奥井宗夫のむねのおく 2-7
「よみがえる総天然色の列車たち第2章7国鉄ディーゼル篇<前篇>」のむねのおく
―今回は「国鉄ディーゼル篇」ということで、三重県松阪市が地元の奥井さんにとって、特に地の利を生かして撮影されたものが色々と登場するという……。
奥井 蒸機の撮影から始まったが、ついついつられてディーゼルも撮ってしまったという格好ですけど。ハコ(車体)自体奇麗でしょ? 色が着いているし。当然カラーフィルムを使ったものだから、余計エンジンが掛かってしまった(笑)。―今回は「国鉄ディーゼル篇」ということで、三重県松阪市が地元の奥井さんにとって、特に地の利を生かして撮影されたものが色々と登場するという……。
―あ、それまでは蒸機だと黒いから。
奥井 そう。それはあります。
―「国鉄色」と呼ばれる鮮やかなカラーで「くろしお」も登場しましたし。
奥井 それはやっぱり素晴らしかったですよ。上手い具合にキハ81が入ってきましたしね。
―今回特に驚いたのがキハ81系の試運転の映像でしたが。
奥井 偶然駅に行ったら、「今日上って行ったよ」と(駅員に)言われて分ったんです。「えーっ」てなもんで、これは行かないかんと撮りに行きました。(キハ81形は)まだ1両しか来ていなくて、名古屋でターンテーブルで方向転換して、翌日戻って来たんです。途中で撮って、松阪で5分停車位の間に構内に回り込んで撮りました。あれは運良かったですよ(笑)。
―前面に……、
奥井 「試運転」と紙で貼ってありました。
―紙ですか!?
奥井 正式なものではなくて紙で貼ってありました。この下は前の名前のままだなと。多分「ひたち」が入っていたんじゃないかな。
―そのあとキハ81系の活躍がしばらく続いていくわけなんですけど、その前段、キハ82系で特急「くろしお」がデビューした時は……。
奥井 あの時はね、当初松阪停車の予定は無かったの。松阪通過だったの。
―は!? 松阪を通過する!?
奥井 ファンの仲間から「奥井さん松阪停まらないよ」と電話が掛かってきたもんだから、当時駅に市会議員が2人いたので伝えたが、「そんなことあるもんか」って、皆のんびり構えているんよ。そのうち停まらないというニュースが本当に流れると、泡食って市長に言い、市長は運輸省の偉いさんの所に飛んでいったんさ。すると国鉄は松阪に「くろしお」を停める気は全然なく、津に停めて次は多気に停める気だったが、(陳情の甲斐があって)松阪が30秒停車になった。
―名古屋と南紀方面の速達性を重視するあまり松阪に停車させる気はなかったわけですね。近鉄特急もあることだし。
奥井 そうなんです。それで実際松阪に停めてみると、その30秒停車の間にお客さんが降りるわ降りるわ。でもドアが1両にひとつしか無いでしょ? だからとんでもないことになって。国鉄本社の感覚からしたら得ないので、東京から来て各駅の乗降客数を調べたら松阪がダントツで多いのよ。
―そりゃ本来で言うとそうでしょう。例えば東京からで言うと多分、名古屋で近鉄特急に乗り換えるということにはならないでしょう?
奥井 それで泡食って自動券売機のマルス102を松阪に持って来た(笑)。しかし松阪に停めたもんで表定速度は49キロになった。
―そこの所は特急としての威厳を保ちたかったわけですね。国鉄本社としては。
奥井 そうなんですよ。何がって言ったら、一番それが停めたくなかった理由で。だったら複線にすればいいのに。
―いくらでもやり方はありますからね。でも「くろしお」は当時、国鉄史上最遅の列車だった可能性がありますね。
奥井 事実そうでした(笑)。
―そんな経緯があっての、華々しいデビューの日というのがあの映像ですか?
奥井 そう。
―目から鱗が落ちるような奇麗な映像。カラーフィルムの本領発揮という所ですね。時代は前後しますがキハ82系で山陰方面に行かれた映像とかも。
奥井 あれもとにかく、出来たら行かないかん言うて。
◆
―キハ181系がデビューしてからは、「おき」が伯備線を走る映像が出ますね。僕らの世代だと「おき」は山口線の列車なんですけどね。キハ181系のデビューは中央西線が最初でしたが。
奥井 本当はキロ58を上手に撮りたかったんですが。中央本線しか走ってなかったので。
―結果はどうでしたか?
