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奥井宗夫のむねのおく 2-19

「よみがえる総天然色の列車たち第2章19 路面電車篇<後篇>」のむねのおく(その2)

―貴重といえば、時代的にはもう少し下るのですが、昭和46年の名古屋市電、何度も行かれて撮影されているのですが。名古屋市電はいかがですか。

奥井 名古屋市電はもう、僕らは2600型や3000型というような大型の連接車がどんどん走っていた時代を思い浮かべますね。だから、ほんとに哀れなもんだなあ、という気がして。車両は新しいけれどね。全盛期を知っているもんだから、車両がじゃんじゃん走っていたから、もう寂れた感じだなあ、という気はしましたね。

―このころはもう、あんまり姿は見えていないですから、2600型や3000型は引退した……。

奥井 ええ、あとですね。

―ああ、そうなんですか。見るからに路線は減ってはいるものの、まだまだ全盛当時の雰囲気を残しているのかな、と思っていたのですが……。

奥井 僕らに言わせると、もう完全にピークを過ぎているなと。(中心部の路線が廃止されて)支線だけ残ってしまっている感じでしたね。

―やっぱり中心部がね、栄町とかへ行く線がね。

奥井 私らが行くと、栄あたりでうろうろするものだから、あのあたりを連接車がどんどん通っていましたから。それを思うと、逆に寂れたなっていう気がしましたね。

―そのあたりには、もう地下鉄が走っていましたから。むしろ、その他の路線が廃止されてから地下鉄が通るまでに時間がかかっているようで……。

奥井 ええ。

―その間、輸送を支え切れたのかなあって。その当時でも、まだ相当の路線網が張り巡らされていて。でも、港湾部というのは、なんとなく東京都電と似た雰囲気があって……。急勾配を上がっていって、運河を渡って、という感じがよく似ているな、と思います。

奥井 もっともっと、街の中を撮りたかった。下之一色線ですか、あれももうちょっと街の中を撮りたかったな、と思いますね。あの独特の港町の感じをもうちょっと撮りたかったなあ、と今になって思います。車両ばっかり撮っていましたから。そのあたりが残念ですね。

――当時、名古屋駅前のロータリーの中を突き抜けていくところがありましたね。

奥井 それ、撮っていましたか(笑)。

―はい、あれは面白いですよね。

奥井 もうちょっと早く行かなきゃアカンかったね。

―それでも当時は知っている車両は、独特なものがありますね。

奥井 そうですね。ドラムブレーキやったし。

―最初、何かなって、不思議な形のものがしっかり写っていて。(名古屋市電)独特で、あんなものは(ほかに)無いでしょう。

奥井 あれは日車ですか、ね。あそこしか知らなかった。

―そうかと思ったら、2000型とか1900型とかがですね……。

奥井 新しいのは残っていたんですよね、あそこは。

―あの、スカートでね、全部(足回りが)覆われていて。

奥井 覆ってます。

―あれも独特ですよね。どんな感じなんですか、各地の路面電車を撮ってこられた奥井さんにとって名古屋市電というのは。

奥井 名古屋はちょっとクセがありましたね。やっぱり日車さんの影響ですか。

―なるほど。逆に受注も多いし、「こんなん試してみたい」「じゃあやってみて」みたいなことでしょうか。

奥井 そうなんですよね。

―だからこそ、地元の名古屋でできたっていうことでしょうか。

奥井 そう、思いますよ。基本的には、車体構造は変わっていませんからね、そんなに。だから、変えようと思ったらあの辺しか、変えようがない、と思いますね。そう思うと、防塵みたいな関係で、スカートで覆ったのかも。

―それともう一つ、国鉄の貨物線との平面交差が至る所にありますね。

奥井 もっと丁寧に、時間をかけて待って、撮ればよかったんですけど、そこまではなかなかいけませんよ(笑)。一日で全部回りますから(笑)。

―いろいろな意味で、独特なものが多いような印象ですよね。私は正直に言って、名古屋市電は見たことがなかったもので。

奥井 皆さんはどのように思われているのか、わかりませんが。

           

―同じ愛知県でも、豊橋鉄道はどうでしたか。

奥井 豊橋はね、僕らにしてみたら名古屋(市電)のお古が皆入っている感じでしたから、別に見慣れた車が多かったです。だから、それほど撮る気はしませんでしたね。

―近年、駅前に路線が伸びたと思っていたら、元々あった路線が、駅前の再開発とか言って切られていたんですね。映像を見たら、ちょっとビックリしました。ゴンと車止めが置いてあって、線路があるのに終点になっているんですよね。

