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奥井宗夫のむねのおく 2−22

「よみがえる総天然色の列車たち第2章22

蒸気機関車篇<後篇>」のむねのおく(その2)



―そして最後の2ヶ月とか、そして最終日のフィルムとか、沢山ショットを重ねて撮ってらっしゃるんですけれど、いよいよって感じの頃ですよね。もちろん全国的にはまだ少しあって、蒸機の全廃は2年先なんですが、もう亀山なり三重県では最後ということになりました。地元の奥井さんにとっては如何でしたか。

奥井 単車で走れるところは、単車で走りました(笑)。125ですから、力がないですからね(笑)。

―(笑)。もう走り回って、とにかくフィルムに収めたるんだって言う感じですか。

奥井 最後の時は、ちょっとコンパーノとかそのへんの、1000ccぐらいの車に乗ってましたが、それまでは全部、125ccの単車で走りました。

―最終日の朝もバイクで亀山駅に……。

奥井 いや、あれはね、最終日は列車で行きました。亀山に着いて、あの列車(821列車)で下庄まで戻って、また戻って、また、最終(826列車)を迎えに一身田まで行って、撮りました。

―今回は、久々に奥井さんの行動を時刻表でたどりました。

奥井(笑)

―つまり、このフィルムはどういう中味なのかを確認したわけです。間違いなくこの下りの821列車に乗って下庄で降りて、この列車のディーゼルで戻ってきて、一旦この列車に乗ってまた一身田に行って、それで826に乗って帰ってきた、と。その上で、昼間亀山にいる間にどういう列車が出入りするかというのを調べていきました。この列車とこの列車と、ここに走っていた荷物列車があったのかどうかとか、皆で調べて、一旦台本に書いたことが間違いないことを確認しながら作っていくという編集だったんです。それ自体が作業として、非常に面白かったんです(笑)。

奥井 それは面白いだろうなあ(笑)。

―ええ。

奥井 僕も大体の検討働かして動いたんですが(笑)。

―最終日は、今までDD51に替わっていたのを、最終日だと言うのでまたD51に戻した列車も何本かあったんですね。

奥井 ええ。そういうことまで、私は知りませんでした。

―予定外だったんですか。

奥井 もう全然、予定外で。来るものは何でも撮ってやろうと、構えていますから。

―でも、分かってる人もいたんでしょうかね。待っていた感じがあって。

奥井 ええ。

―相当な数のファンの人や、ファンでない人も含めて来られていたみたいで。

奥井 いっぱい行くから、どうしても隣のホームへ逃げな仕方がない。だいたいそれで、成功しとると思うんですよ。

◆    

―その、一番成功していると思われたのが、大阪駅!

奥井 はい。C61ですね。あれはホントに、大成功でした。これはもう、人で人で何とも仕方ない……(笑)。

―わかります。僕は京阪100年号の時に大阪駅に行ったんですよ、昭和51年の9月4日。中学1年生だったんですけど。これに輪をかけた騒ぎで……。

奥井 ええ。

―結果的に事故まで起きてしまったんですが。ただ、私は実際には、このC61の白鷺号は見てないんですけども、この大阪駅のC61のフィルムの雰囲気は、すごくわかる感じがしますね。大阪駅にその、蒸機が入って来るっていう、この得も言えぬ感動というか。

奥井(笑)奥井 でしょうね。同じようなのが、さよならの、天王寺のEF52ですよね。

―シリーズ第1作の「電気機関車篇」のラストシーンに登場しましたね。

奥井 あれも良かったですよね。

―あの雰囲気、時代的にも割と近いところで、片や蒸機が、こちらは動態保存されたC61が東海道・山陽本線を走るぞというのと、同じような時代で……。

奥井 設定ですよね。

―EF52がこっちはもう、電機なのに早くも引退するっていう。

奥井 そしたらね、「奥井さんが撮っていた写真のここで、僕は写真撮っていたんだ」っていう人が現れましてね。

―はいはいはいはい。

奥井 「奥井さんが撮っているすぐ前で撮ってたんだ」って(笑)。

―(笑)。あの、私のところにも連絡がありましたよ。奥井さんが撮っているフィルムの車窓風景のこの場所にいたんです、って言う人……(笑)。

奥井(笑)

―それで奥井さんはこの時、大阪駅で入線から出発を撮って、加古川へ飛んだわけですね。

奥井 ええ。

―面白かったのが、加古川を渡るのをPANで撮っていて、そのままカメラは土手の方へPANしていくんですね。そしたら、ファンの人が一杯いるいうとこまでちゃんと撮っているところが面白くて。

奥井 加古川で国鉄を降りましてね、タクシーに乗ったんですよ。そしたら、いきなりグーンと反対の方へ走り出しましてね。一体どうなっとんやって言ったら、いや実は一方通行でこっち行かな仕方ないんですよって言うて。それでズーッと行って、それから折り返してバーッと裏道走ってくれてたんですよ。それでうまいこと堤防へ着けてくれたもんだから、こっちは着とるもの、足ギリギリのところまで脱いで……。それで真ん中の浅瀬に行ったんですよ。