奥井 撮ってない。見に行っただけは見に行ったんやけどな、1回は。
―その代わりに出て来るわ出て来るわ。
奥井 思わぬもんがな。
―えらいことになっていますが、奥井さんとしてのお気に入りは?
奥井 キハ17の4連の奇麗な時は嬉しかったね。それと和歌山線のキハユニ16。
―あとの時代になって来るとディーゼルカーの普通列車は編成が短くなっていくんですが、ここでは奇麗な4連や雑多なものが6連、7連と、何じゃこれはというのが……。
奥井 あります(笑)。回送を繋いで来るのもあるやろうしね。余計に面白いんです。
―キハ55系は当初ああいう淡い黄色をしていて、1等車が青で2等車が赤ですか、帯が付いて。
奥井 そうですね。半室のキロハなんて面白かったですよ。
―キロハねぇ。中在家で出て来るやつですよね。画が短くてスーパーが入りませんでしたが。
奥井 当時は元々電気式から出発したキハも混じっていましたからね。そんなものももうちょっと撮りたかった。
―キハ17系やキハ20系を通して観ていると、車体の断面とか、普段気付かない違いが解ってくるのではと……。
奥井 それは面白いと思いますよ。
◆
―初の通勤形気動車キハ35系が登場する伊勢線開業の場面ですが、あれは面白かったですね。想像以上に盛り上がりに欠けていて。
奥井 あの時はまだ郵便車が走っていたので、その郵便車のスタンプ関係で行ったんですよ。
―記念スタンプを貰いに。
奥井 そうそう。それに郵便印もあったから。
―普通開業初日と言えばわーっと人が集まっているような印象があるんですが、4番列車とは言え、何か肩すかしを食ったような……。
奥井 郵便関係のついでに撮りに行ったようなものではありましたが、意外と静かなもんでしたね。
―この伊勢線というのは、10年ちょっと後には、赤字のお荷物路線として国鉄から切り離されて行くということになるのですが……。
奥井 本当言うと僕は、亀山―津間を廃止してでも残すべきやったと思うんですけどね。中央で考えることやと思いましたね。
―先ほどの「くろしお」の松阪停車の件と同じですね。
奥井 そうそう。
奥井 参宮線の方も冷遇されていったと思いますよ。昔はほとんど複線でしたもん。各鉄橋だけ単線でね、鉄橋の入り口まで複線で、かなり高速化されてましたよね。ましてC51の重連運転もありますし、べらぼうに機関士は飛ばしました。やっぱり近鉄があってこそライバル意識があって、スピード出して走ったんですから。元々津までは関西鉄道で、津からは参宮鉄道だったのですが、だからといって津で機関車を付け替えたのも不思議な話で。
―その参宮線や紀勢本線では違う系統の列車を、繋いだり外したりして走る多層建ての急行列車が、色々走ってましたね。
奥井 バラエティー豊かでしたね。それと急行「紀州」にしても新婚旅行などで結構お客さんが乗っていたのが、キロを2両繋いでいたことでも解ると思うんですが。えらい時は3両繋いでましたからね。
―その点でも地元での定点撮影の醍醐味のようなものがありますね。それぞれの車両の意味を読み解きながら観る面白さもあって。
奥井 踏切で大体情報を聞くんですよ。そうすると「今日はこんな臨時が走るよ」なんて事も早いこと判ったものだから、それでいい列車に巡り会うことができたんです。
―踏切ということは踏切警手さんからの情報ということですか?
奥井 そうそう。駅と卸売市場と家との位置関係は丁度間に踏切を挟んでいるものでね。だから市場から帰って来る時に情報を聞くと、すぐに撮影の準備をするわけです。
―しかし青果業を営みながらだと、近いとは言え色々とご苦労もあったようですね。
奥井 ええ。午前中はまず撮りに行けないんです。「昼下がりのカメラマン」(笑)。配達など、昼の紀勢線の列車を送るまで仕事はびっしりあるわけです。
―奥さんに伺うと、何かすぐ、「あの人いないわ」みたいな事になっていたそうなんですが、目を盗んで行かれてたんですか?
