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奥井宗夫のむねのおく 2-12

「よみがえる総天然色の列車たち第2章12ローカル私鉄・西日本篇」のむねのおく(その1)





奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴

三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。




―最初は京福電鉄です。当時は嵐電も叡電も京福電鉄でしたが、嵐電はあとの「路面電車篇」で紹介しますので、ここでは叡電を取り上げています。

奥井 紅葉を見に行こうと鞍馬まで行って、撮れるものは撮っておこうとひょっと行ってひょっと撮ったという感じですね。

―本当ですか、それ(笑)。

奥井 あの時は鞍馬寺の本堂まで登って行ってるから、物見遊山ですね。

―帰りの映像がないので、そんな気もします(笑)。

奥井 山に登るのも好きだからちゃんと(本堂まで)登って行って、まあ鉄道ばっかりではなくちゃんと観光もしているよ、ということです(笑)。

―当時の叡電と言えば、ポール集電が有名でしたが……。

奥井 ポール集電は面白い、というより三重交通で馴染んでいましたんで興味がありました。

―撮影された昭和46年の時点では、ポールで走っていた鉄道というと……。

奥井 叡電と……、ぐらいかな。

―叡電もこの数年後にはパンタグラフに変わってしまいますが、(撮影当時は)昭和53年に廃止になった京都市電がまだ通っており、平面交差するところがありましたので……。

奥井 平面交差があったので、ポール集電でなければならんかったのかな。

―平面交差の架線構造は複雑ですが、ポール集電ならその構造が割と簡単にできたということでしょうか。

奥井 そうでしょうね。

―戦後生まれの車両の中でカルダン駆動のデオ300形なども、丸みを帯びた車体とポールの組み合わせという面白さがありました。

奥井 うん、なるほど、そういうとこもあるわな。

―叡電も変わっていないようで変わっているところもありまして、今や観光路線ですからね。

奥井 あれから後も、暇があれば行ったことがあると思うんですが、ビデオテープになってからで、もうあまり見たこともないから。

―ビデオテープになってからはやっぱり撮りっ放しで、あまり見たことがない……。

奥井 見てる暇がない。撮る量が多くなって。

―(カメラが)まわりっ放しになりますからね。

奥井 ダブルエイトの時代からスーパーエイトになって、スーパーエイトでも途中でフィルムが違ってきてるし、次にサウンド付きになって、ビデオでも8ミリで撮って、次にDVになって、ホント、いろんな機材を体験させてもらってきてます。今また、カメラがほしいの!(笑) 今度出るG20かな、変えてみようかな、やめておこうかな、今思案してるの(笑)。

―なるほど、ぜひ、やってみてください(笑)。

奥井 やりたいことはいっぱいあるんよ。パソコンもやってみたいな、という気も起るし。

―それはもう、ぜひ、やってください!おすすめしますよ。

奥井 しかし、いちいち息子に相談せな仕方ないから。あいつの言いなりだわ(笑)。

―息子さんも同じ趣味で、何でも相談できてよかったですね。

奥井 もう何でも、あっちに頼まな仕方ない。

―今持ってらしたカメラはA1でしたね。

奥井 これちょっと重たい。

―これは僕も使ったことがありますが、あまり軽すぎてもあきませんからね。

奥井 これでプリレックがついてるんだね。素晴らしいよ、このG20は。プリレックがついてるのを見て、あー欲しい!(笑)

―列車を撮るときに、あー、ていうのが無いから(笑)。ただ、シャッターを押すとき、優しく押さないとカメラが動くんですけどね(笑)。

奥井 そこもちゃんとわかってるんだけど、欲しいね(笑)。

―この前の話では、どこでどう撮ろうかと5万分の1の地図を見て当たりをつけたら、もう半分勝利したようなもので、あと半分行き当たりばったり、と謙遜しておられましたが。

奥井 だけど、ほとんど変わらないよ、地図も(笑)。鉄道地図を当てにして、撮ってる時もあるし。いちいち地図を取り寄せるほどのこともないんだから(笑)。

―叡電も片手間に撮ったと言っておられますが、結構楽しませていただきました。

           

―そして、次に出てくるのが野上電鉄です。

奥井 丁度、雨の日になってしもて、あの線、右往左往して何んとも仕方がなかったな。そう言えば、(編集された映像に)紀州鉄道は出てこなかったな。

―紀州鉄道のフィルムは見たことがないですね。

奥井 そうか。それじゃ、(未編集フィルムの)この中かな。

―撮っておられるのですか?

