カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客さまの声・ご感想 サイトマップ
RSS

 

奥井宗夫のむねのおく 2-18

「よみがえる総天然色の列車たち第2章18 路面電車篇<前篇>」のむねのおく(その2)


―それと、私も九州にしばらく住んでいたことがありますので、福岡も馴染みがある方なんですが、西鉄が面白いんですね。

奥井 ちょっと面白いですね。

―福岡の撮影は、まだ廃止が始まる前の昭和46年で、ちょうど神戸市電がなくなる年……。

奥井 花電車が良かったでしょ。輝いていて。

―西鉄大牟田線が出てくる西日本私鉄篇でも薬院の所、福岡市内線では城東橋ですが、軌道線の方で電車が数珠つなぎになっています。先ほど出てきましたダンゴ運転が福岡の方でもあったのかなかったのか、前後関係がわからないのですが……。

奥井 あれねえ、割に定時運転してたんじゃない?

―そんな、ダンゴになっているような感じではない?

奥井 そんな感じじゃなかった。

―明治通りで軌道内を車が走ったりしていますが。ということは、需要があって本数があんなにあったということ……。

奥井 そうでしょう。

―そうですよね。どっちかなって思ったのですが、本数が多かったという話ですね。

奥井 本数は確かに多かったですよ。だから、撮っていても次から次へと電車が来るし。

―城南線と貫通線、呉服町線が廃止になる2日前の映像もありますが、最初の46年のフィルムに、この平面交差で数珠つなぎになっているカットが出てくるのですが、そもそも城南線を廃止する必要があったのかな、と思いまして。明治通りを走っていた貫通線は地下鉄のルートと完全に被り、呉服町線も地下鉄が博多から祇園・中洲川端で曲がって明治通りに入るので、どちらも廃止の必然性はわかります。でも、地下鉄のルートでもない城南線を何故廃止したのでしょう。

奥井 うーん、わからないですね。

―ある資料によると、バスの代替がしやすかったから、とありましたが、まあ本当のところはいつか西鉄に聞いてみるとして……(笑)。

奥井(笑)

―渡辺通りから薬院、城東橋を通って西新までのルートというのは、都心ほどではないですが、結構賑やかな通りで、大学やNHKなどもあります。

奥井 そうそう。

―結局、七隈線が通ったりするような場所ですから、お客は多かったと思います。

奥井 うん、お客さんは多かったですね。それで(電車が)次から次へと来て、しかも500形ばっかりで……。車両的にはちょっとつまらなかったけれど、お客さんにとっては便利やったと思いますね。

―まあ、連接車もバンバン走っていた西鉄ですからね。このあと北九州線の連接車でしたか、広島に行ったのは……。

奥井 ええ。

―のちの宮島線直通車両の、長編成化につながっていくことになったと……。

奥井(笑)

―いわゆる都市の格としても、100万都市の、当時は六大都市、いや八大都市と言われたんですかね、それらの都市と同じように、福岡の電車も廃止に追いやる必要があったのかどうか……。

奥井 僕も九州は、親戚がいたので昭和30年頃から行ってるもんだから、割とよく知っている方なんですよ。それで、うまいこと(昭和50年の)最終に間に合った。

―乗りながら撮るというのは奥井さんのスタイルなんですが、昭和50年のフィルムで博多駅前から出発して貫通線を東に向いて乗って行かれています。

奥井 うんうん。

―千代町を過ぎて専用軌道に入るところで、一生懸命にアスファルトで舗装してはるんですね(笑)。これが面白かった……。

奥井 あんなんだったんだねえ(笑)。

―最初、何をしているのか、解らなかったんです。地下鉄工事用に専用軌道を搬入路として使うのかなあと思ったけれど、それなら廃止してからやったらいいのになあって。電車を走らせながら作業しているから、何でかなあと読み解いていくと、途中の箱崎や馬出で停留所のホームにバスの標識を立ててあって、ビニールを被せてあるんですね(笑)。

奥井(笑)

―そうか!電車を廃止した翌日からバスを走らせるんやっ!(笑) 取り敢えずここを代替バスが走るようにしている。これが面白かったですねえ(笑)。電車が廃止になるのは残念な光景ではあるのですが……。

奥井 まあ、こっちは撮るものは撮らなきゃっと思って、撮っていますから(笑)

―ええ。そしてそこから折り返して来て、ずっと繁華街を通って、車なんかがごちゃごちゃしているそこを抜けて行って、平和台球場とかを見ながら行くわけですよね。西新まで来たら花電車が走ってきて。

奥井(笑) 花電車にしても離れてワンカット撮った覚えはあるんだけれど……。

―はい。

奥井 商店街のど真ん中で。

―ああ、そうですか。

奥井 ベンチみたいなものがあったので、靴を脱いで上がって、撮った覚えがある(笑)。

―あれ、そのフィルム出てきませんよ(笑)。ここで私がいたく感銘を受けたことがありまして、西新の停留所あたりで古い洋館を撮っておられるんですね。まさか、もしやと思って西鉄100年史を出して調べたら、一時期使用していた西鉄の旧本社ビルなんですね。

奥井(笑)

―奥井さんは当時、これが本社ビルだったというのをご存知だったのですか?

