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奥井宗夫のむねのおく 10

「よみがえる総天然色の列車たち第2章13 近鉄編1」のむねのおく



 



奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴

三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。





―いよいよこのシリーズの「近鉄篇1」の登場ですね。国鉄編・私鉄篇と製作してきたなかで、この「近鉄篇」は奥井さんにとっても、特に思い入れの深いところがあるのではないでしょうか。

奥井 そうなんですね。10000系あり、12000系があり、何よりそれらのもとになった2200系があって、素晴らしいですね。

―近鉄篇は、紹介したい車両がとても多いので、5巻に分けて順次発売していく予定です。「近鉄篇I」では、それらの先陣を切って10000系が登場します。

奥井 10000系は私のとっても思い入れの深い車両で。新聞で今日から運転という近鉄の広告を見て、駅へ駆けつけて伊勢中川から乗ったんですよ。

―撮影ではなく、まずは乗ったと。

奥井 乗ったんです。記念乗車券を買ったりして、鉄道ファンではない知人と二人で乗ったんです。

―鉄道に特に興味のない方も乗りに行かれた!? すごい電車ですね。たしか2階建て車両は日本で初めてでしたね。

奥井 客車ではドイツやアメリカにはダブルデッカーがありましたけど、(近鉄のものは)アメリカタイプに似たものになりました。でもよかったですよ、あの車両は。窓が近いので視野が広い!

―それはビスタドームの窓が内側に傾斜しているからですか。

奥井 そう。さらに片側2列、片側2列のシートで、端っこは1列になっていましたので、独り者にとっては乗りやすい車両でした(笑)。

―逆に言えば、それだけ2階席のスペースが取れなかった?

奥井 そうですね。座席番号もABCDで、Iかそれ以上あったかな。全部で26席でしたから。それよりも、冷房には苦労されていたようです。空気循環装置がなく階下席を基準に調整されていたので、階上席は、冬は暑い、夏も暑い。だから、私らが乗りに行く時間の列車は空いていましたので、階上席からの眺めを大いに堪能しました。

―特急料金は階上席と階下席では変わらなかったのですか。

奥井 同じでした。でも、階上席は上本町のツーリストで売っていたのかして、一般の乗客にはあまり手に入らなかったようでした。座席番号はのちに101から始まる番号に変わりました。

―階上席の天井が低いようですが。

奥井 通路の床は下げてありましたので、それほど低いということはなかったです。座席の高さを少し上げてあって、うまく設計されていました。通路の床を市松模様のリノリウムで仕上げてあったのですが、廃車の時にはそれがもうボロボロで……。

―市松模様の床は、日本が舞台になった映画「007は二度死ぬ」にも登場していたので、日本ではステータスの高いデザインのようですね。

奥井 だから桂離宮の(市松模様の)壁を模したのではないかと思っています。

―先ほど、ビスタカーのデザインはアメリカのダブルデッカーから、というお話がありましたが、先頭車のデザインもアメリカのディーゼル機関車(EMD製F7形)の形から来ている、と。

奥井 そうですね。

―10000系の運用なんですが、7両で走っているところをあまり見たことがない、という話を聞きましたが。

奥井 これはね、土日は7両で走っているんです。どちらかのMM車の検査の関係で、平日に5両で運転されているのです。大阪方か、山田方か、どちらかを外してね。真ん中を外したオールM車での運転もありましたが、あまりなかったですね。やはり、モーターの有無が関係していたんじゃないでしょうか。

―私は近鉄沿線ではなかったので、奈良へお出かけした時ぐらいしか近鉄に乗ることがなかったのですが。

奥井 10000系になると、名古屋線関係の方も全然見てないんですよね。ゲージも違ったし、上本町―宇治山田というメインルートでしか走っていませんし。

―登場した翌年(昭和34年)に名古屋線が標準軌になりましたが、阪伊専用でしたね。

奥井 10000系は運転士も専用だったらしいです。車両の構造が少し違っていたので。

―そうすると、他線に転用するとしても習熟が大変ですね。

奥井 その上、中間を外した4M編成、どちらかのMM車を外した2M3T編成、7両フルの4M3T編成では運転が皆違う。

―そりゃそうですよね。阪急の電子頭脳車のようにはいきません(笑)。

奥井 しかも青山トンネルを境に向こう(大阪側)は雪、こちら(伊勢側)は晴れというようなことがありますので、10000系の運転には運転士が苦労したと聞いています。

―河内国分駅での事故があり、伊勢方の運転台が(復旧の際)変わっています。この「近鉄篇1」では復旧後のものがほとんどですが、登場当時の古い映像も収録されています。続いて翌年に10100系が登場するのですが。

