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奥井宗夫のむねのおく 2-21

「よみがえる総天然色の列車たち第2章21

蒸気機関車篇<中篇>」のむねのおく(その3)

―それで、中央本線ですね、C12の話がありましたけど。木曽福島区のC12が上松で、いつも1両来てやってるんですよね、入換えを。

奥井 はい。

―上松といえば、木曽森林鉄道の起点で。

奥井 あれは行きたかったんだけどね。チャンスがなかった。山に登ってしまうから。

―保存用ですけど、赤沢森林公園に行ったら、まだかろうじて面影を感じる……。結構長い距離を1キロぐらいかな、走るんでなかなか楽しめますよ。周辺には色々と廃線跡や鉄橋も残っているし、車両もたくさん残っているんですよね。あのダイヤモンド煙突の……。

奥井 ボールドウィン?

―はい。ボールドウィンも自走はしないけど、とりあえずアントか何かで引っ張って、動かしてくれたこととかあったんですが、散髪屋の車とかの保存車両のことなどを思い出しながら、中央線のフィルムを拝見していました。しかし、やっぱりデゴイチですよね、中央西線は。

奥井 西線となると、やっぱりデゴイチを撮る。

―寝覚の床の場所は、結構名所ではあるんですけども。

奥井 はい。

―車窓からも見えるし上からも見えるんですけど、あそこは、断崖沿いを鉄橋ですり抜けています。

奥井 あそこは撮りにくいですよ。景色はいいんだけどね。

―はい。あの撮影は塩尻から同じ日ですか。

奥井 同じ日です。

―天気が良くなっていくんですね。昼から午後にかけて。

奥井 はいはい。

―ちょっと読み方がわからなかったんですが、臨時の旅客列車が出てきて、「木曽路D51号」(きそじでごいちごう)か(きそじでぃーごじゅういちごう)か判らないんですけども、この頃にはもう旅客列車は……。

奥井 なかった。

―だいぶ早かったんでしょうか。旅客列車がなくなっていったのは。

奥井 1年ぐらい前と違うかな。

(編集注:中央西線の蒸気機関車牽引の定期旅客列車最終日は、多治見―名古屋間が昭和41年6月30日、中津川―多治見間が昭和43年9月30日、塩尻―中津川間が昭和46年4月25日。奥井さんの撮影は昭和46年秋)

―ああ、そうですか。

奥井 うん。だんだん追いつめられていました。

―今回登場しないんですが、別の巻(7巻国鉄ディーゼル篇<前篇>)ではここを走っているキハ181系の「しなの」が既に活躍中の時代ですからね。

奥井 そうそうそう。それにキハ91系。誰も撮っていないです。

―その辺は「第2章7国鉄ディーゼル篇<前篇>」でご覧いただけますね。今回は温存していた中央本線のデゴイチの方を紹介しますが、七尾線でもC58にC11、C56とバリエーション豊かに出てくるんですが、どれも旅客列車は臨時列車です。

奥井 旅客列車はもうなかったですね。

           

―七尾線の「おくのと号」は如何でしたか。

奥井 客車が良かったですよ。半室お座敷で、半室食堂にしていました。

―その食堂は営業していたんですか。

奥井 営業してたんです。

―乗られて、何か召し上がったんですか。

奥井 はい。和食のカウンターでおでんみたいなのを……。

―はあ、よろしいですなあ!

奥井 よろしいですよ!