奥井 いや、私は知らなかった。とにかく背景として写していた……。

―えっ、西鉄の旧本社ビルとは全然ご存じなく、背景として撮っていた!? 建物として良かった……。

奥井 そうそうそうそう(笑)。

―そういうことですか(笑)。

奥井 何でもいい、とにかく何でもいいから撮らなきゃっと思って……。そこまではこちらも解らないですよ(笑)。

―逆に言えば、何を背景にしてどう撮るかというのは奥井さんのセンスが伺えるお話ですね。

奥井 それはそう言えると思います(笑)。

―常々うまい場所で撮られているなあと思っているのですが、ポジション的にもあそこに置いておくとちょうどいい感じになると……。

奥井 そうね、建物そのものにも興味がありますから、さっきの本社の話じゃないですけど、いらんとこまでこっちは手出ししますから……。

―城南線の電車がいい具合にカーブで出てくる、後ろに立っているんですね。見事なカットですね。今、確かあの場所はドン・キホーテになっていますが……(笑)。

奥井 ああ、そうですか(笑)。

―室見橋を過ぎてからは単線になります。ここでも広島でもそうなんですが、割と電停に安全地帯がないんですね。道路にそのままお客さんが降りるっていう、考えられないようなことで、今でこそバリアフリーでノンステップの超低床車両が走っていますが、映像では40センチぐらいあるようなステップを降りていて……。凄いですよね。

奥井 これが皆、当時は常識として通っていたんだから。

―ええ。

奥井 あれは凄いですよ。今では考えられない。

―そもそも、そこにどうしようかという発想がない。安全地帯を置く場所がないのだから、なくて当たり前だ、みたいな……。

奥井 そうなんですそうなんです。

―とにかく、そういう景色が目白押しですよね、この作品は。

奥井 そうそう(笑)。嵐電の幅の狭い停留所(三条口、現西大路三条の上りホーム)が残っているのも……(笑)。

―あれぐらいです、変わらないのも(笑)。

           

―北九州の西鉄北方線にしてもですね……。

奥井 そうです、車内のちょっと狭いのもちゃんと撮ってあるから(笑)。アッ、狭い、って(笑)。

―あれは結局、カーブですれ違う時に当たるから、先を削ったようなすぼめた車体になっているんですね。鹿児島もそうですけれど、とりわけ北方線は狭いですよね。廃止に近い時期ということですが、車内のワンカットを見ても判るように、普通にあれぐらい乗っていたのか、お客さんが多いなと……。

奥井 乗る時、一斉に群がるようにドアに押しかけていますからね。

―今でこそ少子化もあってお客さんが少なくて、どうやって堪えようかとやっていることを思えば、当時あれだけお客さんがいるのにどんどん廃止していっているのが、信じられないことです。

奥井 現金が重たかったんです(笑)。

―だからキャリアで運ばないといけなかった(笑)。まあ、運賃箱にお金を入れるのは今もありますけれど、どちらかというとカードが普及してきて……。

奥井 そうそう。

―小銭しかないわけですからね。千円札を両替してくれたかもしれませんが……。

奥井 しなかったでしょう?

―昔は、バスとかで一万円札を出したら、運転手がお客さんに呼びかけて「すいませーん、両替できる方いませんかあ?」、ということがありましたけど。たまにカードもなく小銭もないままバスに乗ったりしてしまうと、神戸の市バスの場合ですが、「じゃあ次回2回分払ってください」って言われますね。

奥井 そうそう、あるある(笑)。

―西鉄も福岡市内線がなくなり、だいぶ時間の差はあるんですが北九州線もなくなってしまいました。どちらも何回か撮りにいらっしゃっていたのですが……。

奥井 だから、2回目に撮った時とかなり印象が違うでしょ。車体の色にしても、変わっていたりして。

―そうなんですよね。

奥井 だからつい、つられて(撮りに行く)、色が変わっているっていうことがわかっているもんだから。

―ええ。そして、面白い風景もいっぱいありますよね。

奥井 あの、三叉路の真ん中に停留所があってねえ。あれ、凄かったね(笑)。

―そうなんですよ。幸町(西鉄戸畑線・枝光線)の三叉路の所ですね。あれ、三角線の真ん中のところに安全地帯があるんですが、よく見ていると、線路に接しているのはカメラ側の一か所だけなんです。

