奥井宗夫のむねのおく 2-6
奥井宗夫インタビュー
「よみがえる総天然色の列車たち第2章6名鉄篇」のむねのおく
奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。
―今回「名鉄篇」が発売になりますが、如何ですか? ご自分の映像をざっとご覧になって。
奥井 やっぱり懐かしいっていうのが半分あるね。独特の「オリーブ」というグリーンがね。名鉄と近鉄との差があって、近鉄は鮮やかなグリーンだし、名鉄はかなりオリーブ掛かっているものだから。松阪の方へ名鉄の車が入ったことがあるんですよね。向こうからも入って来るし、こっちからも向こうへ行くし。ところが色がものすごく地味なものだから。ナンバーの書体も違うし。
―戦後の一時期、名古屋のトンネルの中で線路が繋がっていたんですよね。
奥井 そうなんです。ですからこちらにいてもモ800なんかは見た覚えがあります。3連で、お伊勢さんに参るのに松ヶ崎で乗り換えするわけ。伊勢線から山田線へ。こっちからもあっちへ入って行ったんですよ。鳳来寺まで。団体募集していましたから。
―鳳来寺というのは飯田線の先の?
奥井 はい。名鉄からさらに乗入れて行ったわけですよね。豊橋鉄道の田口線まで入って行ったんかな。
―飯田線から分岐していた線ですよね。
奥井 そうそう。団体募集は気にはしてたんだけど、僕はまだそこまでは乗る気になれなかったから。
―凄い歴史の話になるわけですけれど、フィルムに残っているところだけ見ても、いろんな事が写っていて。
奥井 そうです。もっと撮りたかったね、確かに。
―今回登場した中で、一番わーっと思った車両は何ですか。
奥井 やっぱりモ800が好きだね。こっちにも同じ車両がいたでしょ。そやから余計懐かしいですよね。5121系ぐらいと違うかな。同じ車体を使っていて。車体が余っていてそれを伊勢電が買うた車両だと思うんです。
―そういう意味でも松阪にお住まいの奥井さんとしては馴染みがある。
奥井 懐かしい。で、色見てびっくりした(笑)。
―あと、名鉄と言えばパノラマカー。最近まで走っていましたが、本当にこれが全盛期の頃で。
奥井 パノラマも鉄道友の会名古屋支部の試乗会に呼んでいただいたんですよ。
―そのとき撮影はされなかったのですか。
奥井 あの時は8ミリとスチル、両方持って行ったが、8ミリは撮らなかったな。しかしあれは偉大な電車でしたね。
―例えばどんな所が?
奥井 オール転換クロスシートで最後まで使ったという所が大したものだったね。
―車内先頭の所の上についている……。
奥井 スピードメーター!
―電管が前後にパラパラするやつが印象的だったんですけど。
奥井 この間半田の方に行った時にあれに乗ったんだけど、スピードがほとんど上の方まで行かないんで、あ、ちょっと可哀想やなと(笑)。
―先頭に乗ると狭いなぁと思いましたね。
奥井 僕らは近鉄の2200に乗っていたからね。シートピッチだけは他所の会社より落ちるというところはあったね。2200は別格でしたけどね。
◆
―あと、多くの特急用車両が出てくるんですけれど、キハ8000系が元気な頃で。
奥井 やっぱり私も気にしますからね。乗りに行きたいし。しかし最後まで乗れなかったね。
―国鉄乗入れ用でしたが色々なところが国鉄車両と違っていました。特急に格上げになるというので国鉄特急色になりましたが、その前のフィルムもちゃんと残っていますね。
奥井 やっぱり好きでしたからね。しかも6両のフル編成の頃が良かったですから。段々両数減になっていて、もっと乗ってやるべき列車でしたね。
