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奥井宗夫のむねのおく第3章1

奥井宗夫インタビュー

「よみがえる総天然色の列車たち第3章1

国鉄篇<前篇>」のむねのおく (その2)


(その1)から続く

―そして今回は、上諏訪とか中央東線方面の映像もありますね。

奥井 あれは家族旅行の合間にちょいちょいちょいと撮ったんですわ(笑)。

―スカ色の115系は、私も晩年に別の作品で追いかけていたことがあったんですが、今回の映像では長い編成で走ってますよね。

奥井 あれ、一所懸命撮りに行った、家内待たしておいて……(笑)。

―なんですか、急行に使っていることもあるんですよね。

奥井 ええ、今では考えられんことです。

―急行「たてしな」ですよね。確かに車内には、ドア横の2人掛けのロングシートにも、窓のところに座席番号が振ってありました。何に使うんだろうって思っていたことがあったんですが、こういうことだったんですね。座席指定で使うことがある。座席指定で急行やぁって乗ったら、ドアの横のここですか、みたいな。まあ、苦情が来たかもしれません。(笑)

(編集注:例えば、あるロングシートの扉寄りが「5A」クロスシート寄りが「5B」、その向かいは「6A」「6B」というように座席番号が振ってあった)

奥井 今じゃ考えられん(笑)

―まだこの頃っていうのは、165系にビュフェが連結されているのが写ってますからね。使っていないとはいえ。まだまだ、中央高速道も開通してないし、例えば東京から信州方面への……。

奥井 観光で行くのはどうしても乗らなきゃならなかったですね。

―まだまだメインの時代なんですよね。そんなことがいろいろ映像から見えてきますね。

奥井 面白いフィルムですね。

―そのあとの身延線は、ここも当時165系の急行「ふじかわ」が出てきます。今は特急で走っていますけど、普通列車はほとんど旧形国電が走っていた時代っていうことですか。

奥井 そうですね、あの時はまだ旧形車、全部残っていましたね。

奥井 もっと前に行きたかったんやけど。

―関西系の車両じゃないやので、なかなか馴染みがありません。クハ47とかですね、あんなリベットだらけの2扉の車両とか。

奥井 あれは32系の流れですよね。まあこのころは、カメラを変えるのがやっとの時代ですわ(笑)。

―(笑)。それとマメに東京近辺で、集めてみると結構いろんな電気機関車が、撮られていて。

奥井 ええ、多いですよ。

―前に第2章の時に青梅線を扱ったことがあったんですけれど、まだその続きがあったのかと。EF15はまだあったにしても、今や山手貨物線に貨物が走っていることが一日何本かあるかどうかですよね。

奥井 ああ、そうですね。

―それにEF13にED16、そして黒磯辺り。前のフィルムでは、元気に走っていたEF56とかEF57とかは休車になっていて。宇都宮運転所に留置されています。ああ、ついに休んだかっていう感じですか。

奥井 そうです。あれはもうちょっと、旅客列車を撮りたかったですよね。こっちから行くにはちょっと遠すぎました。

―上越線とか信越本線も前と別の時にいらっしゃったんですか。

奥井 もう一回行ってるね、なんかの目的で。上信(電鉄)かなんか乗りに行った時か。

―完全に183系が主役になっている時代ですよね、この上越線は。

奥井 あの183系を知る人も少ないんだろ。でも、まあ一応撮ってあります。

―当然ご存知のように、昭和57年11月15日の上越新幹線開業、大宮からの暫定開業でしたか、あの時に吾妻線の系統以外は全部なくなっているわけですからね。このタイミングで181系の「とき」は完全に引退したという時期ですよね。

奥井 はい。貨物列車をご丁寧に後ろから前まで撮っているのは少ないでしょ。

―編成も長いですしね、いわゆる幹線としての風格がある……。

奥井 ありましたね。

―新潟県に入ったところで、岩原とか越後湯沢近辺の、奥井さんがお気に入りの地域でも撮影されています。

奥井 確かにあそこ、風土がありますね。沿線も歩きやすいし。

―ええ。僕も一昨年になりますけど、115系を追っかけて行ったんですけど、楽しかったですね。上越線はね。

奥井 楽しいですよ。上手に畦道、歩きますから。

―信越本線の碓氷峠、これも別の時でしょうか。

奥井 ええ。あそこはやっぱり憧れの地ですよね。

―はい。

奥井 親父がやっぱり興味があったもんだから、あそこの5万分の1の地図を残してくれていて。それで余計に興味はありました。

―時代的にちょっとずれたんで、残念ながら奥井さん時代には撮影出来てないんですけど、草軽電鉄もありましたね。「カルメン故郷に帰る」の世界だと思うんですけれど、あれがあったらと。映像がと言うよりも鉄道自体があったら是非とも乗りたい路線の一つだったなと思います。

