カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客さまの声・ご感想 サイトマップ
RSS

 

奥井宗夫のむねのおく第3章1

奥井宗夫インタビュー

「よみがえる総天然色の列車たち第3章1

国鉄篇<前篇>」のむねのおく (その1)


奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴

三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって列車を撮影し続けた。松阪レールクラブ会員。


―前回から2年ぐらい間が……。

奥井 空いていますね。

―「よみがえる総天然色の列車たち第2章」の「蒸気機関車篇」からしばらくお休みをいただいた形だったんですけども、まだまだ奥井さんのご自宅の宝の倉庫には、いろいろとフィルムが……。

奥井 残ってるね。

―今まで作品にしてきたものから少し後の時代のサウンドフィルムがたくさんあるので、ひととおり終わってから、また改めてやりましょうっていう感じで温存していたわけです。しかし他にもシリーズを進める間に、「こんなん出てきたよ」とか「こんなんあったよ」とか、逐次奥井さんから別のフィルムが見つかったという連絡をいただいていました。前の時代のフィルムも結構出てきたんですよね。

奥井 ちっちゃいの(短いフィルム)で繋ぎようがのうてね、ほってあったんよ。

―いわゆる端呎フィルムというやつですね。ですので、そんなものも改めてテレシネかけて、何が映っているのかなと点検していくと、いろんなものが出てきたと。それも含めて今回新たなシリーズとして、「よみがえる総天然色の列車たち第3章」として、再びご覧いただくことになったわけです。そして今日、1回目の仮編集を見ていただいたところなんですが、いかがですか。

奥井 そうですね、国鉄からJRに変わる過渡期の頃なんですよね。

―そうですね。

奥井 面白かったですよね(笑)。もう、こちらも忘れてますもん。

―撮ってからご覧になっていなかった。

奥井 そうですね。サウンドフィルムは殊にね、怖かったもんだから、一切、切りつなぎしてないのね。撮りっぱなしで、ポンと(倉庫に)ほり込んであったのね。

―怖かったっていうのは?

奥井 あの、編集すると音が切れちゃうんですよ。

―そうですよね。

奥井 音と画面のズレがあるもんだから。だから、もう撮りっぱなしで全部ポンポンポン(と倉庫へ)。それと、これまでのサイレントのフィルムと色調がね、ニコンとキヤノンの差が出たんです。それが怖かった。

―具体的にどういうことなんですか?

奥井 ニコンはね、暖色系なの、暖かい色。キヤノンは寒色系なの。ニコンの場合はあったかい色、キヤノンの場合はブルーが強調されるというか、中のフィルターの関係なんですけどね。

―確かにちょっと黄色がかって見えるような……。

奥井 シーンもあるでしょ。あれがメーカーの差ですよ。

―黄色がかって見えるほうがニコンということですか。

奥井 ニコン。

―なるほど。最終的には色を補正して近づける形で仕上がることになるんですけれど、ある程度そのフィルムを見れば、感じが違うなっていうのがわかるわけなんですよね。

奥井 わかります。

―もし、カメラを持ってやっていた方だと判る。あ、これはあれだなと……。

奥井 うん、判る。3つの系列があって、エルモの系列の色もね、またもちょっと違う。そうすると結局、同じクラブの所属していてもニコン派とキヤノン派に分かれるわけ。好みで。当時、買うてしもうたらその機械を使わな仕方ないですよね。で、ニコンを使っているもんだから、もうそれでいいっていう満足感があったんだけども、それが残念ながらぶっ壊れてしまった。それで買いかえようかどうしようか思うとった時に、ソニーのTR55とかいうビデオカメラが出たんで、それにしようかなと思っていたら、ちょうど先輩の人が、今から僕はビデオをやるって言って、今の機械はいらないからって譲ってくれたんです。それでキヤノンの一番いい機械を払い下げるような格好で、半額で譲り受けたんです。