奥井 意外と早く出たので、驚きました。しかし、車体構造はよくなっていましたね。2階席に座っても1階席に座っても、どちらもいい。循環装置はついていましたげど、やはり冷房には苦労されていたようです。

―新ビスタカーは、なじみの深い車両で懐かしいところもあるのですが。車内の様子は続巻(「近鉄篇5」で紹介する予定で、まずは走りを中心にしています。

奥井 車内といえば、シートラジオが憧れで。

―伝統でいえば、2250系からシートラジオが付けられたんですよね。そして、10000系、10100系にも引き継がれた。

奥井 はい。

―列車公衆電話も引き継がれた。

奥井 はい。

―新幹線の5年前に「新ビスタカー」がデビューしました。先端を行く車両だった訳ですね。それと連接車体で出ました。

奥井 構造上ドア位置が不便だったぐらいで、割と便利な電車でしたね。

―新ビスタカーと他の形式との混結編成という見所もありますが、それぞれの形式の登場順に紹介していきます。

―10000系・10100系に続いて、昭和36年には10400系が登場しますが。

奥井 10400系、あれは面白い電車でしたね。正面の貫通路が真ん中にあっても全部前の車両が見えるんですよね。8両つないでいたら、一番後ろからみて一番前の運転台のところまで全部見える!なるべく8号車に乗って、貫通路を通してずっと見ている!(笑)

―それはなかなか面白い見方ですね。気づいている人は少ないんじゃないでしょうか。

―走りの観点からいうと、屋根がですね……。

奥井 統一されています!

―クーラーが下にあるため、10100も10400も屋根の統一感が美しい。それと、10100系のところでしたか、妙な試験の映像がありますが。

奥井 ええ。あれはモーターの発熱試験です。10100のモーターがトレーラーを併結した際の負荷に、特に勾配線区でどれだけ耐えられるかどうかを試験したんです。

―その試験の結果、どうなりましたか。

奥井 その結果、まだゆとりがある、ということになって、新ビスタカーにエースカーのトレーラー(ク10500形、ク11500形)を1〜2両併結する編成が登場しました。近鉄さんとしては、10100〜11400までの車両を上手いこと、自由自在に運用していたと思います。平日と休日では運用が全然変わるんですよ。平日は編成両数を減らして運転、休日はいっぱいまで連結して1列車で足りなければ増発する、という具合ですね。

―そんな関係で、他形式との混結編成の映像が多いのですね。10100系と10400系や11400系新エースカーなどとの混結や、そのあともいろいろ登場してくるのですが、そのあたりを系統立ててわかりやすいように編集を心掛けたつもりなんですが……。

奥井 あれでよくまとまってましたよ。

―ありがとうございます。改めて見られて、どんな感じでしたか。

奥井 なかなか面白かったです。この頃の若い人には、10400や11400なんか知らないでしょうね。僕らの年代ならすぐわかりますけどね。次から次へと新しい車両が出てくるし、スナックカーなんかにしてもどんどん改造されていきましたからね。「近鉄編1」や「近鉄編2」辺りではまだ、そんなに出てこないでしょうけれど、あとになれば10400も11400もいろいろと改造されていくんですね。

―10000の事故復旧車もそうでしたが、10400が更新改造で18200とよく似た顔になりましたね。今は、この顔もないわけですが。

奥井 そうですね、どんどん変わってきていますね。

―その変わり様が人によって受け止め方が違ってくる、近鉄を知れば知るほど、面白いところですね。

奥井 あまり変わらなかったのは、「あおぞら」ぐらいですね。

―「あおぞら」は「近鉄篇2」で紹介します。

           

―「近鉄篇1」では一般型の電車も扱っているのですが、とはいえ戦前の関西急行鉄道(関急)時代からの6301形などが登場しているのですが。

奥井 私らね、あれ(6301系等)にあまりなじみがないんですよ、松阪では。名古屋に出るときは国鉄で1日に1、2本しかない快速に乗って。結局はSL(牽引の列車)に乗りたかったんでしょうね(笑)。

―奥井さんのご趣味は、そこから始まっていますものね(笑)。

奥井 近鉄の準急電車と国鉄の快速が名古屋を出ると、津で一旦出会うんです。で、ここからどっちが早いだろうか、近鉄は中川に寄る分だけ時間がかかる、国鉄はまっすぐ松阪に来る。

―ということは、国鉄の方が早い?