―水の中に入っているんですね。

奥井 はい、入ってます(笑)。

―気合入りましたね(笑)。

奥井 何とも仕方ないと思ったもんで。

―あー、場所がない。

奥井 場所がなかった。こっちはもういっぱいですから。ですからもう、逃げ場がなかったんですよ。

―そんな騒ぎになってたんですね、この時。

奥井 とにかく、どこに行っても人がいるんですよ。もう、あそこの中洲へ行かな仕方がないと思って。で、中洲へ上がって、それで一応、あの距離ではちょっと遠いけど、仕方がないなっと思って、撮ったんです。

―はあ。

奥井 そしたら、後ろをうまいこと撮れましたから。

―却っていいアングルに入ってましたね。

奥井 はい。もう、最後の大型蒸機って言うことはわかっていましたから。

―そうですよね、この本線を走る、しかもC61が山陽本線を走ったのは、これが初めてじゃないですか。

奥井 そうです。ですからね、あれは貴重なフィルムで、C53の時(昭和36年、C5345の東海道・山陽本線の復活運転)とおんなじぐらいのことやったと思うんです。

―この前に、シロクニで同じ白鷺号が走ったことは何度かありましたが、シーロクイチはこの日1回ですね。

奥井 1回です。

―これは貴重ですね!

奥井 面白かったですよ。

―それで、加古川から駅に戻られて……。

奥井 すぐ姫路に行って、姫路城を見に行ったんです。

―もう先に着いているし、取り敢えず姫路城ですね(笑)。「白鷺号」やから「白鷺城」を撮っておけってことですか。

奥井 そうなんです。

―別に姫路城、その日に撮る必要ないと思うんですけど。

奥井 なかったんですけども、行ってないもんですから、ぜひ行きたいな、と。

―あ、そうか。このタイミングを逃したら、なかなかいけないから。

奥井 そうです。

―なるほど。

奥井 それでそこで精一杯遊んで、もう、すぐに帰ってきたんです。

―あの、だいぶカットさせてもらいましたけど、相当なカット数回ってましたね、姫路城で。

奥井 はははっ。

―フィルムを見ていると分かるんですけれど、この後山陽電車で戻ってるんですよね。

奥井 うーん、なるほど、なるほど。

―それで大阪駅へ先行して戻って、それで……。

奥井 1回ね、須磨浦で山へ上りかけたんですよ。ところが上から撮れないってことが判ったもんだから、それですぐまた電車に乗って、戻ったんです。須磨のワンカットが確かあったと思ったんです。

―ありましたね。

奥井 あったでしょ。

―あれは西日本私鉄篇で使いましたけど。それで大阪駅へ戻って、これがまた僕の世代から言うとたまらないんですよ。11番線に雷鳥がいて、10番線に入って来るわけですよ、シーロクイチが。いやあ、いいですよね、これ。

奥井 1日でギリギリ撮ってますから。この後、鶴橋で弁当買って、帰ってる。

―(笑)なるほど。鶴橋なんて、何十回も、何百回も行ってるはずのものが、全部その辺の思い出がセットになっているんですね。

―次に出てくるのが、駅弁のあら竹さんの経営するドライブインに保存された、C11。

奥井 ええ。あれが部品取りになってしまって、残念ですけどね、仕方ないですよね。

(編集注:昭和63年に大井川鉄道に譲渡され、動態復元された。SL急行に活躍したが、老朽化のため平成19年に引退。ボイラと汽笛をC11227に提供した。)

奥井 それで、あれ、かわいそうに、ちゃんとした小屋建ててもらったんですけれど、あれ、非常警報で天井、抜いちゃったんですよ。

―どういうことですか。

奥井 あれを据え付けてしばらくしてから、誰ぞが運転席に登って、非常警報の発煙(信号炎管)、あるでしょ。あれを誰かが悪戯して引いちゃったんですよ。外しておきゃよかったのに、それを残していたんですよ。―アッ!機関車にその非常用の発煙筒が付いてた!

奥井 そうなんです。

―ああ!それでなんかわからんけど、さわってたらシュワッと……。

奥井 出ちゃった。

―炎が上がって屋根が……。

奥井 ええ。それで火事になったんです。 小火ですね。

―あらま、それは災難でしたね。

奥井 あれから1週間ぐらいの事やったかな。

―じゃ、たった1週間で、あの屋根が無くなったってことですか。

奥井 いや、半分燃えてしまって、あとは外したんじゃなかったかな。

―そうなんですか。

奥井 うん。ま、二度と起こらない事故ですけどね。

―そんな物付けたままにしてませんからね。触れないようにしてるし、入れること自体も多くないですからね。しかし、この機関車が、のちのち大井川に行くことになって、動態復活するとは。

奥井 思わなかったですね。

―あら竹さんはよくぞ保存されたことです。

奥井 ええ。先々代の新竹亮太郎さんっていう人。その人の実力やったと思いますわ。

―機関車とか、お好きだったんでしょうか。

奥井 うん、好きでしたね。

(編集注:C11312を保存した新竹商店の2代目社長・新竹亮太郎さんは、駅弁やとして機関車にお世話になったので恩返ししよう、ということで国鉄から話のあった機関車の買い取りを決断。ドライブインに保存した。あら竹のホームページ http://www.ekiben-aratake.com/ より。)