奥井 今日の試写を見ていても、かなり前から名古屋市電の車両が入っていたことがわかりますよね。もっと他都市の車両をもっと入れてもよかったんじゃないかな。高知や広島みたいに。

―そういう意味では、北陸鉄道からも(車両が)結構来たりとかしていますよ。

奥井 そうですよね。北陸(鉄道金沢市内線)はね、撮り損ねましたよ。本数が少なかったし、色が地味だったし。

―カラーフィルム向きじゃなかった(笑)。

奥井 それで、待っても待っても来ないんですよ、あそこは(笑)。あそこもそうやし、下関の山陽(電気軌道)もそうやし。下関も、待っても待っても来ないんですよ(笑)。

―もっと来ないところを知っていますよ。阪神国道線(笑)。

(編集注:阪神国道線は晩年、上甲子園―西灘が日中1時間毎、野田―上甲子園が日中36分毎に運転され、上甲子園―西灘は昭和49年、野田―上甲子園は翌50年に廃止された)

奥井 阪神国道線は、撮っていたでしょう(笑)。

―あの、浜田車庫から先は無かったけれど、そこまではたっぷり撮られていましたが(笑)。あれは西日本私鉄篇<前篇>の方に入りましたけど。

―豊橋鉄道では、あと、柳生橋支線がまだある頃でしたね。

奥井 まあ、専用車両が走っていましたから。

―あれは専用だったんですね。モ3700形ですか。

奥井 柳生橋支線の運用に入ったら、一日行ったり来たりしていました。

―そしてあと、中京圏でいえば名鉄岐阜市内線の映像があります。名鉄篇には入りきらなかったので、ここに収録しました。長良線ですか、徹明町の交差点から上に上がっていくところもこちらに入っているのですが、岐阜市内線も時期がいくつかにわかれて撮影されています。

奥井 札幌の車両が行ったから、面白いでしょ。

―今思うと、当時、途中から札幌市電の電車が入ってきているんですけれど、昭和40年製の名鉄モ870形、これはモダンですねえ!

奥井 モダンです。

―当時からすると、ズバ抜けて新しい発想である……。

奥井 あんなんよう造ったなあと思いますね、札幌は。それをいとも簡単に、ほっぽり出したんですね。もったいないといえばもったいない。

―今、札幌はもっと古い型の電車が走っていますからね(笑)。

奥井 そうなんですよ(笑)。札幌は、あとになって撮りに行ったことはあるんですが、そんなにいいフィルムはないわ。ビデオでちょっと撮っているんです。札幌・函館は、うんと後になりました。

―いずれ、奥井さんのフィルムは、サウンドフィルム篇を計画していまして、そのあとビデオ篇まで構想がありますから、楽しみにしておいてください。

―美濃町線や谷汲線・揖斐線は名鉄篇に出てきますが、それとぜひ合わせて観ていただきたいと思います。

奥井 そうですよね。

―今回の撮影は昭和48年と52年ですが、この52年の方に札幌から来た電車が映っているんですね。でも、(この当時も)タブレット交換をしていて、続行の電車も丸い標識を掲げて走っています。

―そして、富山です。富山はどうなんでしょう。案外、今と雰囲気は変わらないような気がしますが。

奥井 変わらないですね。

―いろんなことは、今とは違いますが……。

奥井 車両も変わりませんし、ちょっと色が違う程度で。

―当時は、西町からまだ東部線が走っていたころで、今はこれがないんですね。

奥井 ええ。

―逆に今は、セントラムと呼ばれる富山都心線が出来て、まあ西部線が復活した形に近いんですが、循環系統が出来たりしています。当時の富山の印象とかはいかがですか。

奥井 あそこは、やっぱり富山地方鉄道(鉄道線)が中心になってしまうからね。よく、あれだけ撮ったと思いますよ。乗るのも一通り乗ったし。あれで、精一杯ですね。

―逆に言えば、今も元気で走っているし、ニュートラム(富山ライトレール)もできたりしています。JR富山駅の高架が出来て下が通れるようになったら、乗り入れできるようになるらしいですし。

奥井 そうね、それを楽しみにしています。

―ホントに、目が離せないところです。好きなところなんで、食べ物は美味しいし……(笑)。

奥井 富山駅前郵便局へ行きたい。

―何があるんですか。

奥井 郵便局のね、スタンプが……(笑)。

―あー、そっちの方の、郵便局のハンコ集めですね(笑)。

奥井 そう、駅前がつく局を気にしているの(笑)。あと、兵庫の西宮とね。

―西宮はなんですか。

奥井 西宮駅前局というのがあるんです。それでその2つは気にしてるんです(笑)。

―まだ、ゲットされていないんですね。

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