奥井 国鉄の快速は、それだけ早さのサービスをしていました。

―国鉄は亀山経由だけれど早いのですね。

奥井 逆に近鉄は準急なので、停車駅が多く時間がかかる。ですので、そうなるんです。急行やと、もちろん近鉄の方が早いんですが。

―停車駅の多い準急は、それだけ駅間を飛ばして走っていたと。

奥井 急行や準急はM車の比率を多くしてT車を減らして走っていたんです。逆に特急はT車が多い。

―特急は停車駅が少ないから……。

奥井 停車駅が少ないから、最初にスピードを出してしまえば、あとはうまく走れたんです。

―加速性能を上げる必要がないと、ということですよね。

奥井 しかも、近鉄さんの運用は見事なもので、土日で競輪などの催し物があると、急行や準急は車両を3扉車に変えてしまうんですよ。そりゃ、見事なもんです。平日は2扉のMMでもローカル運用に回して、3扉車中心の運用に変えてしまうんです。

―はい。

奥井 あれ、よう運用していたなあ、と思って。あれには感心しました。催し物があると、車両の組換えをあっという間にしてしまう。しかも土日だけ。だから、マニアでもどの形式がどう走っているのかがが分かりにくくて。しかも、名古屋線は車両数が常時不足していましたから。ですから、ちょっと油断してると、南大阪線から車両を回してくるんですよね。あれも見事でしたよ。

―どう編成を組んでいるかといえば、ここで登場するだけでも6301系をはじめとして、モ6311、モ6331、モ6251、モ6261、6401系にと、ありとあらゆるものが連結されて来るんです。ここに当然6421系など過去の特急車が入ってきて……。どれだけ豪華な編成なのか。

奥井 特急車は格下げされる場合があるんですね。その場合は準急に格下げされて、急行は普通の編成のままで。準急の先頭車で(特急色のまま)準急の看板をつけて、平気で走ってくるんですよ。あの運用も見事やと思ってね。

―(名古屋線と比べて)大阪線は形式を雑多に連結していることは比較的多くないですね。

奥井 大阪線はね、割にピシッとまとまってたんです。

―そうですよね。逆にもともとは単独M・両運転台など、長い編成向きではなかった車両が、名古屋線系統で、松阪や伊勢に入ってくるようになりました。それがそこそこ輸送量が伸びてきて、4両や6両に繋ぐようになってから、そういうことが起きてきたんですね。以前、何がどう繋がっているのか、近鉄内部の人でもパッと見て分からないと仰ってましたね。

奥井 そうそう。それと、一部のM車ではモータを外して、台車を交換してトレーラーとして使っている車両がある。車番の下に白線を引いて、トレーラーとして編成に組み込んであるものが多くありました。

(注:モ6241形6421やモ6301形若番車など、のちに養老線に転属した際にク6421形、ク6301形→ク5300形に形式を改めた車両が、名古屋線時代に実質トレーラーとして使用されていたそうである)

―それと17m車で、一部に車体を切って伸ばして19mにしたものがありましたよね。

奥井 6331形で2両、ありました。33番と38番ですね。

―驚くべき改造をやっていたりしますね。3扉にしてアルミサッシにしたり(モ6333)、真ん中だけ両開きになっていたり(モ6338)、色々と……。

奥井 素晴らしい改造ですね(笑)。

―ただ見ているだけでは判らないことも。

奥井 多分、あると思います。

―実はこんなことになっているんだ、となるべくわかりやすいように編集したつもりなんですが……。

奥井 あれ(DVDのナレーション)より、言いようがないと思います(笑)。

―あと、撮影された分量は少ないのですが、近鉄一般色になる前の特急時代の6421系などの貴重な映像があります。

奥井 もうちょっと早く撮りたかったんですけどね。ちょっと無理でしたね。

―フィルムも高いし。

奥井 SLだけでふうふう言うてましたし。

―当時はSLを中心に撮られていた訳ですしね。この時代の映像は、あとの「蒸気機関車編」で紹介させていただきます。あと、少し異彩を放っているのが6431系です。これは異端的な車両で、面白いですね。

奥井 これも面白いですよ。クーラーキセが一体となっていましてね。しかも流線型で、しかし日車やなかったかな。(注:6431系から近畿車両製)

―何か思惑があったんでしょうか。(注:大阪線はほとんど近畿車両で、名古屋線は6421系までほとんど日本車両製)