―この列車は金沢発でしたね。奥井さんは羽咋から乗られたんですね。

奥井 ええ。

―羽咋で「おくのと号」の到着を撮られてますね。そのあと和倉で降りられてますが、列車は能登線の珠洲まで行くんですよね。もし珠洲までおでんを食べながら飲んでいったら、出来上がってしまいそうです(笑)。

奥井 そうですそうです(笑)。だから早く降りたんですよ(笑)。4両繋いでいるし、お客さんも結構乗っているんだけれど、食堂のお客さんというと少なかった。

―はあ。あれなんじゃないですか、蒸気機関車を目的に乗る人は、飲みながら乗るなんてことは……(笑)。

奥井 でも、撮りに行く人もそんなにいないんですよ(笑)。しかし、いい列車でしたよ。オハ35系がほとんどだったけども、その食堂、改造食堂だけはスロぐらいの改造やったな。(編集注:スロフ53形の改造車)

―このために改造されたものなんですか。

奥井 と、思う。だから良かった。なかなか。

―そのあと、どうなったんでしょうね。

奥井 あれ、どうなんたんかな、あれこそ使いようがなかったと思う。

―で、そのあと、車で追っかけて、シゴロクの貨物を撮られていますよね。

奥井 うまいこと、タクシー来たんですよ。「おい、ちょっと待てー」ってな感じで停めて(笑)。

―タクシーで、付け移動ですか。追っかけで(笑)。

奥井 もう、しょうないですよ。そうなったら(笑)。

―当時、そういうSLを追いかけるようなお客さんは他にもいらしたんですかね。タクシーの運転手としてはどうだったんでしょう。

奥井 上手かったよ、だけど。

―ピッタリと(笑)。

奥井 「もうちょっと前、もうちょっと後」(笑)。

―(笑)

奥井 「もうちょっと早よなんないかな」(笑)。

―(笑)

奥井 「もうちょっと前に回ってくれ」(笑)。

―そういえば思い出したのですが、上田交通のフィルムで、NHKのワゴンが付けて走ってましたよね、奥井さんが乗ってる電車を(笑)。

奥井 あれと一緒(笑)。

―危ないことしてね(笑)。

奥井 あんな危ないこと……(笑)。

(編集注:機材車の屋根のキャリアに乗って、命綱無しで撮影していた。「第2章10ローカル私鉄篇<前篇>に収録)

―タクシーの中では危ないことはなかったでしょうけれど。ピッタリと付け移動しているので、お友達と行かれていたと思っていたのですが、この時はタクシーだったんですね。

奥井 ひとりだけです。

―それでまた、七尾機関区へ行かれて。当時というのは、割とどこの機関区でもポッと入れたんですね。

奥井 もう、ホントに自由に入れて。

―そうですね、一言断れば、ですね。

奥井 しかもディーゼルの入換えまで撮ってるもんね。

―はいはい。なんかその、小さなあの程度の規模の機関区であっても、入換えをして、ターンテーブルがあって、すごく華やかなんですよね。

奥井 そう言えばこの間、伊賀上野のケーブルテレビかなんかがね、関西鉄道の番組をやってました。

―えー、そうですか。

奥井 ええ番組やったよ。

―それはすごいですね。

奥井 崩れかけたターンテーブルを映してました。

―それはどこにあったターンテーブルですか。

奥井 柘植の駅です。今の構内の様子も良かったね。それと古い伊勢新聞なんかも出してきてね。うまいこと、まとめていました。いいフィルムでした。僕と同じ年の頃の人が撮った蒸機の写真、良いのがたくさんありました。

―なるほど。手をかけて作っていたんですね。それにしても、蒸気機関車篇の前篇は本線系の大型機がまだまだ活躍してた頃のフィルムで、今回の中編はどちらかというと関西本線・紀勢本線以外の各地では蒸機が無くなってきた時期になってきている頃という内容です。

奥井 だからよう解る。

―C56であるとか、C58であるとか、そっちがクローズアップされてくるようになってきているんですね。

奥井 僕としては、シゴナナは撮ってあるわけだから、そこらへんに目が行っちゃうんですね。だから、七尾線も突っ込んで行った。突っ込んで行っといて、よかったと思いますよ。その代り、信楽線なんか、よう行かんかったけどね。信楽線、全然行ってないの。あれ、残念やわ。

