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奥井宗夫のむねのおく 2-19

「よみがえる総天然色の列車たち第2章19 路面電車篇<後篇>」のむねのおく(その1)

                   聞き手:ディレクター&プロデューサー・宮地正幸

―路面電車篇の後篇ですが、冒頭、仙台市電から入らせていただきました。1976年1月の撮影ということで、これは「国鉄電車篇」に登場する仙石線を撮られたのと同じ日ですね。

奥井 そうです。

―早朝に松島に行かれて……。

奥井 ホントはC57、いやD62か、あれを一回撮りに行きたかったんですよね。ところが正月だから(貨物が)動いていないし、こちらは(店を休める)正月しか動けないし。その時は一関まで行ったんですがね。スチールを少し撮ったんですけどね、あとは撮れなくて。だけど、あれもいい機関車でしたよ!

―それで動画は残っていないんですね(笑)。

奥井 残っていないんですよ。あの時は動画のカメラを持たずに行きました(笑)。

―そのあと月日が流れて、再度仙台に行かれたんですね。奥井さんにとっては、北限ですよね。

奥井 ハイ。もう、完全に北限です。あそこの牡蠣はうまかった(笑)!

―(笑)イヤ、おいしそうですね(笑)。

奥井 正月でどこの売店も開いていないものだから、駅の食堂で酢牡蠣をとって、ビールを飲んだかお酒を飲んだか。うまかったぁ(笑)!

―お正月の仙台なんですね。この時狙っていたものは……。

奥井 結局、仙台ですから、まず最初に鹽竈神社に参って、それから撮影に掛かったんです。ところが仙台市電はモハ100型を中心に動いていて、呉から来たモハ2000型とかの大型車は全然動いていないんですよね。これも弱ったんですが、撮るとこは撮らなきゃ仕方がないと思って。ですから、大型車は全然動いていないんです。

―お正月なので、そんなにお客さんが多くないから大型車が動いていない訳ですね。

奥井 (車庫の人に)全然動かないよ、と言われて。あ、これは仕方ないわと思って、あきらめて。

―なるほど、バサッと全線がいきなり廃止される直前の、最後のシャッターチャンスだったんですか。

奥井 はい。これはもう、今行かなきゃ仕方がないっていう気がありましたから。強引に突っ込みました、よかったんか悪かったんか。撮ってる人は少ないでしょう、仙台市電は。

―そうだと思いますけどね。何かに収録された、というのを見たことがありませんので。

奥井 そうでしょうね。でも、ギリギリのとこでしか撮れなかったですよ。呉から(車両が)行ったということは、わかっていたものですからね。早く(撮りに)行きたかったんですけれど、その正月が唯一の旅行だったんです。

―再訪もかなわず、路面電車(仙台市電)もその姿がなくなりましたからね。常に路面電車もある程度無くなる前に追っかけていく、という旅でもある気がします。

奥井 そうですね。

           

―次に東京都電が出てきます。これにしても、今でこそ荒川線が残っていますが、中央区や江東区界隈を色々と走っているころで……。

奥井 ちょっとバラエティがあって、面白かったですね。次から次から(車両が走って)来ますから。とにかく来たやつに乗らなきゃいかん、(このあと)東京の日本橋の方へ行かなきゃいかん、それがありまして、あれだけしかフィルムが残せませんでした。