奥井 普通はメロン箱とかに一式入れておいて、それでツイッと積み替えて走らな仕方がない。
―配達を装って。
奥井 はい。
―奥さんからすれば、もうバレてたんじゃないですか?
奥井 もう分ってましたよ。箱がなきゃすぐ分ります。
―それで色々と出て来るわけですね。先ほどキハユニ16の話もありましたが、郵便車も色々と。
奥井 客車の郵便車もありましたからね。スハユなんて全国で6両しかなかったのが、時々走ってましたからね。紀勢線から来る郵便車と参宮線から来るのとがあるから、余計に繋いでるわけですよ。片方がスハニで、もう片方がスハユかスハニで、小津安二郎の映画にも出てきます。
―「浮草」!
奥井 そうそう。松阪行の表札があったり、オハニのテールが出てきますから。
―あの映画は相当面白いんですが、考えてみれば小津安監督は鉄ですね。
奥井 ええ、鉄です。
―あらゆる映画に必ず出てきますよね。一番私が気に入っているのは「お茶漬の味」で、ダンナの佐分利信と喧嘩して須磨の実家に帰る小暮実千代が、特急「つばめ」か「はと」のマイテに乗って、そこで一人もの想いに耽っているという間ずっと、ヒキとヨリのカットを交互に積み重ねる中で天竜川を渡りきるという凄いシーンがあるんですけれど。
奥井 僕は尾道を通過する……。
―ああ、「東京物語」!
奥井 あのスハの3等の標識がまだちょっちょっちょっと三つ書いてある。素晴らしいが肝心の機関車はちょっとも見せてくれない。
―あと「晩春」で笠智衆と原節子の親子が北鎌倉から東京へ歌舞伎を観に行くというだけのシーンで、走りが7カットもあるんですよ。車内と走りと車内と走りと……。何にも特に芝居はないのに。明らかに鉄です。「彼岸花」では東京駅のシーンから始まって、「今日は新婚さんが多いなあ」という所から、ラストは淀川を渡る特急「かもめ」だったと思うんですけど。
奥井 完全な鉄ですよあの人は。
―客車からディーゼルカーに代わっても郵便車は引き継がれて色々と出て来るんですが。
奥井 他所より多かったですね、そういうのは。
―まさにディーゼル王国。
奥井 でしたね。
―松阪は小津安二郎監督ゆかりの地でもあるんですが、この松阪周辺では奥井さん、実は狙いに行ったものは少ないんですよね。
奥井 はい。
―しかし地方に関しては当然狙いに出かけたということで、今回キハ91系はそのひとつだと思うんですけれど。
奥井 キハ91はやはり狙ってましたね。名古屋駅と高山線と、中央線にも1回。
―最初が中央線でしたね。
奥井 はい。
―どうでしたか、キハ91というのは。初めて会われた時には。
奥井 あれはね、ディーゼル音が高かった。そして硬かったね、キハ58系などよりね。
―もはや現物の音を記憶している人が少なくなっているんですけれど、キハ181と同じような感じの……。
奥井 そうですね、ちょっと高かったな。
―デザインも中間に挟まっている1両だけが運転室周りが違っていて……。
奥井 そう、こうタレ目で、素晴らしかったです。
―ちゃんとそれを撮ってますよね。流石だなと。でもそれが中央線から高山線系統に回って、いよいよ引退という時に、また撮りに行かれましたね。
奥井 はい。ギリギリ行ってます。危ないと思って。でもその頃はファンも少なかったからねぇ。
―キハ91系の引退と同時に「北アルプス」が特急に格上げになるという、その前で。
奥井 タイミングとしては一番良かったと思います。
―急行があれだけ各種あり、特急「ひだ」があり、普通列車もある。
奥井 黄金時代ですね、ひとつの。一番いい時やったと思います。
―このあともこのシリーズ、国鉄ディーゼル篇は続きますが、まだまだ色々なものが出てきますからね。
奥井 どうぞご期待ください。
<了>