奥井 撮ってると思う。それか、Hi8に替わってからか。

―あー、なるほど。

奥井 実際、ホントに(いろいろなカメラを)使っているもの。エルモの8Eでしょ、あー、8Aだ。それからキヤノンのBEEE、ここまでがダブル8。そのあと、ニコンの2台だろ。それから(キヤノンの)1014。そのあと、ソニーのビデオ(Hi8)に。

―そうすると、8ミリ(カメラ)では5台ですね。

奥井 8ミリでは5台だな。それからソニーの1000を買って……、900を買うんだわ。これがDVだろ。その前に700も使うてたな。

―ビデオカメラも併せて、9台目、ていうことですね。

奥井 10台目やね。

―10台!すごいですね。やっぱりカメラが変わると、モチベーションも上がるから、次から次へと写して……。

奥井 まあね。それだけ友達が多かったから、よかったんだわ。8ミリのグループと、鉄道は松阪レールクラブで、ファイト、ファイトで突っ走りましたね。

―野上の時は、どのカメラだったんですか。1972年の撮影になっていますが。

奥井 野上の時は、ニコンの古い方やと思うな。5倍の。

―ニコンの5倍、古い方。新しい方が8倍ズームなんですね。

奥井 8倍ズームです。そのあと10倍のキヤノンに替えるわけ。

―なかなか天気が悪くて残念だったのですが、かなり暗い調子になっています。

奥井 全線を通して撮っているので、そういう感じが出ていると思います。

―それが、その後の野上電鉄の行く末を思わせるような……。

奥井 あの日はあれ以上動きようがなかったけれど、一応終点まで乗っています。

―ここで登場するのが、箕面有馬の1形ですね。

奥井 はい。あれもまだ動いていました。

―あれは狙って撮られたんですか。

奥井 車両は見たら大体わかるので、丁度来たのでそれっ、と撮りました。

―後年のオレンジっぽいツートンカラーのビデオは見たことがありますが、この当時のダークグリーンと黄色の帯の阪急1形というのは初めてです。

奥井 阪神の小型車が好きで撮りに行って、高松琴平電鉄も早めに取りに行きました。

―おっしゃるようにそのあと阪神の小型車がぞろぞろ登場して、5形式登場するうちの4形式が元阪神の車両です。

奥井 まだ土佐電鉄もありますし。

―この当時、阪神の車両があちこちに行っていますね。

奥井 意外と早く放出しましたね。

―阪神の大型車化が進んだので、出物があった、と。

奥井 そうなんでしょうね。早く処分したんでしょうね。

―このあたりにつきましては、あとでまた触れていきたいと思いますが、野上電鉄の映像は少ないですね。

奥井 あれだけの時間であれだけしか動いていなかったので、仕方がないですよ。隣の駅まで行こうと思っても行けなかったんですよ、大雨で。

―それで仕方なく、走りをあきらめたんですね。しかし、連絡口駅から日方までずっと、カメラを止めずに回していましたね。

奥井 あれは、フィルムの長さを取ろうと思ったら、あのように(望遠で)撮らざるを得なかったな。

―と、言いますと?

奥井 広角でパッと撮ってしまったら後々フィルムの繋ぎようがなかったので、(1本のロールにまとめるために)フィート数を稼ごうと思って。普段は望遠を使わんのですが、あのように撮ったんですわ。

           

―そしてその次に、水間鉄道が登場します。西日本編では鉄道会社が多く登場しまして、それぞれのフィルムは長くはないのですが、水間鉄道もそうですね。

奥井 2、3本の列車が一日動いているだけで、ほかに撮り様がないんですね。

―同じ編成を撮っても仕方がない(笑)。

奥井 水間の場合は、南海高野線から来た編成が動いてくれたので、恰好がついたんやけどね(笑)。それにしても、あの車両はよかったですよ。内装の、木の握り手なんか、素晴らしいものでした。

―南海のモハ1201形ですか。(この車両の投入によって)南海から来た古い車両が淘汰されていったりしていますが、最初に登場したマルーンのナニワ工機製のモハ250形ですか、ああいう車両がいたことを知りませんでした。

奥井 ナニワ工機は、今どうなったのかな。

―社名をアルナ工機にした後、最近一旦解散しまして、アルナ車両と名前を変えています。工場も尼崎から撤退しまして、阪急正雀工場の中に移転して、今、路面電車を作っています。日本の路面電車のトップメーカーです。