―それがあの、キヤノンの1014XLSというやつですね。

奥井 ほな、乗る乗るっていう話になって、お医者さんの方から譲ってもらった。

―憧れの名機ですよね。あの、私も学生時代に8ミリ映画をやっていたんですけど、1014はとても手に入らずに、814XLSっていうやつを使っていました。1014XLSは、手動で巻き戻しができるんですよね。劇映画を撮る時はそれでオーバーラップとかが出来たんです。

奥井 あれはよかったですね、あの機械は。

―大阪の戎橋の南側に、今はCDショップになっているところにカメラ屋がありまして、1980年代の後半か90年代なったころにもまだその店頭に、まるで値下げもせず、いつも誇らしげに1014が飾ってありましたからね(笑)。

奥井 僕も、あのカメラはとても買えないと思っていた。はじめから。

―鉄道を撮る上で、どういうところがよかったんですか、1014は。

奥井 大体バランスが取れていましたよね。それほど重たくなかったし。

―それでその1014XLSで撮り始めたっていうのは、どのあたりからなるんですか。

奥井 音が入っているのは全部そうだから。

―なるほど。今回は音声付きの映像と音声なしの映像をあまり混在させたくなかったので、極力後ろの方に音声付きのフィルムを集めるように構成にしたんですけども。

奥井 それで、正解やと思います。

―ちょうど、国鉄分割民営化が1987年、昭和62年4月1日ですから、その前の11月のダイヤ改正の前後のあたりからサウンドフィルムが、例えば山科とか塚本、あと名古屋の金山、あの辺がその時代ですね。

奥井 そうなんです。

―大阪駅の映像なんかはそのダイヤ改正の前の、昭和60年から61年にかけて11番線の切り欠きホームにEF58150がイベントの告知用に展示されていて。大阪駅の西側の、今はビル街になっている所が昔のコンテナヤードの跡地で、「キャッツ」の公演なんかをやっている頃に、片隅に車両を並べて何かやっていたらしいですけど。(編集注:梅田貨物駅南側の旧コンテナヤードで583系のサロ581とサシ581を数両留置して行われた、「IMPORT EXPRESS OSAKA」という海外製品の輸入販売のイベントで、会期は昭和60年7月29日から翌年3月末まで)

―その頃にカメラを手に入れられたということですよね。

奥井 そうです。

           

―米原機関区でEF58がゾロゾロいる映像も出てきますね。

奥井 そうそう。

―すごい、居並んだ状況なんですが。ほとんど運用から外れかけているから、逆に集められたわけですね。確か昭和61年の4月ですね、あのイベント、撮影会が行われたのは。

奥井 ええ。もうちょっと写しに行きゃよかったな。最後の最後になったら、もういいやと思って、全然写しに行かんかったですね。

―撮るものを撮ってしまったら、逆にそんなに騒がれている時期に、ワサワサしているところに撮りに行ってもという感じですよね。葬式鉄でもないし。

奥井 そうなんですよね。

―北陸本線なんですが、坂田の手前から交流電化で、第2章ではデゴマルなりデゴイチなりが繋いでいてっていうところが、今回はキハ40系が繋いでいます。私は米原に行くと、DD50形の休車が並んでいたっていう記憶はありましたが、あまり40系には憶えがなくて、なんか新鮮でした。そういえば確か時刻表には、彦根発があったよなって思ってたら、ちょうどその彦根発の列車が撮影されていました。木ノ本までの区間運転なんですよね。

奥井 うん。

―本数も今と比べると、比較にならないぐらい少ない。

奥井 木ノ本辺りは行っとって、かなんのですわ。なかなかチャンスがない。あそこまで乗るの。

―いや、木ノ本までやったら近いですよ。

奥井 それはね、ここ松坂から米原までが遠いのよ、意外と。

―(笑)ちょうど鈴鹿山地を挟んで反対側になりますものね。

奥井 そうなの。だから米原っていうと、うんと遠いところに感じる。名古屋から行ったほうが近いか、大阪から行ったほうが近いか。京都回っていったほうがはるかに近いやろ。で、草津線通ると時間かかって、なんともしようがないやろ。

