれの6連が出てくるし。
―お召列車用に特別に組み替えた編成ですね。結局、お召列車以外では使われていないのですね。
奥井 そうなんです。ですから、(組み替えて)残ったMTの2両(モ12402-ク12502)を撮りに行きたかったんです。
―なるほど。それをどこに撮りに行かれたのですか。
奥井 それを名阪に使うという気がしたので、中川まで行ったんです。でも結局、よう会えませんでした。
―その2両をつないだ6連の特急、名阪乙でしょうかね、を撮りに行ったのに来なくて……、結果はどうなりましたか。
奥井 結果、あきらめて帰りました。でも、(榊原温泉口から冨吉への)回送列車は撮りましたが。
―あのお召列車の回送が来たんですね。その映像はお召列車なのか回送なのかどっちかなと思っていたのですが、丁度御座所のところだけカーテンが閉められていたので、回送かなあと。
奥井 まあ、来たら何でも撮らなくっちゃ(笑)。湯の山線までは行きませんでしたが。
―来たら何でも撮るのと、踏切に行ったら情報をチェックするのとのおかげで、フィルムのお宝の山ができたわけなんですが(笑)。話を戻して、今も走る12400系が、じゃあつまらないかといえばそういうお召列車の6連があったり、10400系・11400系・12000系などと連結していたり、いろいろとあって案外面白いですね。
奥井 たしかに面白い!
―編集していてもカットを捨てられない!(笑) 最終的に尺がどれだけになるのか、だいぶ長い目につないでいるのですが。
奥井 北勢線から養老線を省かなしょうがないのでは(笑)。
―省きません!!(笑) なんで省かなきゃいけないのですか!!(笑) 「近鉄篇Ⅰ」でどれだけ紹介できるのかな、と思って養老線とか内部線・八王子線・北勢線を入れたのですが当然入りきれず、時代の変化もあるので2回に分けて、2回目が「近鉄篇Ⅴ」に収録したのですが。
奥井 8ミリフィルムとしては、(今回収録分は)一番後期の部類に入りますね。僕としては、長く撮りすぎたかなあ、と思っています(笑)。
―いえいえ、長すぎるということはないです(笑)。ご自身はそんなことはないよといつも謙遜されていますが、奥井さんが何を撮るのか調べて行かれていることはありありと分かりますね(笑)。定点的なことでいいますと、西桑名駅の変化ですね。だんだんと今の駅の様子に近づいてきていますが、車両はまだ古いままが面白く、旧駅との(位置関係などの)関連性などいろんなことがわかってきます。
奥井 機回り線が残っていたりしてねえ、あれ。
―そうですよねえ。ちょうど西桑名駅が現在の位置になって、検車区が廃止になって北大社に移転したところなんですね。
奥井 北大社に移転する電気機関車を、向こうへ持っていくフィルムがあったんやけど、それが出てこなかったですね。
―なかったですね。少なくともお預かりしているフィルムの中には、西桑名駅を発車していくところと、国鉄関西本線と近鉄名古屋線を越えるところしかありません。
奥井 あそこでね、貨車を1両引いていくシーンがあったんです。どこかに埋もれちゃいました。
―それはなかったですね。
奥井 Hi8(ビデオテープ)の時代かも知れない。Hi8になると、撮影してからは見ていないからね。
―撮影されてからは見ていないで、それこそ撮りっ放しになってしまう(笑)。北勢線は後々三岐鉄道に譲渡されてからまたガラッと変わっていくんですけれど、そういう意味では北大社駅もまたのちには無くなってしまって。
奥井 ええ。
―その、地味ではあるんですけれども面白いところあって、知っている人にはこんなに面白いことはないっていうことですね。10100系の引退という華々しいところとは対照的に、狙ったわけではなくたまたま今回収録している訳ですが、内部線・八王子線にしてもちょうど松電(の車両)の最後が入っています。