奥井 頸城鉄道とかね。あそこらへん、乗りたかったな。

―きっと、今だったら結構なね、人気の……。

奥井 路線になってると……。それがね、国道に沿って、全部残ってるんですね。で、こないだね、水郡線、あれ3分の1ぐらい乗りましたけど、途中の駅から横へ出て鉄道が走ってたらしいですね。

―ほう、そうなんですね。

奥井 で、今はJRのバス路線になってて、その跡を丁寧にトレースするんですよ。楽しかったですよ、あれ(笑)。何走っとったんだろ、あれ。

(編集注:途中の磐城棚倉駅から東北本線白河駅へ、白棚線という路線が走っていた。大正5年に全通し、戦時中の昭和19年に不要不急線として休止、そのまま復旧しなかった。戦後路線跡を利用してバス路線に転向、そのままJRバス関東に引き継がれて現在も運行中)

―水郡線自体も、私は乗ってからそれこそ30年とか経っているんで、あんまり印象がないんですよね。しかし近年は、どこの路線でも久々に乗る路線は、絶対楽しいですよね。前に乗った時よりも、何か色んなこと、多少なり見聞きした分しか知らないけど、ここはこうだななんていう見方が……。

奥井 違ってきますよね。

―違っているんですよね。前は何も解らないで乗っていたのが。

奥井 あの、水戸辺りも、もっと乗っといたらよかったし、土浦にもう一回行きたいわ。あれは素晴らしかった。

―残念ながらいろんな路線がなくなってしまいましたけどね。筑波鉄道もなければ、鉾田に行く鹿島鉄道も。

奥井 あれなんか、懐かしいよなあ。

―私は、鹿島鉄道は辛うじて乗りましたが。

奥井 うんうん。

―「よみがえる総天然色の列車たち第3章」には「私鉄篇」に、関東鉄道常総線がまたちょっと出てきます。

奥井 ええ。

―あれはちょっと印象深くってね。すごい都市部の、近郊路線で住宅開発が進んでいて、複線なのに非電化なんですよね(笑)。

奥井(笑)

―ところで碓氷線撮影の時は、一旦軽井沢から電車で横川に移動して、それから車で戻ったんですか。

奥井 いや、あのね、途中で撮ってるんだから、かなり歩いたと思うんだなあ。丸山変電所のちょっと上まで歩いているんだわ。第一トンネルの上まで登ってるから。それで上から、キハ82とED42の4連とやり過ごしてるから。けれどその時はまだカメラがなかったんよ。スチールしか持ってなかったから。

―今回は、熊ノ平駅が写ってますけど、そこも歩いて行かれた、と。

奥井 歩いて行ってますね。

―ということは、過去も今回も、何度も……。

奥井 ええ、歩いて。

―相当な距離ですよね。今でこそ、丸山変電所の先まで、廃止になった線路を使って、トロッコみたいなもが走っていますが、一昨年、車からどれくらい廃線跡が見えるかなと車を運転して行ったんですが。

奥井 明確に残ってますね。

―廃止前には1回ぐらいしか乗ったことがないのですが、碓氷峠ということで、特別な思いで、噛みしめるような思いでしたね。わざわざなんか、水か何か買ってきて、窓際のテーブルでコップに入れて、傾きを見ながら乗っていました。

奥井 碓氷峠は好きでしたね。

―軽井沢の駅で、EF63の運転士と長話になって、出発時間の前になって、しまいに乗っかって行くかっていう話になったんですけど。あれは乗っかって行かなかっていうのが一生の後悔で。

奥井(笑)

―鉄道文化村で機関車の運転体験の取材でキャブに乗せてもらって、短い距離を走りましたけど、ま、それで多少取り返したかなって思いがありましたけどね。今回もまたフィルムに出てきて、よかったなあって(笑)。