―東から都心に向かって、という感じで、錦糸町からスタートしたんですね。錦糸堀交差点あたりから。

奥井 はい。向こう(葛西橋方面)へは行かなかったですわ。

―錦糸堀交差点あたりはどうでしたか。

奥井 車両は何ぼでも来るし、後ろの建物があまり大きくなかったので、撮りやすかったですね。

―なるほど。

奥井 なんでこんなに撮れるんかな、っていう感じでしたね。

―数珠つなぎで信号待ちしていましたね。

奥井 面白かったですね。あんなに(車両が)あったんかなって。

―さすがにあの物量というか輸送量があるというか。

奥井 お客さんもあったんでしょうね。

―時間的に(朝の)ラッシュも終わって、(車両が)車庫に帰る頃かもしれません。

奥井 それにしても凄い車両の数でした。

―5両も6両も連なって来る。それと、専用軌道と併用軌道が入り混じりながら、小松川線から砂町線に入っていって、洲崎線に出る。

奥井 水につかりながらね。

―えーと38系統ですか、この系統(の電車)で都心へと向かって行くのですね。水につかる、ってなんでしょうね。

奥井 さあ、何でしょう。

―昔あのあたりに洲崎球場があって、満潮のために浸水してきて試合が中止になったという記録があるそうですが。

奥井 あの水はちょっと訳わからんね。

―門前仲町あたりにまた交差点があって、東西と南北の路線が交差しています。門前仲町の角からちょっと上がっていったところに小津安二郎の生家がありまして、生誕の地の碑が立っています。

奥井 あー、そうですか。

―こんなところで、松阪と奥井さんにご縁があったのかなあ、と思っています。

奥井 いっぺん行かなきゃあかんね。

―この後、永代橋を渡って日本橋の方へ入っていくんですが、都心の街の風景は今とはそんなに大きくは変わらないですね。

奥井 ええ。

―そこに東京都電が走っている様というのは、凄いなあ、と思います。

奥井 それはそうですね。あんなに簡単に撮れたもんかな、と思うぐらい。もっとゴミゴミしていているのかなと思っていたんですが、それほどでもなくて。やっぱりそれだけ写真を撮らなかったんですね、みんな。

―でも、あの取り合わせというのは、非常に驚きでして。フィルムに映っている街の風景は大きく変わるモノではなく、そこに昔の東京都電が走っている映像っていうのが、カラーで不思議な感じがしたものです。

奥井 あそこまで東京都電を撮りに行くやつは、ちょっとバカでしょう(笑)。

―その一方で、今でいう荒川線、当時は別の路線名で三河島線・荒川線・滝野川線・早稲田線と違っていて、系統も別で直通では走っていなかったんですが。もちろん車両も、今は更新されて違う姿(7000形)で走っているものありますが、いろんなところが今とは違うんですね。

奥井 そうですね、あちこち違いますね。また、いっぺん行きたくなりました。

―三ノ輪橋の王電の本社ビルとかあの界隈の雰囲気が好きで、割とそんなに変わっていないような気がしますが、停留所の周りは全然違っていて……。

奥井 うーん、なるほど。

―今あるところは、逆に整備されていますからね。(撮影されたのは)ちょうど赤羽線が廃止された直後ぐらいなんですね。(王子駅前の赤羽方向へ)曲がる線路はなくて、今と同じ京浜東北線の下をくぐって入っていく方はある。あのう、雑司ヶ谷の辺りは住宅がいっぱい、アパートなんかが密集していたんですが、今は(荒川線の)両側が震災・防災対策で立ち退きになって道路になっているんです。

奥井 ああ、そう。

―あのあたりは、よく鶴田浩二が歩いているシーンが、通勤シーンとして路面電車の線路を歩いているシーンがドラマであるんですよね。

奥井 女の子二人が歩いてましたね。

―そうなんですよね。それを見て、当時レコードのジャケットでどれだけあの辺が出てきたか、思い出しまして。学習院下から南側の区間が多かったんですが。よく(雑誌などに)取り上げられていて、このあたりを歩くのがおしゃれみたいな……。

奥井 あったんかもしれないね。

―映っていた二人は歩くのを楽しんでいるようで。

奥井 面白いですね(笑)。

―今だったら、さすがにちょっと怒られるやろう、と思いますが(笑)。当時の早稲田停留所は、なんか汚いというか荒れているというか整備されていないというか……(笑)。その先の線路は捲られたままみたいな感じがして。今はきれいになっていますからね。

奥井 そうでしょうね。

           