奥井 名古屋線は名鉄の800系辺りから設計が一緒だったですからね。その流れがずっと続いていたんじゃないかな。日車の方が綺麗でしたよ(笑)。だけど、(6431系は)4両しかなかったんですけど、いい車でしたよ。

―熱線吸収ガラスは、名鉄では割と使われていたんですか。近鉄では珍しいですけど。

奥井 ええ。近鉄では珍しい。

―阪急京都線の2800系が3扉に改造された時に、戸袋窓のところが熱線吸収ガラスになっていたらしいです。言われたら、確かにそうだなって。

まあ、このような車両も、この後色々出てきますので、お楽しみということで。

           

―「近鉄編1」はこの後、ガラッと趣を変えて、養老線の様子を見ていきます。

奥井 養老線の沿線は、トンネルがチョイチョイあるんですが、全部川の下を通るトンネルで、それが面白いんですよね。

―天井川なんですね。その辺は編集しながら、「近鉄プロファイル」の時に撮りたかったけれど撮る場所がなかったし、揖斐川を入れたかったんですが撮れなかった、そんなことを思っていまして……。

奥井 (撮影のために)どんどん歩きましたからね(笑)。

―車で行くといけませんね、好撮影地を見落としてしまう(笑)。奥井さんは、いい場所にどんどん行かれて……。そしてまた、走ってくる車両たちが……。

奥井 いいでしょ!前編後編があるみたいで。

―何年か時間をおいて2回撮影されたものを、両方収録しているのですが……。養老線は、ご存知の方はご存知なんですが、北陸方面と三重県方面の貨物輸送の短絡線で、貨物輸送が盛んなために名古屋線改軌の時にもそのまま……。

奥井 狭軌のまま、残されたんです。

―そのため、電気機関車が貨物を牽いて、しかも両数が長い。

奥井 でも、ホームの有効長がそんなになかったですから、べらぼうに長い貨物列車はなかった。

―しかし、一般の私鉄の貨物列車と比べると、養老線は長いと思います。

奥井 私は吉野線の方が長いと思った。あそこは凄かった。機関車が前後に付いているでしょ。いずれ(続刊に映像が)出てくると思うけど。

―その辺は、一度確認してみたいと思います。それと電車の方ですが、伊勢電時代の車両とか揖斐川電気時代の車両とかが、バリバリ現役で走っている。一言でいうと、養老線の電車の魅力はなんでしょう。

奥井 古い時代の車両でしたが、名古屋線改軌前はゲージが一緒でしたので、伊勢線を通って松阪の外れ、新松阪まで来ていましたし、貨物列車もカネボウの引込線まで11往復走っていましたので、非常になじみが深いですね。

―カネボウの引込線といいますと。

奥井 松阪の川の向こうにあったんですよ。今は、松阪市の資料館になっています。そこまで入ってきていたんです。

―伊勢線を通って?

奥井 伊勢線を通ってです。入換え用にディ−ゼルが1台いまして、最後はそれが引っ張って行ったんです。32(デ32形)、31、21、11、みんな入って来ていましたね。その頃は電気機関車もまだ真黒な色でしたが(笑)。

―フィルムでは近鉄マルーンに近い茶色系統の色ですね。青(ダークグリーン?)は……。

奥井 青は、まだ映していません。その頃は、青ばっかりでしたけれどね。まだ吉野の木造車(ク5421形、クニ5431形)が残っていました。あれが結構、こっち(伊勢線)に入っていました。

―吉野鉄道のような南大阪線系統の車両が、こちらにも入ってきていたという……。

奥井 それはあります。いとも簡単に入ってきていたんです。

―逆に旧伊勢電の車両が吉野線に行って(モ5820形)みたいなこともありますし。

奥井 あの車両はよかったなあ。シートがフワフワで。

―どの車両ですか。

奥井 モニ6231形ですね。のちに吉野線の「かもしか号」になった。

―名古屋線の旧型車両は仕分けをしていくのが大変でしたが、養老線の辺りは、撮りながら移動しながら、というスタイルの部分ですね。

奥井 はい。

―編集しながら、車両の紹介とは違った楽しみがあります。

奥井 伊勢電にしても養老鉄道にしても、モハニが多いですから、いろいろと楽しめると思うんです。逆に吉野鉄道はクハニ(クハ)が多いんです。ここら辺では面白いことに、新松阪駅の近くに竹材店があってそこで買った竹を持って電車に乗る、そうすると長いもんだから貫通路を開けて竹をはみ出させて走っていたんです。