奥井 あれこそ、ホントにビデオで撮るべきもんやったと思いますわ。

―はい。いろいろ撮った後でまた行かれて、撮ったんだろうなっていうのが、今回は横川駅のおぎのやさんの前のアプトの歯車レールの再利用までちゃんと撮られてて。

奥井 あれは有名です。

―軽井沢の駅前にもあったとはね。ちょっと懐かしくて……。

奥井 だけど、今の人が見たら、あれ、わからないでしょ、訳が。

―そうなんですよね、絶対わからないですよね、ええ。編集作業しながらグーグルのストリートビューで、この辺変わってるなあ、とか(笑)。変遷が激しいですよね。ちょっと離れると北陸新幹線ができていて、信越本線そのものがないわけですから。いろんなことに思いが膨らんでいきます。

奥井 軽井沢の駅前、大型のバイクしか走ってなくてね。400以下の車だと、なかなか登っていかない、あの峠を。だから、超大型のバイクばっかり。

―小さいのだと、しんどいのですね。

奥井 うん。

           

―話は前後しますが、今回の作品の中でも、最後に天王寺の話をお聞きしないといけないですね。

奥井 あれ、僕はその気はなしに、気軽に撮っているんですけでね。

―てっきり、水害で車両が今こんなことになっているからと、大急ぎで撮りに行かれたのかと思っていたんですが。

奥井 あの時僕は、12系の臨時があったのを、中心に撮りに行ったと思うの。

―「きのくに」の。

奥井 ええ。で、101系が来ると、色が全部違うし。それで思い出して、ついでに撮れるものは撮っておこうと。まさにカラフルでしたもの。

―何しろ、調べたら100両ものが床上浸水して、そのうちの113系は全部復旧したらしいんですけども、101系ばかり60両が廃車になった。大量廃車ですよ、こんなのは、戦災以外ないでしょ、大量被災は。

奥井 工場火災はちょいちょいあったけども、少ないですよね。

―ええ。それで淀川電車区から6両、それから東京から54両持ってきたってね。その東京からのやつは廃車になるやつを延ばしたっていうことでね。

(編集注:昭和57年8月の台風10号による風水害で、王寺駅近くの川が氾濫、113系40両、101系60両は床上浸水の被害をこうむった。113系は快速用に申請した冷房車だったので、各地の工場で復旧工事が行われたが、101系は非冷房車で、数年後に103系に置き換えて廃車予定だったため、廃車を繰り上げ、片町線から6両、総武中央緩行線から54両転属させて補った。そのため、ウグイス色のほかにオレンジバーミリオンやカナリヤ色が混在する状況となった。転属してきた101系は4・5年後に、201系を投入した東海道線から転属してきた103系と置き換えられ、廃車となった。)

奥井 あんなにカラフルになっているとは思わなかったな。

―初めはてっきり、電化の時に転属して持ってきたものかなと思ったのですが、時期的に違いますからね。なんだろうなと。

奥井 見とって楽しかったね。

―国電ファンにはたまらんことでしょ。混結しているは、101系のしかもカラフルなやつがですよ。当然しばらく使うからって、前に黄色い関西線の路線色を巻いているじゃないですか。

奥井 東京の人は喜ぶでしょうね。前のフィルム(第2章)には、113系の混色がありましたね。

―はい。そうですよね。阪和線色とね、関西線色とね。私が小学校5年の時に、悩みに悩んで最初に買ったHOゲージの鉄道模型が、113系の関西線色の4連でした。好きだったんですよ、あれ。永らく快速として環状線に乗り入れしていましたけど、大阪駅で見るたびに、おおっ、ていう感じでしたからね。

奥井 それを思うと、懐かしいフィルムでしょ。

―ええ。しかし現実には桜井線や和歌山線で走っている姿を見た覚えがなかったんです。

奥井 よう、こまめに動いているでしょ(笑)。

―ちゃんと行くとこ行ってはるなっていう感じですね(笑)。まあ、吉野口なんていうのはね、第2章の「近鉄篇」で、吉野線の貨物のフィルムもありましたので、見比べてみたりすると非常に面白くて。ちょうど30年前っていうのは、多分現在40歳以上の人には、おおっ、て言う……。

奥井 フィルムやと思いますよね。

―仕事なのですけれども、そっちのけで非常に楽しませていただき、本当にありがとうございました。第2巻は国鉄時代のディーゼルの方で、そのあとはJR発足30周年に合わせて、JRのフィルムが登場していく予定になっていますので、私も非常に楽しみにしております。ありがとうございました。

                                         <了>


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