奥井宗夫のむねのおく 2-8
「よみがえる総天然色の列車たち第2章8国鉄ディーゼル篇<中篇>」のむねのおく
奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。
―「国鉄ディーゼル篇<中篇>」は前回のディーゼルカーに対してディーゼル機関車が中心なんですが、全体の印象として如何ですか?
―監修の宮澤孝一先生辺りは、逆に定点観測の面白さがあってこれの方がいい、前回よりこちらの方が面白いとおっしゃっています。
奥井 ああ、そう?
―ええ。「国鉄ディーゼル篇<前篇>」より<中篇>、<中篇>より<後篇>が面白いとの評価をいただいています。私も撮影が同じ場所ばかりだと退屈なのかなと思っていたのですが、案外そうじゃなくて、写っているものが全部違うのと、それを整理してひとつひとつ意味付けをして、それをどう説明し伝えるかというのをやっていく中で、私も段々面白くなって来たんです。DF50とDD51のフィルムがかなり沢山出てくるのですが、機関車の説明だけではなくて、後に何が繋がっているかという説明がしていけましたし。
奥井 それは大きいですね。編成全部を写していますから、何が繋がっているかが全部分って、その辺は面白いやろなという気はしますね。
―まずは旧客の面白さ。
奥井 もう少しバラエティーがあれば良かったんやけどな。
―そういう意味では戦前の半鋼製を改造したやつは余り出てこないですね。
奥井 意外とそれはここら辺では少なかったですね。
―東北の方とか……。
奥井 ダブルルーフにしても、窓のちっちゃい客車(半鋼製からの改造車)にしても、ほとんど入って来ませんからね、ここら辺は。御殿場線にデゴニを撮りに行った時には、スハ32の重たいのがずらっと並んでいて、「あ~」っと思ったけど。
―それは「蒸気機関車篇」でのお楽しみですね。私も昔よく乗ってたんですが、オハ35系とスハ43系の違いなんか、それほど意識していませんでした。しかしこうして編集しながらつぶさに見直していると、車体の裾を絞った所とか、屋根の丸みを帯びた感じとか、面白いですね。
奥井 うーん、色々あります。あれもね、一番素晴らしかったのは、マニ32の張上げ屋根の頃があるのね。1番。あれなんか素晴らしい客車でしたよ。作品には出て来ませんけど。
―43系にしても特急用として活躍した時代があった訳ですね。
奥井 やっぱり特急は東海道線でもっと撮りたかった!(笑)。
―微妙に数年、8ミリを写しだしたのが遅かったですね。
奥井 そうなんです。しかし当時はカメラやフィルムがどんどん良くなるし、それを待ってるんですよ。そのタイミングが難しい難しい。僕は国産機ばっかり使っていたけど、カメラとの巡り合わせだけは良かった。エルモの8Aという一番初期の機械を使わせてもらって、その次にキャノンの8EEEという機械を使わせてもらったんですよ。それは良かったんですが如何せん「弁当箱」と呼ばれるくらい重たくて、ダイキャストなんですよ、ボディーが。それで大方撮っている時にいわゆるスーパーエイト時代に変わっちゃうんですよ。上手いことすぐにニコンさんの5X(5倍ズーム)ですか、あのカメラを買うことが出来たんですけどね。けど当時はそれより上級機種の8Xが買えなかった。その後にしてもニコンさんの10倍を買えずに8倍で使い切りました。地方のカメラ店では品物が回って来なかったんで、良いカメラが買えなかったんです。そやけどやっぱり、最初にそのエルモの一番安い機械で、標準のレンズでどれだけ撮れるかというのを上手いこと習わしてもらったから、纏まりがついたと思うんです。最後にキャノンの1014-XLSという10倍のサウンドカメラを上手いこと人に譲ってもらいまして、どうにかこうにか辻褄を合わせました。
―私が買いたかったけど買えなかったやつです!
奥井 あれはみんなの憧れでしたね。その人は2年ほど使った所で、「わしビデオに替えるから」ということで、僕に半値でくれたんですよ。5万円で。ところがキャノンさんとニコンさんの画質の違いに愕然としましたね。キャノンは寒色系です。ニコンは暖色系です。同じフィルムを使ってもカラッと違っていて、ほんと冷や汗かきました。1983、4年のことです。
―黄色っぽいやつですか?