―そのあと、静岡鉄道が出てきますが、確か同じ日に駿遠線も行かれたのですね。

奥井 ええ。

―秋葉線、これは……。

奥井 貴重ですよ。

―どのあたりが印象に残っていますか。

奥井 うーん、そうですね、やっぱり最初の袋井駅かな。あそこ、ステップじゃなくて箱みたいなものに乗って乗り降りしていましたかね。

―新袋井駅ですね。

奥井 あれは大したもんですね。

―(笑)ホントにあれは箱ですもんね。

奥井 なんでこんなところに箱があるんだろうと思っていたら、あれがステップ(の代わり)なんだわ(笑)。

―駅を出ると、商店街の中をカーブして、狭いところを通っていくんですが、撮影場所を確認する作業をすると、今は逆にがらんとして道は整備されていますが商店があまりなく、凄く変わっているんですね。

奥井 うんうん。

―その先はほとんど未舗装でしょう。

奥井 そうそう、それが事実です(笑)。

―すごいですよね。車でも走っていたら、轍でえぐられて線路もだんだんむき出しになってくることもあるのだろうなと思うのですが、そういうこともない感じで。

奥井 ええ。

―通っている車も少なかったから、当然舗装もされてないんでしょうけれど。昭和37年のフィルムですが、すごいなあ、と……。

奥井 思いますね(笑)。スタフを箱に入れたりね。

―そうなんですよね、こんな棒みたいなスタフなんですね。あれ、箱に鍵とかかかってないんですよね。

奥井 ないですよ。

―持っていかれたら、どうなるんでしょう。

奥井 知らない(笑)。

―子供がなんかいたずらしそうですよね。

奥井 いとも簡単に置いていくんですもの。

―子供ならあんまり意味も分からずに触りそうな気もしますが。それと、車内の映像が出てくるんですが……。

奥井 ハンドブレーキですか。

―あれ、予備につけているのは、現役時代の阪急のP−6などでも見た事がありましたけど。あれを使って停めているのは……。

奥井 あれしかないの。

―映像でも見たことがなくて。強いて言えばローカル私鉄・西日本篇で、別府鉄道のところで……。

奥井 巻いています(笑)。

―一番後ろの緩急車(客車)で車掌さんが(ハンドブレーキを)巻きながら、後ろから引っ張っている映像がありましたが。

奥井 あれは連結器(の遊間)を空けるために引っ張るんですよ。

―あれとは違うし、正味これでブレーキをかけていますしね(笑)。

奥井 そうなんです。かけています(笑)。

―えー!凄いものを見たなあ!っていう感じですよね。駅舎の下に貼り紙がしてあって、廃止のお知らせで、見ると5日前の撮影なんですね。で、そのあと静岡市内線に回られて、こちらは最終日なんですね。

奥井 ええ。

―今でこそ廃止と言ったら、いっぱいファンが訪れて混雑したりするんですが、このフィルムを見たいる限り静岡市内線の最終日当日、それがあるんですね。どんな感じでしたか。

奥井 どうでしかたね、意外とあっさりとしたお別れ、と思ったね。

―私が見た限りは、結構人がいっぱい乗っていて……。

奥井 あれ、無料だったんでしょう。

―あ、無料ね。

奥井 じゃなかったかな。

―お手製の横断幕みたいなものが車体に掲げられていて、私の印象では、ここも最終日はえらいことになっているなあと。

奥井 もう2日前に行きゃよかったかな(笑)。

―いやいやいや(笑)。最終日でないと、ああいう風情は撮れなかったと思います。日没後も撮影されていましたね。

奥井 もうギリギリまで、フィルムが残っているのをありったけ使って(笑)。

―街の中、意外と大きな市街地の中を走る様子で、市街地となると車の量も多くなって……。

奥井 たったの2キロですからね。よう、運転しとったな。

―繁華街の両サイドに目一杯車が駐車していて、オート三輪とか古いものでね。

奥井 あのお茶屋さんがいいですよね。だからあれだけ車が多かったのでしょうね。

―お茶を運ぶために。

奥井 お茶問屋ですからね。

―それで地名も茶町だったりするわけですかね。

奥井 お茶問屋さんが、がんばっていたんでしょう。

―呉服町から茶町にかけての界隈ですよね。

奥井 まあ、今となっては貴重な映像ですね。

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