―今の社長は、お孫さんということですか。

奥井 そうです。

―なかなか元気な方で。割と鉄道の勉強もされていて詳しいしね。好い方なんですけど。

奥井 ま、今度出たから、ちょっと格好がつきました(笑)。

―あら竹さんのお弁当には、奥井さんのお店の野菜が使われているんですよね。

奥井 ええ。

―C11312号機は大井川に行きましたが、まだその前の時代の大井川鉄道を、奥井さんはしっかりと撮られています。当時のフィルムと、今とそうそう違う感じはありませんね。

奥井 ええ。

―しかし、国鉄の山口線でSL復活するまで、私鉄の大井川鉄道や西武山口線でしかSLが走っていない時期がありました。今回のフィルムの中ではズバ抜けて後の方のもので、昭和56年の撮影ですが、時代的には国鉄の山口線でSLが復活した後の時期のものです。しかし、蒸気機関車はこの大井川鉄道を足掛かりに、これから逆にまた各地で動態で復活していきましたので、ここは未来に繋いでいく、そういう感じでシリーズを終わらせるように、大井川鉄道をラストに持って来させてもらいました。

奥井 確かにその通りですね。

―何か、格別に思い入れってあって行かれたんですか、当時は。

奥井 そうですね、僕としてはC56が少なかったですから。それが動いているっていうことで、行きました。C11とC56、2台動いていましたから、やっぱり行かなきゃいかんな、と思いまして。

―はい。

奥井 そのあと、旧東海道を11年かけてずっと全区間歩いた時に、もう1回、立ち寄りましたから。

―なるほど。丁度クロスしますからね。大井川鉄道と東海道は。

奥井 しかし(国鉄)山口線は行きませんでしたね。行きたいっていう気はあるんですけれど、客車がどうも気に入らんので(笑)。

―それはね、あるかもしれないですね(笑)。そういう意味では、大井川鉄道というのは、ずっと一貫して旧客で。

奥井 そうなんです。どうも、あの山口線の客車は気に入らない(笑)。

―(笑)。ある意味、この当時からほとんど姿を変えることなく、同じスタイルで大井川鉄道は運転を続けてきて、それはそれですごいことだと思います。

奥井 あれは白井昭君が偉かったんですよね。ポリシーがあった。あの人は。

―そうですね、これはやっぱり白井さんの鶴の一声みたいな……。

奥井 そうでしょうね。鉄道友の会で一緒になった時期があるんです。

―はい。名鉄から大井川鉄道に出向されて、副社長になられたかたですよね。えーと、パノラマカーを作った方でしたか。

奥井 ええ。

◆    

―こうして足掛け5年掛かりで、22巻。とりあえず「よみがえる総天然色第2章」は、一旦これで完結します。ほとんど無駄にしていないというポリシーでフィルムを出し尽くしたら、22巻出来たということです。

奥井 恐ろしいですねえ(笑)。

―(笑)

奥井 いや、恐ろしいですよ(笑)。

―冒頭でもこの話をしましたが、何か、すごい足跡ですよね。

奥井 ええ。

―改めて振り返って、感慨深いものがあります。奥井さんのその、動いた距離と行動力と、それに勿論、好きだからという、思いはあるんでしょうけれど。

奥井 よう歩いたもんです(笑)。 ま、健康だったからこそ、歩けたんです。

―ええ。本当にありがとうございました。お礼を申し上げるわけですが、でも、これで実は、終わらないんですよね。

奥井 はい。まだ、ちょっと残ってますからね。また、別の機会に。

―あの、今回の「よみがえる総天然色第2章」というのは、奥井さんの、実はサイレントフィルムだけで作ったんですが、この後の時期に、奥井さんのサウンドフィルムで撮るカメラ、キャノンの1014XLを買われて。

奥井 そうです。あれはねえ、知っとる人が、自分はビデオに替えるから引き取ってくれって言われて、半額でくれたんですよ、ポーンと。夢みたいな話ですよ。

―豪華なカメラでしたからね。

奥井 豪華です。

―当時、私は買いたくても買えなかった。

奥井 みんなのね、あこがれの的のカメラですけれどね、値段が高くて買えなかった。それを半額で、ポンとくれた。私に譲ってくれたんですよ。

―なるほど。

奥井 常識では考えられない。それで自分はソニーのビデオに替えちゃったんですよ。TR50とか何とか。もう、ソニーの直ぐの機械ですよね。

―でも、結果言えば、当時のフィルムとビデオは比べてどうかと言えば、フィルムの方が圧倒的に色もきれいだし、保存状態もいいんですよね。そこで、これからそのフィルムをまた新たにお借りして、テレシネをして、僕もまだどんな中味があるのかわからないのですが、それを極々近い将来に続編として、また世に送り出したいなと思っています。

奥井 わかりました。よろしくお願いします。

―こちらこそよろしくお願い出来ればと思います。何が出るか、すごく今から楽しみにしております。まずは、とにかく、ありがとうございました。

奥井 ありがとうございました。

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