奥井 そうそう(笑)。

―残りの二方向というのは線路から離れていて、お客さんは道路を渡ってそこから乗り降りしている。

奥井 そうなんです。あれは、すごい感覚やね。

―後々に、廃止される直前ぐらいに安全地帯が拡張されて、三辺とも線路に接するようになったんですが。

奥井 うーん。

―それはだいぶ後のことです。ただ、それはそれで真ん中に丸い屋根を付けて丸いベンチを置いてあったという、面白い所で、しかも後ろには若戸大橋があって……。

奥井 あの感覚、面白いよね。

―で、その若戸大橋を渡るとですよ、その向こうに、昔若松市営軌道だった、北九州市営軌道があるんですよね。こんな光景があるのかという、貨物列車が、専用線でちょっと道路を横切るということはあっても、併用軌道で電機に牽かれて……。

奥井 道路のど真ん中を抜けていくんですからね、すごいですよ(笑)。

―ねえ(笑)。あれって、何なんだろうかって思いますよね。

奥井 それで、そこを過ぎると、堤防にピタってくっついて……(笑)。

―これ、面白くて、仕方がないんですよね。

奥井 ホントに、感激しましたよ、あれは。

―土電(土佐電気鉄道)の伊野の方にもちょっとあるんですが、上下一車線の道路の、その片側に線路が敷いてあるものですから、これもよく見ていたら、貨物列車が来たらバスが反対車線に逃げているんですよね。反対車線に避けたら対向の車も止まってしまってにらめっこ状態になっているし、その手前ではおっちゃんが荷物を落としていて(列車に)轢かれそうになっているし、人は慌てて走って横断するし……(笑)。

奥井 あそこでね、何として撮ろうかと思って……(笑)。しかも列車が着いたらね、他の2台の電気機関車が来て入換えしちゃうんですよ。

―はあー。

奥井 牽いて来た機関車は一旦切り離してそのままにしておいて、別の2台の電気機関車が入換えをするんです。

―ちゃっちゃとするんですね。

奥井 はい。で、あっという間に片づけちゃうものだから、こっちは何として撮っていいものか、その判断で弱ったわ。

―はあ、なるほど。

奥井 うん。電気機関車を前と後ろにつけて入換えする列車を、僕何本かとっているけれど、あそこのはびっくりした! 従業員も運転士もヘルメット被っているでしょ。

―なるほど。あー、そういうところを見ておかないといけませんね。

奥井 あれ、感心するね。

―貨車がね、結構長いなあって思ってよく考えてみたら、ここの線は、筑豊の炭田で出てきた石炭を港に運ぶ若松の駅がちょっと前にあって、さらに奥の別のところから船積みするために運ぶ線だったわけですが、この当時の貨車はといえば石炭はなくて普通の有蓋貨車を牽いている、つまりもう石炭を運んでいない時期であるわけですね。

奥井 そう。あれも面白かったですよ。

―ということは、石炭を運んでいた全盛期の頃はどんなことになっていたんだろうかと、すごく興味がありますよね。尤も、車はそんなに多くなかったとしても……。

奥井 時代を遡っていくと、面白いと思いますよね。

―面白いでしょうね。まさにこれが昭和なのかなって。

奥井 くろがね線にしてもそうやしね。

―他に田野浦臨港線っていうのも北九州にはありましたが、全然違うんですよね。この北九州軌道線とは。

奥井 記事に出てこないでしょ。だからね、行ってみないと、どないなっているのかは全然わからないですよね。

―情報がなかったんですか。

奥井 なかったなかった。あんなとこまで、誰も行かへんもんで(笑)。だから、当てずっぽうで行って、適当に行かな仕方ないですよね。商店街も撮りたいけれど、そんなとこまでフィルムはないし、フィルムはぎりぎりで計算していきますから……。

―今みたいに回しっぱなしみたいなことは、出来ませんからね。

奥井 そうなんですよ。

―そこはそうですよ。計算しておかないと、「ああフィルムがなくなってしまった、しもたエエのんが来た」みたいなことに……。

奥井 僕もしょっちゅうありますよ(笑)。

―でもね、ある意味そういった失敗がなかったから、こうしてフィルムが残っているわけでしょ。計算し尽くして撮っているようにしか見えない。だけど実は、撮り残しているものがいっぱいある、という話ですね。ということは、当時は面白いものがそれだけいっぱいあって……。よく奥井さんは、「僕は撮り屋ですから片っ端から来たものを撮っただけです」なんて謙遜されていますが、事実来るものが面白かった。

奥井 そうなんですよね。

                               (つづく)

商品ページへ

「よみがえる総天然色の列車たち第2章18路面電車篇<前篇>」のむねのおく(その3)へ

奥井宗夫のむねのおく トップページへ

ページトップへ