―しっかり富山の方にも撮りに行かれて。
奥井 あれはやっぱり撮りに行かなきゃいけないという義務感があって(笑)。
―高山本線の画も良かったですね。
奥井 あれは一回逃しちゃったんです。えらい目に遭いました。歩いている間によそ見していたら、すいっと行かれちゃってね。「あっ、しまった」というんで、あれは2回行きました。
―あの場所は土木工事の関係で今は入れなくなったそうですね。
奥井 そうですか。場所探しには一生懸命努力しましたからね。しかし歩くのには楽しいところでしたね。歩くのは大好きですから。今も東海道を歩いていますし。
◆
―名岐鉄道のモ800形に続いて850系が出たわけですが。
奥井 「なまず」は好きでしたね。あれが3連で走って来た時は本当に喜んで。間に800がひとつ入るんですよね。
―独特のスタイルでしたが、のちにスカーレットになってしまって。
奥井 あれも仕方ないでしょうね、時代としては。でも両方とも写ってるからよろしいよ。あれで。
―一方の3400系は同じ流線形でも随分違いますね。
奥井 そうですね。あれは前面の窓を直しているから余計ね。前はもっと優雅に思ったんですけれど。なかなか会う機会もなくて、やっぱり800や850の方が好きなものだから、どうしてもそっちの方を撮ってしまって。
―何故そっちの方が好きなんですか。
奥井 やっぱり800ぐらいの古い車体が好きですね。近鉄の2200と同じようにね。しかし勿論流線形時代の人間ですからね、3400もしっかり撮りに行きました。だから京阪の1000を取り損ねたのは本当に残念なんですよ。
京阪の1000、それからDD54ね。あれは完全に逃がしましたから。
―DD54を取り逃がしたというのはちょっと驚きですね。
奥井 そうですね。とにかく撮りに行きたかったんですけども、京都まで行くのが精一杯という感じでね。そこから先へは行けなかった。DD50もそうでした。
―青果業というお仕事柄……。
奥井 そうなんですよ。休みが全然取りないものだからどうしてもそういう格好なっちゃう。それでやっぱり地元優先ということになるわけですね。暇があると2200(笑)。
―日曜日には帰ってきて月曜日は早起きしなければ行けない。
奥井 そうなんですよ。
◆
―戦前から戦後にかけての一般型車両についてはどの辺が印象に残っていますか?
奥井 やっぱりモ401。あれは良かったなぁ! 小さい車両だけれども。あれがまさか走ってくれるとは思わなかったのが。車庫にいたんですよ。それが上手いこと出てくれたもんで。180と繋がって。
―出発を撮ってから乗り込んで。
奥井 そうそう。昔から連接が好きだったんで、西日本鉄道へもわざわざ500形を撮りに行って。気が多すぎるんですね、僕は(笑)。
―3700系。私はこれがなかなかいい顔しているなと思うんですけれど。
奥井 あそこら辺はいい顔してるでしょ。それに富山へ行ったグループもあるでしょ。富山地方鉄道へ。あれも向こうで撮れたで良かってですよ。同じ車両がならんで。
―それはそれで「ローカル私鉄篇」で出てくることになるわけですね。楽しみですね。それと3700系もそうですが5000系もカワイイですね。まん丸で。
奥井 あれも好きでしたね。最後までいらわなかったので余計目立ったですね。しかし意外と早かったのが残念だわ。もうちょっと長生きしてほしかった車だね。
―あれだけ丸いのはあと玉電のタルゴくらいですね。
奥井 そうそう。
―あと、築港線中心に電機が。
奥井 電機はやっぱり好きでしたね。HOゲージの模型を作っていた時代からEDというやつは好きでしたね。まだ「ローカル私鉄篇」で出てきますか?