―竹を買って、電車に乗せて行く(笑)。

奥井 ですから、そんな写真が残っています。貫通路開けて竹出しているわ、と(笑)。

―前に出しているんですか。

奥井 後ろですね。後ろの貫通路を開けて、竹を出している。そして、買った本人は荷物室に座って竹を見ている(笑)。

―当時、今では考えられないぐらい、荷物室を備えた電車がある。

奥井 みんな同じような構造ですからね。

―貨物輸送もそうなんですが、小口(手小荷物)の輸送はいつ頃まであったんでしょう。

奥井 かなり遅くまであったと思うけど。この間も写真を見ていて思い出したんですが、堅下か国分の辺りからブドウを積んだ列車が毎日に走っていて。貨物電車ですね。

―ほう、ブドウ電車ですね。

奥井 あれ、よかったですよ。(モワ)1800ていう、ダブルルーフの200形の荷物車(注:大軌時代にデボ61形から改造)ですね。あれが夏の間は毎日来ていましたから。堅下の辺りで積んで、松阪の方へ運んできて、このあたりで売っていたんでしょうね。

―松阪からは魚を運んで、向こうからはブドウを運んで来てたんですか。初めて聞きました。それで、養老線の映像を見ていまして、貨物もそうなんですが、養老線の特色が車両を通して良く出ているなあ、と感心していました。

奥井 それがあったから、電気機関車のアレ(貨物)が好きだったんでしょ。

           

―そのあとは、名古屋線の電気機関車の映像がたくさん出てきます。この当時は事業用、工事用の運用なんですが、ひたすら撮影に徹しておられる。

奥井 はい、動くとなると、何をおいても飛んでいきましたから(笑)。

―同じ列車をずっと追いかけておられるように思うのですが。

奥井 追い抜けるときは追い抜いていました。大体の運用はわかっていましたから。

―それと保線帰りの列車を追っておられるのですが、もしや毎日、撮影に通われたとか。

奥井 ええ、通いましたよ(笑)。天気を見ていい天気だと分かると、125佞涼閏屬杷鯆佑諒まで走りました。

―時間帯はどの辺りだったんでしょうか。

奥井 7時台でしたかね、6時台ではなかったです。

―割と遅い時間ですね。野菜の仕入れに行かれてからですか。

奥井 行かなしょうがないですよ、市場を放っといて(笑)! そうせんことには間に合いませんもの(笑)! そのあと、一目散に帰ってきましたから。

―市場があるので午後からの撮影が多いとお聞きしたんですが、これは別なんですね。

奥井 別です!行かんことには話になりません(笑)。それも1年で23日しかない運用ですから。これは行かな仕方ない。

―当時、白子に保線車両の基地があって、伊勢若松から帰ってくるのを撮っておられて。そしてチキを開放して、電気機関車は白塚に帰って行く。

奥井 結局、レールを運ぶか砂利を運ぶか、それだけの運用なんですね。ですから、何とか両方とも、撮りに行きました。

―なんでこんなにフィルムがあるのかと思っていましたが、そういうことだったんですね。執念というか、それだけ思い入れがあったんですね、

奥井 はい、トコトン行きました(笑)。それだけ、電気機関車が好きでしたね。年に1回の貨車疎開は別ですよ。貨車疎開の時は明星車庫にあるものを全部つなげて引っ張っていくわけですから。でも、その時は向こうまで撮りによう行けませんでした。松阪を通過する(のを撮る)だけ。

           

―「近鉄編1」では「近鉄篇全体」を「こんな内容ですよ」と見せるため、色んなものを入れていったんですが、この後、三重交通時代の湯の山線の映像が出てきます。「近鉄プロファイル」にもちょっと引用させていただいたのですが、冒頭に出てくるのが4400系という車両ですね。

奥井 あれは一番最後に出てくる車両ですからね。湯の山線は、私らは鈴鹿の山に登りに行くのにしょっちゅう乗っていました。御在所岳へ岩登りに行っていましたので。

―明らかにフィルムの調子の違うものが混じっていたように思っていたのですが。

奥井 その関係です。

―何度も行かれて、その頃に撮っておられたのですね。近畿日本四日市駅が当時まだ地上駅で、湯の山線が三重交通三重線だった頃、ホームに入って来たのが連接の4400系ですね。