―米原では419系も登場します。寝台列車が少なくなって、583系が普通に転用されていくじゃないですか。九州もそうですけども、北陸本線でも。もうちょっと後の時代の落ち着いた色の時は、割と乗った記憶があるのですけれど、このワインレッドみたいな、あれは不思議な色をしていますよね。

奥井 赤。あれ撮ってる人、少ないと思いますよ。まして3両編成ですから。あれ、撮りに行っとるな。ビデオになってから。無くなるといかんわって。

―ドアは折り戸ですからね。肩幅ぐらいしかないような狭いドアで、それで乗り降りするが、ものすごい時間がかかるんですよ。普通列車の転用されてから。まして、湖西線経由で北陸行くっていうのは、関西発では青春18きっぷで流行りルートですからね。60代以上のシニアの人が結構な数乗ってて。大概、近江今津から先は419系でしたが、ちょっとビックリするような色で。印象がだいぶ違いました。

          

―あの後、国鉄からJRに変わってしまうと、車両の色の塗り替えがこぞって始まりますが、国鉄の最後の次期は、全国統一のカラーをやめ始めた時期にもなりますね。今、思うとあの福知山線113系の真っ黄色は衝撃的でしたが、懐かしさがありますよね。

奥井 僕はそう思わんと、来たやつを何でも撮ってるだけの話で(笑)。

―奥井さんにしてみれば、三重県の松阪から大阪へ遠征みたいな形ですが、僕はちょうど昭和62年、分割民営化した年の秋から宝塚の撮影所の出入り始めたんで、ちょうど福知山線はあれになって間もない時期でした。

奥井 ええ。

―それで、今なら「えっ」となる2両で走っているんですけど。大阪駅の夕方のラッシュ時に福知山線の電車が大阪駅発で2両だった記憶が強烈に残っています(笑)。2両しかないから逆に超満員です。なんでこんな短い編成で、一体どういう運用してるのかなっていう疑問があった時期でもありました。

奥井 なるほど。

―福知山まで電化したのが昭和61年11月の改正ですけれど、それまでの宝塚電化で103系が6連で走ってたのが、これまたガラガラだったんですよね。

奥井 うんうん。

―その先に行く列車は旧客でしたが、それも当然、大阪駅に直通で出入りしていて。当時、よくニュースにもなっていたんですけども、福知山線朝のラッシュ時の上り列車は宝塚まで満員なんです。ここまでは本数が少ない代わりに編成も7両も8両も繋いで長いのですが、乗客はみんなここで阪急に乗り換えていくわけですよ。当然、神戸方面に行く人もいらっしゃるんでしょうけど、ものすごい流れがあって。その一方で、大阪始発の、大阪―宝塚間をひたすら折り返す103系っていうのは、ガラガラの印象しかなくて。スピードも遅いんです。前に張り付いてスピードメーターを見ていた記憶ですけど、いくら飛ばしても60キロくらいしか出してなかったです。何か、ちょうど分割民営化30年ということになりますけど、時間の流れはしっかり流れているんだなと気がしたんですよね。

奥井 僕もあんだけしか撮ってなかったけども、それでも別の意味でも思い出しますね。

―塚本駅から西を向けば、あの北方貨物線への分岐があって、そこに宮原へ回送されて行く列車が出入りするわけです。そこへ出入りする「雷鳥」が583系だったりとか、485系のボンネットのクハ481だったりとかが、まあ何とも……。

