カートをみる マイページへログイン ご利用案内 お問い合せ お客さまの声・ご感想 サイトマップ
RSS

 

奥井宗夫のむねのおく 2-20

「よみがえる総天然色の列車たち第2章20 蒸気機関車篇<前篇>」のむねのおく(その1)

                       聞き手:ディレクター&プロデューサー・宮地正幸

―最初の部分ですが、今回は飛行機の映像から始まります。

奥井 あそこにコンベアが入っているとは思わなかった(笑)。

―フィルムがあるのはわかっていましたので、どこかで使いたいなあと思っていたので、今回、ちょっと変化球から入ってみようかな、と。

奥井(笑)

―「まつかぜ」がですね、松江止まりだったのが昭和39年春に博多まで伸びたので、それ行けっということで……。

奥井 そうだ!そうだ!(笑)行っとかなあかん!(笑)。

―(笑)

奥井 逆に僕らは思ったんよ。これはいずれ無くなる可能性が高いから、と(笑)。

―延伸された時から、無くなる可能性が高いって言う話ですか(笑)。

奥井 こんな無理して走らせても、無くなる確率が高いから。ま、大体合うてましたけど(笑)。

―合うてましたね(笑)。それでまあ、乗り換えて普通列車にも乗ったりされていて、別の時の旅行のフィルムと今回のとをつなげて一緒にしてみました。その1年前の昭和38年のフィルムでは、下関方から山陰本線を辿っておられますが、この時の目的は何だったんでしょう。

奥井 あれは、C54、パシフィックが見たいと、やっぱりここへ行かなあかんと思って行ったんです。あれ、良かったですよ。

―狙いはC54だったと……。

奥井 C54です。

―浜田機関区で結構、バッチリとC54が再生されていて。

奥井 はい、あれでよかったですね。丁度うまいこと入換えされていて。

―これこそ、カラーで見たことがないフィルムですね、C54の。

奥井 そうでしょうね。僕もシゴヨンはやっぱり、気にはしていましたから。やっぱり撮りに行きたい!

―当時、この山陰線あたりでしか走っていなかったのですか。

奥井 もうあそこ(浜田機関区)しかいなかったですから。仕方なかったですよね。昔、C546はね、「姫路快速」の補機で、こっち(松阪)に入っておるのを覚えているんですよ。後を走っているものだから、見ていて全然気が付かなくって、目の前に来て、「あー!シゴヨンやー!」(笑)。ですから、余計に気にしていたんでしょうね。

―その当時、「姫路快速」で来たって言うことは、何処に居たんでしょう?

奥井 たぶんね、補機をつけるのは梅小路からですから、その時は梅小路でちょっと都合が悪くって、代わりにほり込んだんやと思いますよ。

―なるほど。じゃ、その時は梅小路に所属していて、山陰線回り運用についていたってことですか。

奥井 そうそう。元々福知山かどっかに居てたんだろうけれど、たまたまそこに居てたもんだから、廻したかなって思います。そんな感じで、アレッと思って。ビックリしましたよ。

―昔、NHKのSLの番組をやっている時に、シゴヨンのフィルムを探したら、余部橋梁のものが出てきまして、余部駅が設置されるという時のものだったんです。それまで、そこの地元の住民が余部橋梁を歩いて渡って、トンネルをくぐって隣の鎧駅まで行って列車に乗っていたっていう映像なんです。余部橋梁を一杯人が歩いていて、そこを通過するのがシゴヨンでした。しかし後年は、なかなか不遇な機関車でしたね。活躍の場も限られて。

奥井 DD54と一緒ですよ。

―そうですよね。

奥井 ここからじゃ追いかけるのが不便でね。山陰線は、ちょっと、よう行かんですね。

―蒸気機関車篇に出てくるフィルムは、割と早くから奥井さんが撮影されたものですね。

奥井 はい。

―やっぱり蒸気機関車から撮り始められた……。

奥井 そうですよね。ただ(当時の8ミリカメラの)フィルムの巻き上げがゼンマイだったので、兎に角6フィートぐらいしか走らないんですよね。

―6フィートといいますと、大体30秒ぐらいになりますか。

奥井 列車の後ろまで撮っていないフィルムが何ぼもあるでしょ。

―はいはい。

奥井 あれ全部ね、エルモの旧型の、8Aという機械で撮ったの。

―はい。

奥井 ですから、映らないんですよ、後ろまで。

―終わってしまうんですね。

奥井 だから嫌気がさして、初めて自分のカメラとして買ったのが、次のキヤノンの8EEEという機種でね。電動で巻き上げる、電動で露出計が作動する、という機械だったんですよ。