奥井 昔、ナニワ工機へ東武の特急を見に行ったことがあるな。

―え、東武のどの特急ですか。

奥井 1700系やったか、1720系やったか。

―DRCですか。

奥井 そうそう。車内にまだビニールシートを敷いていたかな。

―引込み線から運ばれていったんでしょうかね。昔は正雀まで国鉄を通って、阪急の電車も運んでいましたからね。

奥井 ああ、なるほど。

―考えてみたら、連鎖的にいろんなことが出てきますね。モハ250形のマルーンの色から話が展開していくのは、面白いですね(笑)。そして、水間鉄道も、今やうどん屋さんですからね。杵屋の傘下に入りましたけど、頑張ってほしいものです。ただ、電車がみんな東急の車両になっていて、(撮影当時と)ガラッと感じが変わってしまいましたが。

奥井 また乗りに行きます。

―是非。どう変わったのか、時代ごと見ておかないと、まるで生き物のように変わっていきますからね。

奥井 うん、そうですねぇ。

           

―次は、別府鉄道です。

奥井 ここは面白いところですね。スパンの長い板バネ(の車両)の乗り心地!あれは素晴らしい!

―ハフ7ですね。

奥井 松電もそうでしたからね。松電の2軸の客車、カ1という車両やけれど、あれも乗り心地が良かった!

―2軸の客車で乗り心地が良かった、というのか想像できないんですけれど……。

奥井 しかも松電の場合は、ねじ式連結器で動力車と密着しているでしょ。だから、余計に乗り心地が良かった。

―バッファーですね。

奥井 ヨーロッパに行ったら、(鉄道に)乗りたかったんだけど、まだ行けていない。

―バッファーで密着していることは、今の連結面の車体間ダンパーと通じるところがあるんですよね。連結器以外でも車体をつなげておいて、乗り心地を安定させておこうという。ねじ式連結器は危険だったりもしますが……。

奥井 ヨーロッパは今も(バッファーの使用が)続いていますからね。それだけの値打ちがあるということですね。

―そういうことなんですね。そして、その2軸の客車(ハフ7)がダブルルーフで、オープンデッキで……。

奥井 私一人で乗せてもらって(笑)。

―他にお客さんが写っていませんものね、車掌さんしか。回送列車に乗せてもらったわけでもなく。

奥井 デッキには、ちょっと荷物が乗っていますけどね(笑)。

―行きも帰りも、お客さんは奥井さん一人だけだったんですか。

奥井 そういうことですね。

―なるほど(笑)。

奥井 あれは贅沢ですよ(笑)。一回、日立(電鉄)でもそんなことがあったけれど。運転手と車掌とお客さん一人ということが(笑)。

―以前、夜の長崎本線で、回送を兼ねたキハ58系12両編成の普通に乗ったことがありましたが、あまりにお客さんがいないので端から端まで探してみたら、私一人だった(笑)。間違えて回送列車に乗ってしまったかと思ってしまったぐらいの、そういう営業列車に乗ったことがありましたが。今回の別府鉄道の混合列車は後ろに(客車が)1両だけくっついていて、車掌は駅に停まるときにハンドブレーキを回している。

奥井 ハンドブレーキを回して、貨車に引っ張られないようにしていると思いますよ。

―貨車を解結し易いように、後ろからブレーキをかけて調節している訳ですか。

奥井 次の入換え作業のために、ハンドブレーキを引いていると思います。

―ナレーションでも言っているように、「昭和50年代の加古川の風景」なんですよね。(今、改めて映像を見ると)ホントですかねっていう感じですね。

奥井 あの辺もだいぶ変わっているのでしょうね。

―(別府港駅の)あの構内は大きなスーパーになっているようですが、本当にタイムスリップですよね。

           

―昔は、国鉄の幹線から外れたところへ向けて私鉄が敷かれていたようなことがどこでもあった訳ですが、次に出てくる井笠鉄道もそうした鉄道のひとつかな、と。井原も山陽道の宿場町ですね。

奥井 やっぱり、山陽道も歩かなあかんのかな。やっと東海道を歩いたんやけどね。

―東海道を踏破されておられるのですから、次は西国街道を起点にして、山陽道を目指されては。

奥井 中山道を歩こうかなと気もあるんやけどね。草津で(東海道から)分かれるところを見ているから。

―乗っていない線を見ると乗ってみたくなるのと同じで、次から次へと歩いてみたくなるような(笑)。

奥井 そうなんですよ。だからやることが多くて(笑)。

―井笠鉄道なんですが、時代から取り残されたような雰囲気で、しかも引退した蒸気機関車が保存されていたりして。ディーセルカーが客車を引いているんですね。

奥井 ナローは、はじめは松阪線で馴染んでましたし、次にその松阪線の車両が移動して尾小屋と静岡に行ったんです。そのあと、ナローをもっと撮りたいという気になって、井笠に行った訳です。