―そうですね。上信もそうだし、三岐もそうだし、「関東私鉄篇」でも結構色々出てきましたね。
奥井 はい、出てきます。楽しみにしてください。
◆
―今回のフィルムの中で一番古いのは岡崎市内線ですが。
奥井 はい。あれは本当に、「なくなるから来いよ来いよ」と地元の人らが言うんですよ。
―車庫のところに皆さんいましたね。
奥井 大井川鐵道に行った白井昭さんがまだ名鉄の偉いさんだったので、その人が全部案内してくれたんですよ。
―大井川鐵道にSLを持って来た人ですよね。各社の車両も集めて。
奥井 そうそう。マニアでしたからね、彼も。
―岡崎市内線がなくなる直前の頃ですよね。
奥井 そうなんです。ポイントで分けずにああやってトラバーサで分けてたんですからね。ちょっと他とは違ってたんですなぁ。
―都電の荒川線の車庫と同じような、都市型ですね。
奥井 あれと同じです。
―単車がゴロゴロいてましたが。
奥井 あそこは電装関係がオール・シーメンスでしたから。素晴らしいと思いましたね。
―狭い道をかいくぐるように走る場面もありました。
奥井 自動車の時代になってしもうたと、いきなり時代が変わっちゃったんだなと思いましたね。
―大樹寺駅の場面で声を上げられていましたが。
奥井 懐かしいですよやっぱり。大樹寺駅から岡崎城が見えるんですからね。
―今だったらちょっとないような素敵な造りの駅でしたね。
奥井 そうでしたね。あそこは良かったですよ。ステップがあれだけ切ってあって。近鉄も一時湯の山線がああいう感じでしたね。
―なるほど、改軌前ですね。
奥井 はい。あの線は念入りに撮りました。ほんと行って面白かったです。もっと撮ってあったかなと思ったけど、案外撮ってなかった(笑)。それでもあれだけ撮ってればあきらめなしょうないですよ。
―ほとんど全部使いましたよ。捨てるところがありません。
◆
―話は変わって瀬戸線ですが、一番印象的なところと言うと。
奥井 やっぱり電気機関車ですね。デキ200形。あれやっぱり、もうちょっと撮りたかったなと。ワンカットだけでしたから、1日行って。貨物列車は1日2往復もなかったでしょう。当たりも付けずにいきなり行っていきなり撮ってくるんですからそれは仕方ないですよ。
―私が中学の頃にお濠電車がなくなってガントレットが消えたんですが、その動画を観たのは今回初めてなんですよ。
奥井 そりゃそうでしょうね。誰も撮ってないもん。でもいかにもあれでローカルムードが一遍に出るんですよ。
―岐阜市内線などの今はなき路線も沢山出てきますが。
奥井 行きたい所はいっぱいあったけれども、あれが限度だったな。僕としては。
―それでも3度いらっしゃったんですよね。
奥井 行ってます。一遍行ってよかったから、つい、もう1回足を伸ばして。
―さっきも話に出ましたが、谷汲線ではモ400形が。
奥井 ボディーは新しい、あとの時代のものですから、しかも単車を改造して連接にしたわけでしょ。ですから確かに面白かった。
―5枚窓のモ510・モ520については如何ですか?
奥井 面白かったでなあの車も。何しろクロスシートだから。良かった!(笑) ここにはクロスシートの車両が沢山ありましたね。路面電車なのに大したもんだわ。
―美濃町線もそうですが、岐阜市内線では急行の続行運転が行われていたわけですが、編集の準備を始めた時は、忠節で折り返す車両と、岐阜市内線から来た車両が併結をしているのかなと思って見ていたのですが。
奥井 2台とも来てるんですね、こっちから。僕も岐阜の駅前にいると単行で来て単行で帰って行くもんだから、なんだ、こんなもんかなと思っていたら、向うで連結になるもんだから、あっと思ってびっくりした。ああいう事あるんですね。でも間隔は大分開いてましたよ。
―ああ、すぐ前を走るんじゃないんですね! 美濃町線は目の前を走っていたもので、それと同じかと思っていました。その美濃町線も面白い線ですよね。
奥井 面白いです。確かに面白いです。
―雰囲気が土佐電鉄の郊外ととても良く似ていて。しかし線路がガタガタで、駐車場や工場の前を横切る所は車に踏みつけられて線路が完全にたわんでるんですよね。
奥井 だから運転士があんだけ揺れてたんですね。
―グーグルアースで見ると今も美濃町線は電車が走っているんですよ。しかも形が判るんです。モ600形なんです。
奥井 あの時電車1本分だけ美濃町の市内まで歩いたんです。あの街も素晴らしいですね。うだつのある街があって。美濃町線はなくなってももう1回行きたいような所ですね。
<了>