奥井 丁度昨日もカメラを持たずに行ってきました。ところが意外とね、この前撮った時とちょっとも変わらないんだわ。
―それは意欲もわかないですね。これが昨日の切符ですね。(大矢知から近鉄富田経由、近鉄四日市行き)三岐鉄道三岐線も行かれて、内部・八王子線も行かれて。
奥井 しかし、道路がどんどん付いているものだから、迷うのね。あれにはまいったなあ、昔は一本道だったのに(笑)。
―四日市の財政状態がいいのは、よくわかりますね。オーバークロスする道路がバンバン付いて(笑)。
奥井 そうなんですよ。え、こんなんなってるのって(笑)。
―フィルムが短いので、あまり語られてはいないのですが、八王子線、前回は洪水で一部区間が廃止になる前の映像でしたが、今回は廃止になってからのものです。対比してみて気づいたのですが、天白川があふれて線路が大打撃を受けたから廃止されたのではなく、天白川改修のために用地を確保する意味で線路を取らなければならなかったように見えます。
奥井 そうですね。
―線路の部分で川を広げて護岸工事をして、道路も幅を広げた感じです。
奥井 この前からの内部線廃止という話にしても、僕らは広軌にして名古屋まで乗り入れた方が賢いように思いますけどね。
―広軌にして?
奥井 そう、広軌にして、高架にして名古屋まで乗り入れる。で、日永で接続して。
―なるほど。もともと、内部から鈴鹿まで線路を伸ばす計画でしたものね。でも、四日市市の方が残す方向で動いているようです……。
奥井 いらんこと言わんほうが賢いかな(笑)。
―でも、まあ、よかったのかなと思います、上下分離という形でそれで成立するのなら。
奥井 でも、日永まで複線でもってきて、湯の山線と直通運転すればいいんです。
―ああ、元に戻すんですね。
奥井 いい意味で、元に戻したらいいんじゃないか、という気はしますけどね。
―湯の山線の方だけ標準軌になって、高架化されて、いわゆる湯の山温泉という観光地があったか、なかったの違いだけのことですよね。
奥井 ええ、そうなんです。
―取り残された形の内部線・八王子線は、昔のままの姿が今回のフィルムに収められていて。ある意味、残っていたことが奇跡に近いような気がしますが。
奥井 そうかもしれませんね。このごろ乗るたびに思うんです、お客さんが少なくなっているように。
―今は車社会だし、四日市辺りは車の所有率が高かったりとか、まあ見た感じですけど。
奥井 鉄道としては、複線高架化してはどうでしょうかね。
―そのインフラ整備を誰が負担するのかというところで、公共事業となると国と地方自治体の割合というところでなかなか難しいとこですし。
奥井 本線ですら、なかなか複線高架になっていませんしね。
―そうするとなおさら後回しになって、邪魔者扱いにされて、お客も少ないし、どうなんだということになってくる。ま、そんな話は……。
奥井 置いといて。
―そうそう養老線です。今回、養老線が凄い豪華なことになっていまして。まあ、いわゆる旧型車が狭軌化されて養老線に集められて、ということなんですが。その集められた顔ぶれが……。
奥井 豪華でしょ(笑)。
―(笑)
奥井 あんな豪華な列車、ないですよ。
―そうですよねえ。これも「近鉄篇Ⅲ」に入れるべきか「近鉄篇Ⅳ」に入れるべきか、迷ったんですが、正直に言いまして、それまでの巻に入りきらなかったので、こっちに来ました(笑)。
奥井(笑)
―ただ、これはこれで、いろんな特急車の話が出来て、その中に10100系が消え去っていくという流れができたのではないかと、そして養老線が実は重要な役割を果たしているように思います。
奥井 僕は6401・6421・6431の特急時代の姿を、ほとんどスチールでしか持っていないからね。もう、しかたないですよ。8ミリカメラを買った時点で、特急時代は終わっていたんだから。撮り様がなかったんです。