奥井 ニコンさんはどうしてもそうなるんです。逆にキャノンさんは水色になっちゃうんですよ。あれは難しかったです。内蔵のフィルターの違いなんですよ。それがモロに出ましてね、それでキャノン派はキャノン派なんですよ。ニコン派はニコン派なんですよ。
―好みが分かれるわけですね。
客車の話に戻しますけど、荷物車と郵便車、これらが相当色々と出てきて楽しかった所ですが……。
奥井 ええ。ただもうちょっとバラエティーが欲しかったです。割にオハニが出てこないからねぇ。
―写っているやつを検証して行くと結局皆マニ60とスユニ61色んなバリエーションですね。
奥井 そうなんですよね。昔はスハユみたいな全国に6台しかないのがゴロゴロしてましたからねぇ。それを思うと、ああ、あんな時代になってしまっていたんだなと、改めて思いましたね。
―そんな中で、10系がたくさん出ていたり、12系も登場したりしますが、シルやヘッダーがないスキっとした車体の、いわゆる「旧客」とは呼ばなくなった、けど充分古い時代の客車ですよね。
奥井 そうですね。
―そして、客車と同様に、機関車の後に繋がってる貨物も出てきます。
奥井 撮りに行った間に、来たやつは撮るように心がけていましたけど。
―今はほとんどコンテナになっているので、この時代のフィルムは楽しくてしかたがないんですが。
奥井 そうかもわかりませんね。あれは日によって編成がコロッと違いますからね。
―つくづくいい時代だなと。
奥井 もっと冷蔵車が出てきてもいいかなと思うんだけれども、やっぱり冷蔵車で輸送しても、間に合わなかったんだろうな。紀勢本線方面から東京まで送ろうと思っても。
―結局「とびうお」のような幹線系の直行型でないと……。
奥井 無理なんですね。使いたくても使えなかったのでしょう。「魚穫れたので冷蔵車回してくれ」とは言えない(笑)。
―機関車の話に戻しますが、DF50ってどうだったんですか?
奥井 エンジン音は高かったけどそれほど強力ではなかったですね。「マン形」ほどではなかった。器量はありましたけど。
―ここのは「ズルツァー形」でしたね。
奥井 はい。
―蒸気機関車との共通運用があったと聞きましたが。
奥井 はい、ありました。最後はC51とDF50でしたからね。どっちが来るかわからないと言う時期が確かにありましたね。でも、どこでもそうやと思いますよ。中央線辺りもDF50の重連が走ってましたしね。
―今回も重連が多く写ってますね。
奥井 あれは回送ではないと思うんですよ。やっぱりそれだけ力が強くなかったんだと思いますね。
―その辺りの事をナレーションでは強調して説明していないのは、一方ではもっと長い編成を1両で引っ張っているものがあったり……。
奥井 かなり無理して使っていたんでしょうね。
―ここは明確に重連の運用になっているとか言いにくくて。
奥井 両数にゆとりもなかったと思いますね。僕らもいつ来るかわからなくて、「あ、重連で来た」って言うぐらいのことで。意外と重連が多く写っているのは、単機だと撮らなかったというケースが多くありますよ。
―<後篇>では、そのDF50が引退していく「さよなら」の場面が出てきます。
奥井 キハ81も最後の活躍の場面が見られます。ギリギリの時に撮ったフィルムばかりです。
―<中篇>ではキハ81が紀伊半島をぐるっと回って阪和線に出入りしている映像が収録されていますが。
奥井 阪和線は「国鉄電気機関車篇」に出てくるEF52を撮りに行った時のものもあります。あの時はほんと良かったと思います。
―阪和線は国電区間ですが長距離列車は全部紀勢本線直通なので特急・急行は全部気動車という、そういう不思議な路線でした。煤で汚れた汚い車体のディーゼルが、電車の方も当時は汚かったですが、その中を闊歩しているという様が懐かしいですね。
奥井 阪和線、和歌山線は、もっと行くべきでした。行っても撮り損なうこともあるわけですから。家内連れて子ども連れて、それで撮っているんですから(笑)。せめてもう1日、それがなかなか行けなかったなぁ。でもまあ、これだけ写したらいいでしょう。