―近かったのに、残念ですね。

奥井 あそこのC12あたりなんか、撮りたかったわね、ほんと。

―はい。

奥井 もちろんシゴハチの時代もあったんやけど、それも行ってないし。ま、ちょっと遠かったんだな。

           

―でも、逆に頑張って、あの、会津若松までは行かれました。

奥井 あれは友達と一緒の慰安旅行を、一人だけサボったんです。

―(笑)

奥井 朝の4時にタクシーを呼べって言うて。

―というパターンですね(笑)。

奥井 うん(笑)。で、駅まで走ってもらって。それで撮りにいたんです。

―ちなみに、どこで別れたんですか。

奥井 東山温泉で別れてね。会津若松の奥座敷ですよ。そこからタクシーで駅まで行ってもらって。

―近いところまで来ていたんですね。

奥井 で、あれだけ遠征したわけです。

―じゃ、まずは日中線に乗られたと。朝。

奥井 そうそうそう、朝。一番で日中線に行って。

―はい。

奥井 男女がね、あれだけ車輌に分かれて乗ってるとは思わなかってね。ビックリした!

―それはどういうことですか?

奥井 男女席を同じゅうせず、ていう。そういう関係でしょうね。

―要するに、朝の通学……。

奥井 パカッと分かれている。

―何となく、あっちの学校は、男子はこっち、女子はこっちみたいな、だんだん分かれるのが習慣になって、別の車両に乗っているという感じです。あれはびっくりしちゃった(笑)。

―うっかり、女子の方に乗ってしまったとか(笑)。

奥井 はじめ乗って、なんか雰囲気がおかしいなと思って、すぐに男の方へ行って……(笑)。

―あ、移動したんですか(笑)。別に言われてないし、そのまま乗っててもいいんですけども。

奥井 そうそうそう。で、行きは熱塩まで行ってしまってさ、帰りは、上りは貨車の入換えをしながら帰って来るんです。

―はい。

奥井 やっぱりちょっと時間かかったし。楽しみましたよ。

―上り列車のフィルムって全然なかったですよね。

奥井 上り列車のフィルムって、とてもとても。お客さんで一杯だから。だから全然撮れませんでした。1日3便の列車でしょ。あれで皆、よう学校へ通ってたんだなあ、と感心しましたよ。ほんとに。

―それでフィルムがないんですね。そのあと、会津若松運転区に行かれた。

奥井 そうそう。同じ日です。その時にしか、行ってないもん。戻ってきてから会津若松運転区をちょっと撮って、それで帰ってきたんだわ。

―なるほど。僕が勝手のコメントを書いたんですけども、いわゆる蒸気機関車がいよいよ無くなるぞって言うんで、この時代には学校の教材にもなってきた、という風に(笑)。小学生が運転区に写生に来てるっていう、多分地元の子どもだろうと思うのですが、そんな微笑ましい姿があって、なかなかいい。大きな運転区ですしね。

奥井 大きくなっているでしょうね、あの人らも(笑)。

―もう、50代(笑)。

奥井 なんでしょうねえ。すごいことだなあ。

―それにしてもその、無くなりかけてはいるんだけれどもまだ蒸機がバリバリ現役の、丁度そういう時代じゃないですか。

奥井 そうですな。

―まだ末期でもないし、その辺の時代のフィルムなんですけども、全体をご覧になっていかがでしたか。

奥井 もうちょっと行きたいところはいっぱいあるんだけれども……。

―ま、言っても、毎度毎度の話になりますけども、お仕事柄(笑)。

奥井 ギリギリ動いています、仕方ないです(笑)。

―平日は近くで撮るか、野菜の箱の中にカメラを忍ばせて近くで撮るか、あと遠征するのは週末か年末年始で、というところで……。

奥井 なんせフィルム代が高かったもの。

―もう一つ蒸気機関車篇が続きますので。ここで何が見られるのかは楽しみにしていただくとして。今回も私自身、作りながら非常に楽しませていただきました。ありがとうございました。

奥井 意外と楽しめたと思っています。私。

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