―いずれスチールの方も活用して、出版の方も考えたいと思いますので、実現できるように頑張りたいと思います。まあ、特急現役時代の姿は若干「近鉄篇Ⅰ」とか「近鉄篇Ⅲ」に一部出てきています。でも、現役バリバリの急行として本線で活躍する姿があり、一部養老急行もありますが、今回は養老線でまだまだ元気に走っている姿があり、しかもいろんな車両が集まっている、見応えのある場面になっているのかなと思っています。そんなシーンもある中で、10100系新ビスタカーのさよなら運転、昭和54年の夏、になります。この辺はいかがですか。
奥井 昭和54年ていうと、もう30年前ですか。
―1979年ですから、34年前、になりますね。
奥井 はあー、もうそれだけ年月が流れちゃったんだなあ。
―V9運転最終日の昭和54年8月5日というのは、僕の16歳の誕生日で、高校1年で九州の乗り潰しを一生懸命していた時ですね。
奥井 よくこれだけのフィルムが残ってました(笑)。
―これは、ほぼ毎日撮りに行かれていたんじゃないですか。
奥井 天気の悪い日以外はね。
―カット的には相当数ありまして、1日2カットしか上下で撮れないでしょうから、相当頑張って撮られたんでしょうね。
奥井 かなり頑張りました。
―宇治山田の近くで同じところから4カットぐらい、パンパンパンと撮られていて……。
奥井 あの、朝鮮銀行の上に上げてもらいましてね。あれが一番高いなあ、と目をつけていて。そしたら支店長さんが、わしがついていったる、上に上がんなさい、って上げてもらって、うまいこと行きました(笑)。商船学校にしても、一般の方はダメなんだけれども、おたくがそう言うから、とついて行っていただいて、ということで撮ることが出来ました(笑)。
―飛び込みでしょ。
奥井 飛び込みです(笑)。
―(笑)なかなかねえ、飛び込みはダメで。我々プロの仕事で行くと、特に申請書を出してくれとか、事前に言ってくれとか、マンションの管理組合を通さなきゃいけないとか、いろいろ大変なんです。
奥井 マニアの方のコネみたいなものもありまして(笑)、うまくいきました。自分の友達の写真マニアの方の名前が話の中に出てきたので、上げてもらいました(笑)。
―それが商船ですか。
奥井 商船です。海が背景に映っているところです。
―ああ、あの線路の向こう側にちょうど商船学校の港があって、船が停泊しているところですね。
奥井 下の、平面(地面)にいては、とても撮れませんからね。やっぱり、高いところでないと。「ほんとはあきませんねんけど」っていう話で。
―あの、びっくりしましたけど、今はあの線路の手前に道路も通っているんですが、撮影された時にはなかったんですかね(笑)。それにしても、10100系の最後の時は何としても撮りたい、という思いがあって……。
奥井 はい、何としても撮りたいと。鳥羽から向こうは(線路が)海岸に引っ付いていますけど、あれから向こうへは電車(V9)は入って来ませんからね。
―そうですよね、鳥羽から折り返していたんですよね。
奥井 せやけど、国鉄の折り返しの急行がうまいこと入っていたんで、助かりました。
―このころ参宮線の急行というと、かなり末期の頃だと思うんですけど。キハ58系とキハ65系とグリーン車もつながったのが、それがほとんど同時発車で、素晴らしいシーンですよね。それをどう表現しようかと考えて、前後のナレーションを作っていったんですけど(笑)。最後に一言だけ言って、音楽が流れて、みたいな形になってしまいました(笑)。近鉄篇が今回、5巻続いて、そして大団円を迎えたことになったんですが、何とかまとまったのかなあと思っています。奥井さんの執念(笑)と言いますか、一生懸命10100系を追いかけられた成果が、ちょっとでもお伝えできればいいかな、と思っています。いつもそうなんですが、今回、その思いを新たにした作品でした。この映像を見て、ぜひ、楽しんでいただきたいと思います。
奥井 そうですね、ファンの方にも満足していただける作品になったと思います。