―松阪からだんだん撮影範囲が広がっている……。

奥井 そうそう、まず松阪中心から初めて、内部線や北勢線に行って、さらに伸ばして尾小屋とか静岡に行った。

―そうすると車両のつながりや形態というだけでなく……。

奥井 運行も気になるし、車両も気になる。

―井笠には松阪から車両は行ってませんが、そういうつながりで関心がおありになって行かれたわけですね。それにしても、ここは独特ですよね。

奥井 まあ、行けてよかったです。後の予定があったので1往復しか出来なかったですけどね。

―その分、車内から撮られておられますが、(見ていますと)構内の線路の付け方が変わっていますね。

奥井 独特の癖のある線路配置でしたね。

―何で並行にしないで、枝葉を広げたような配置にしたんでしょう。

奥井 結局、旅客と貨物を駅員が扱わないといけないから、ああいう方式にしたんでしょうね。次の機関車が来た時に入換えかなんかして、うまいことまとめていったんではないかという気がします。

―敷地の取り方が割と自由にできたんでしょうか。並行に配置してしまうと構内が狭くなって、荷物の積み下ろしとか人の動きが制限されてしまうから。

奥井 ゆったりと取ってありましたね。ひょっとすると、改軌するつもりがあったんじゃないかな。各社の(考え方が)あるけれど。

―終着駅(井原駅)の上はボーリング場でしたね。

奥井 あれにはビックリしました。

―時代的には1970年の撮影でボーリングブームの初期、都会ではあちこちにボーリング場ができた頃にいち早く駅の上で、ということは直営だったんでしょうか。

奥井 よっぽど土地にゆとりを持った会社だったんでしょうね。

―そうなんでしょうね。構内が広いですからね。しかし、井笠鉄道は会社を清算してしまうらしいです。運営しているバスも急に廃止になるほど資金繰りの悪くなったとか。

奥井 あー、そうですか。

―ここも土電の安芸線もそうですけど、路線がなくなって代わりに国鉄が路線の建設工事を行い、それも国鉄改革によって凍結され、やっと鉄道が復活するまでなかなか時間がかかったという場所ですね。建設中の井原線の盛土が映っています。

奥井 まるで新幹線と一緒ですね。

―なんか、想うところがありますね、経過を見ていると。車両や線路と違うところで、歴史は繰り返すというか、感慨深いものがあります。この後、同じ日に移動して、下津井(電鉄)にいらっしゃったんですね。

奥井 あのあとどうしたらええんやろ、と考えて。

―西大寺鉄道はもうなかった時代で井笠と下電は近年までありましたが、一気に同じ日に岡山県のナローを二つ、行かれたわけですね。でも、下津井は見る見るうちに日が暮れて児島で時間切れになってしまった。あの続きが見たいところなんですが、茶屋町から児島までが先に廃止になったのと、茶屋町も高架になって全然変わってしまっているので、ああこうだったんだ、みたいな感じで、当時が偲ばれますね。しかし、日没は悔しかったのでは?

奥井 あれは悔しいですよ。しかし、あれが精いっぱいやったね。

           

―次に海を渡って、高松のフィルムが出てきます。

奥井 高松も乗りに行きたかったんですが、夕方に着いているんですね。

―そうですね、長尾線で長尾について日没ですね。ということは、高松築港から乗って、途中瓦町で撮影して、そのまま長尾線に乗って移動して終わり、ですか。

奥井 そういうことやね。

―琴平には行かれていないので、600Vの長尾線の旧阪神車両が目的だったんですか。

奥井 まあ、言えばそうやね。まずはあそこを片付けておこう、この車が(廃車が近くて)一番危なそうという、という気がしたんで。あそこ(長尾線)で阪神を撮っている人が少ないからですね。

30形ですか、かなり特殊な面長のデザインで……。

奥井 そうですね。阪神さんそのものですね。

―阪神の電車(小型車)って、一言でどうなんでしょうか。

奥井 阪神の電車は、僕らにとって、近鉄を見ているから(阪神は)小さな電車という気がしますわな。車体幅も狭いし。元々は路面にも対応していた車両でしょ。

―これは昭和16年ですね。

奥井 割と新しいんだな。

―元々本線用の電車だったんです。

奥井 ここ(松阪)は(近鉄の)2200の土地柄やしな(笑)。

―貫通扉が印象的ですね。

奥井 それと正面のカーブがね。いい電車でしたよ。

   

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