―それはダブルエイトですか。

奥井 ダブルです。

―はあ。そうすると、長く回せるようになったんですか。

奥井 はい。キャノンさん作ってくれたのはいいんですが、まるっきりダイキャストの塊みたいなカメラで、弁当箱みたいでね、重たかったんですよ!(笑)

―(笑)なるほどね。

奥井 あれ、1.5キロ以上有ったんちゃうかな。頑丈に作ってくれたのはよかったんですけどね。もう、往生しました(笑)。レンズはよかったんですけどね。

―今回の蒸気機関車篇は、そんな時期に撮影されたものが多いわけですね。

奥井 そうでしょうね。(撮影時期が)集中していますし、あれよあれよといううちに、蒸機がなくなっていった時代ですから。

―C54にしても、ホントに無くなる直前で……。

奥井 どれもこれも、無くなる直前ですよね。

―昭和38年に撮れていますからね、実に大変なものです。同じことでいうと、まだ山陽本線が全線電化をする前という……。

奥井 そうです。

―全線電化が昭和39年で、その前年のです。考えてみたら、昭和50年には山陽新幹線が開業している訳ですから、山陽本線が全線電化されてからでは、全盛期はたったの11年しか実はない……。

奥井 そう。

―圧倒的に長い時間、山陽本線を支えてきたのは、蒸機だった訳ですね。

奥井 そうなんですよ。

―最後まで非電化だったのは、広島の横川から小郡までの間でしたね。

奥井 (東海道)新幹線が割と早くに出来たものだから、余った車両が全部向うへ入ってきたんですよね。ですから、瞬間的な話ですよ。

―はい。

奥井 新幹線開業と同時に、「しおじ」クラス(181系)の特急が全部向うへ入って来た時代ですからねえ。まあ、いい時期に道楽させていただきました(笑)。

―はい。

奥井 それだけ見ることが出来た、幸せな時代やったと思いますね。

―私も10年ぐらいもっと早く生まれていればよかったと、つくづく思いますから。

奥井 ほんとそうなんですよ。みんな、もう1年でも2年でも早く生まれていたらって。機械の進歩が全然違いますからね。

―そうですよね。私も山陽本線のホントの全盛期を知らないですから。

奥井 そういう意味では、山陽本線の全盛期を見た方に、僕らは入るかもしれないですね。

―「さくら」とかをシロクニが引っ張って下関駅に入ってくる所を見てこられている……。

奥井 ええ。

   ◆    ◆    ◆

―瀬野八では、デゴニがまだ補機で……。何とも言えないですね。そのD52も、御殿場線でバリバリ現役の頃に撮りに行かれている……。これが昭和42年ですね。

奥井 はい。全部、ギリギリで追うていましたからね。

―これは、昭和30年代から撮り始めて40年代に入って、奥井さんとしてはそれでもまだこの当時は、結構な遠征ですよね。

奥井 ええ。大分無理しています(笑)。

―(笑)。御殿場線のD52、印象としては、いかがでした?

奥井 あの、美しすぎた。まだ、何もついてなかったですからね。ボイラー関係もストレートできれいだったし、しかも正面の印象が素晴らしくきれいでしたね。客車もヘビーウエイトのものがズラッと揃ってたでしょう。あれもよかったあ。

―当時、御殿場線の普通列車はPCのみの運転だったという……。

奥井 はい。スハ32系が多かったですね。ですから割と揃っていましたから、非常にきれいな列車が続々と走っていましたね。良かったと思いますよ。

―そして、この後には常磐線のC62が出てきます。夜行列車で朝早くに平に着いたんですか?

奥井 いや、あれはね、郡山から磐越東線で行ったんですよ。9時過ぎに着いたんかな、そいで機関区覗きに行こうって。客車のデッキを乗り越えて。ロクニ(C62)を見に行ったんですよ。

―え、夜にですか。

奥井 ええ、夜中に。うわあー!って皆(笑)。

―(笑)

奥井 3人連れて行きましたね、松阪の連中が。これがロクニやで、て教えて。それでその後、湯本に泊まって、朝タクシーで走ってました。

―あまり睡眠時間はなかった感じですね。それで草野付近まで行かれたんですか。

奥井 はい、タクシーで。

―そこで、急行「十和田」とか「ゆうづる」の上りとかが来ますから……。

奥井 ええ、走ってきますから。

―いいですね。シロクニ牽引で20系が……。どんな感じでしたか。この時は昭和42年になっていますので山陽本線も電化された後ですから、唯一蒸機牽引の特急だったんですが。