奥井 連接構造の垂直カルダンの車両です。

―当時一番新しい車両で、デビューしてあまり時間が経っていない頃ですね。

奥井 あの頃の姿は、あまり誰も撮っておらんと思いますね。

―この車両が後で、北勢線で付随車化されて……。

奥井 今も走っていますね。

―それに当時は、四日市でスルーして、内部・八王子線と直通していたんですね。4400系を除いて、電動車が付随車を牽引して、終点で機回しして付け替えて折り返していました。

奥井 あれは、松阪線でも共通でしたからね。

―松阪線は近鉄線にはならなかったので、「ローカル私鉄 中日本編」で紹介しています。当時の湯の山駅での入換えや内部駅の入換えもきっちり撮っておられて……。

奥井 もう少し外側へ回り込みたかったんですが、時間がなかったんです。

―今ではどこもやっていない事です。

奥井 あー、そうなるか!

―電動車が付随車を引っ張っていて、その付随車は運転台がない客車のような車両でバックができないので、こんな面白い映像が撮れたわけですね。そして、湯の山線を標準軌化している工事の最中のナロー時代の映像です。

奥井 (ナローの線路が標準機の線路の)ちょうど中へすっぽり入ってますからね。

―幅が狭いですからね。狭軌を標準軌に改軌するのとは、違う雰囲気の工事ですね。そして、四日市駅周辺の様子が、今と違うこと違うこと!

奥井 そうでしょうね。でもあれよりも、諏訪の時代の方がもっと違っていたと思います。電車が、キ、キ、キ、キィー、と音を立ててカーブを走っていたんです。諏訪の駅には電機の51が、パンタとポールを両方持って停まっていたんです(笑)。あ、両方持っとると思って。

―諏訪駅から四日市駅への移転が昭和30年代の初めにあったわけですが、当時の航空写真を見ると、それからしばらくしても四日市駅の西側があまり発展していませんね。

奥井 何にもありませんよ。

―今でこそ、四日市駅の西側はビジネス街みたいになっていますが、逆に言えば何もなかったから開発しやすかった、ということでしょうか。

奥井 そうでしょうね。

―かつての四日市の中心は、伊勢電の本社もあった国鉄と近鉄の間だったんですが、このフィルムを見ても内部線の西側には何にもないんですね。今はここが全部ビルなんですが。内部線のフィルムなんて、昭和46年のことですからね、そんなに昔じゃない。如何に変わったのか、ということですね。そして、八王子線が昭和49年に水害で休止になって、その後一部が廃止されてしまいますが、それ以前の、路線名の由来となった伊勢八王子の駅までの映像があります。

奥井 これは貴重やと思いますよ。

―ここの動画は、ほかでは見たことがないんです。

奥井 ここには松電の車両が行っていましたので、早くから気にはなっていたんです。そう何回も行けませんが、45年に1回は行けたらいいかな、と。

―その後も何回か行かれているのですが、その時の映像は、あとの巻で紹介しようと思います。その時に、また見比べながら楽しんで頂けたら、と思います。そして最後に、北勢線です。西桑名駅が今の場所よりも、さらに東側にあった当時の西桑名駅。こういう構内だったんだなあと思うと、面白いです。

奥井 あれは面白いです。駅舎をもうちょっと入れておけばよかったですね。すでに日陰になっていたので撮らなかったんです。それとすぐに養老線の電気機関車が動くと分かっていたものだから、電気機関車に集中しました。それから走って走って、オーバークロス(名古屋線益生駅の北側)まで行ったんです。

―今のバスターミナルのある場所が、西桑名駅と車庫があった所で、その東に三交インが建っている、丁度駅構内の敷地だったところに建っているんですね。

奥井 なるほど。

―先の三重線のところで出てきた4400系が電装を解かれて付随車となって……。

奥井 (電動車に牽かれて)走っていますから。

―形式がサ201−サ101−サ202ですか、言われなきゃ解らないですからね。

奥井 まあ、動いてることを知っている人は少ないでしょう。

―ナローの車内の様子とかも撮っておられるのですが。

奥井 前の人の膝と当りそうになっている(笑)。

―北勢線は三岐鉄道に譲渡されたりして、かなり色んなことが変わってきていますから、今と違う姿が見られて面白いですね。そして、列車にに乗りながら、途中で走りを撮られたりして、また、終点の阿下喜で入換えしているところも撮られていて、いい感じですね。如何でしたか。

奥井 まだ、ビデオテープもあるんですが、まあ、今回はこれくらいで(笑)。

―北勢線は、この後の映像が後の巻で出てきますので。その時は宜しくお願いします。




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奥井 まだ、ビデオテープもあるんですが、まあ、今回はこれくらいで(笑)。

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