奥井 懐かしかったですね(笑)。

―ええ。「雷鳥」なんて、当時は何にも思ってなかったんですけど、えらいもんだなって。

奥井 時代でえらいもんですね、ホントに。

―そういう意味では、東海道本線の東京口でもいっぱい撮影されていて、今回のフィルムの中ではね。それこそ、続々と東京行きのブルトレが……。

奥井 やってきて来ます。

―なんか、待っていたらいくらでも来るっていう印象ですよね。通勤時間帯をちょっと避けて、だいたい朝方の早めに着くグループが、「瀬戸」とか「出雲」。そしてラッシュ時が終わってから「富士」や「はやぶさ」「みずほ」が……。

奥井 それがやっと撮れるっていう時間帯で。小田原まで夜行で行って、それからローカルで行って、着いて撮ってギリギリっていうパターンでしたね。

―それは「大垣夜行」ですか。

奥井 そうです。

―そして、横浜近辺で撮られている映像にしても、長距離は長距離でそうなんですけど、じゃあ近郊形はと言うと113系が……。

奥井 ええ。

―当然、全部113系の時代で、湘南色とスカ色がちょうど……。

奥井 入っていて。

―SM分離って言われる、横須賀線と東海道本線の運転を分離して、横須賀線が品鶴線経由になった直後ぐらいの映像のはずです。それこそ「雷鳥」以上に何にもありがたくなかった113系が、こうもありがたい映像なのかっていう、痛感する感じです。関西の方で言うと、快速にグリーン車がついていましたからね。当時は。考えてみたら、新快速は113系から153系になって、117系が導入されっていう時代であっても、113系の快速にだけグリーン車がついていたわけです。

奥井 あれは貴重な時代ですね。

―ええ。考えたら、117系と座席の乗り心地とか113系のグリーン車とあまり差がなかったんじゃないかなという気がするんですけど。117系が関西の近郊の主役の時代なんですが、丁度、私が高校1年の時にあれがデビューしてきて。それまでは、それこそ東海道本線の普通もガラガラでしたからね。高槻から先、京都の方に向かうやつなんか、だいたい通学しながら横に普通が来たら、お客の数を数えてましたからね。今日は7人とか、6人とかね。本当にガラガラだったんですよね。新快速が153系の時代に、スピード面で結構な力を出してきたんで、阪急は6300系、京阪は3000系を出して、逆に国鉄も対抗して117系が入ったっていう……。

奥井 そうですね、対抗があってこそ新車がどんどん入ってきてますからね。

―はい。あの当時の国鉄にして、この乗り心地で、いいなあって思った印象がすごく強烈で、未だに、湖西線とかで117系に巡り合ったら、やったって感じがするんです。

奥井 そうですね、僕らも117系は好きでしたけども。ほんとに、あとで各車の状況を見ると、かわいそうな気がしますね。

―はい。下関界隈で出会ったときの喜びもひとしおだったんですけど、あっちも居なくなったし。

奥井 広島色もなくなったし。

―今回は国鉄時代に、名古屋地区に投入され、ダイヤ改正前後で6連から4連になっているのがしっかりと記録されています。61年11月のダイヤ改正で、各地に都市型ダイヤが導入されて、編成を短くして本数を増やすという、今に繋がるダイヤになった改正ですね。

奥井 名古屋で12連があったと思うんだけどね。あれ、撮り損ねてしまった。

―ああ、その6連繋いでいるときに2本つないでいた、ということですよね。

奥井 そうそう。昼間、熱田駅においてあってね、ラッシュ時に動き出すんですよね。

―東海道本線は名古屋の次が熱田で、尾頭橋もなければ金山もない時代、中央本線の金山のちょっと名古屋寄りの場所で撮影されていますが、あそこも待ってたら次々と……。

奥井 そうなんです、十分楽しめるもんで(笑)。

―(笑)。あとあと私鉄篇には名鉄の車両もいっぱい登場してくるので今回はカットしていますが、あのナマズ(モ850形)がまだ居る頃ですね。勿論7000系もバリバリ走っているし、楽しい場所ですよね、あそこは。

                             (その2)へ続く

商品ページへ

「奥井宗夫のむねのおく」トップページへ