奥井 そうなんです。ですから、あれはやっぱり見とかなあかん、てね。ちょうど上手い事絶気する直前で、アッと思ったら、スイッて行った……(笑)。

―(笑)何とかギリギリいいところが撮れた……。

奥井 はい。

―絶気してしまったらあとはもう……。

奥井 惰行ですよ。

―惰行でそのまま平まで行ってしまうのですか。

奥井 ですからね、途中で煙が、スッと消えるんですよ。バァーっと……(笑)。

―明るくなってから、改めて機関区に出直して行ったんですね。

奥井 そうなんです。ま、一応カッコだけ。念願の「はつかり」も撮れましたし。「はつかり」も別な意味で憧れがありましたから。

―はい。

奥井 後で、「くろしお」で来るとは思わなかったですけどね(笑)。

―ああ、そうですよね。キハ81の平駅での発車シーンがありました。これは「国鉄ディーゼル篇」でも収録したもんですけど。

奥井 フィルム巻き上げて、あれだけしか写せなかった(笑)。

―でも地元ではなかなか見られないものを……。

奥井 あれだけ、撮ることが出来たんです。磐越東線から入って来る列車もかなりありましたからね。逆行もあったし、2台背面で連結していたかな、そんな列車もようけ(沢山)ありましたし。良かったですよ、あそこも。

―奥井さんのフィルムを見ていると、なんかその、D形はそれほど重要視していないようで、映っているのはもっぱらC形の、本線用のものばかりで……。

奥井 そうなんです。でも、もう1日、欲しかったけどね。

―そうですね。撮りに行けないですものね。

奥井 もう、無理ですわ。で、小名浜も行きたかったんです。あそこには、参宮(鉄道)のお古のA8が居ましたから。600形かな、1B1の蒸気機関車。

―それが、入換え用か何かで、居たんですか。

奥井 はい、残っていたんです。

―シロクニはこの時、平で撮られていますが、その後改めて呉線の方に行かれて……。

奥井 やっぱりロクニは、それぐらいは……(笑)。一応、さよなら列車、うまいこと入ってたでしょう。

―はい。さよなら列車ですね、あの……、なんとまあ……、何というか……、シロクニの17にシゴクの164の重連という……(笑)。

奥井 豪華な列車でしょ(笑)。

―まあ、いまだに破られてないらしいですね、狭軌の蒸気機関車の世界最高速度……、シロクニの17がマークしたという……。

奥井 はい。

―シゴクの164は梅小路に、シロクニの17が名古屋のリニア・鉄道館にそれぞれいますが、保存が決まっていたんですかね。

奥井 うん。C61の2号機もおりますしね。

―70年の8月ですから、梅小路入りすることは決まっていたんでしょうね。

奥井 でもなかったと思いますよ。

―C6217の方は、長らく名古屋市内で保存されていました。

奥井 ええ。

―呉線は電化直前で、前にEF58が付いていて……。

奥井 逆にですね、私みたいにムービーですから、電機を気にせずに撮ってますからね。だから撮れたんですね。

―はいはい、そうですね。

奥井 スチールで撮ろうとして、みな悪戦苦闘していますから。

―特に、後ろにぶら下がっている客車から前を撮ろうとしても、なかなかうまくいきませんし。その点動画はいいですよね。

奥井 一応、カッコだけ撮れてるでしょ(笑)。

―呉線は今も本数の多い所ですけれど、蒸機時代の昔も本数が多く、編成も長いですね。映像も貴重で、SLはC59にC62がバンバン走っているし、その前にEF58が付くし、普通列車、ローカルは気動車だし、72系の試運転は入って来るし……。

奥井 言う事ないと思います(笑)。

―糸崎機関区は当時、西日本では最後のシロクニの……。

奥井 基地でしたよね。一応、まだ、入りやすい時期でしたから、あれだけ撮ることが出来ました。

―割とほかにも撮影している人の姿が映っていますが、一言断って、撮らしてください、ああいいよ、ていう感じなんですか。

奥井 そうです。その時は割と気楽に、ホントに気楽に行けましたので。ただ、末期になって一回、人は写してくれるな、というところがあって……(笑)。SLは撮ってもかまへんけど、という機関区がありましたね(笑)。

―なるほど。でも、入っている人もヘルメットを借りて被っていますね。貸してくれるんですね。

奥井 そうなんです。


                  (つづく)

「よみがえる総天然色の列車たち第2章20蒸気機関車篇<前篇>」のむねのおく(その2) へ

奥井宗夫のむねのおく トップページへ

商品ページへ