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奥井宗夫のむねのおく 2-9

「よみがえる総天然色の列車たち第2章9国鉄ディーゼル篇<後篇>」のむねのおく



―<後篇>ではキハ81の引退に続いてキハ82の「南紀」が登場するという時代になるんですが。

奥井 それすらもう見られないんですからね。

―でもキハ82が好きという人も。

奥井 多いですね。あれはひとつの原点なんでしょうね。私も「かもめ」なんかを見る事ができて良かったです。

―<前篇>のセノハチのやつですね。

奥井 北陸本線の12連も撮りました。

―「白鳥」ですね。食堂車が2両付ている。

奥井 豪華絢爛でした。

―キハ81の「くろしお」にしても10連で食堂車が付いて、7連になってもまだ食堂車があって。

奥井 良かったですよ。でも割に乗る機会がなかったな。でも乗ったら私は食堂車に行く方ですから。新幹線の2階建ての食堂車が懐かしい! ああいうのが本当の贅沢と言うんだろうなぁ。あれも良かったですねぇ。

―今や食堂車と言うと、定期列車で「北斗星」が唯一ですね。フィルムには今とは違う時代の在来線の特急が焼き付けられているわけですが、それが「南紀」になると食堂車がなくなって、スポンと萎んでしまったみたいになるんですが、それでも写っているものがキハ82で、しかも絵入りのヘッドマークのない時代です。またその一方でキハ40なんかも現れました。

奥井 キハ40の登場であきらめのような気持ちも湧いたんですが、記録は記録だと思って、撮れるものは全部撮りました。

―そういう意味では時代の移り変わりというものがしっかり焼き付けられているように思いました。

奥井 そうでうね。名松線も今思うとあれだけでも本当に撮っておいて良かったと思います。

―何とも味わいのある映像で、一段と自然も豊かで。水も奇麗ですし。しかしそこを走る車両がだんだんと首都圏色になっていくんですね。

奥井 そうそうそうそう、あれは寂しかったけど仕方ないですよ。

―しかし今思えば、今はなき車両が首都圏色になった姿も見られて、これはこれで貴重です。

奥井 好みもありますけどね。

―あと貨物の方でも大物車や長物車が。

奥井 もうちょっと真面目に撮るべきだったかなと思う所もあるんですが、あれだけ撮れたという事は幸せでしたね。

―大物車だけでも相当な分量のフィルムが残ってましたからね。よくよく見ていると微妙に形が違っていて、私も勉強不足でした。

奥井 こちらこそ。でも近年は四日市港に入るケースが多いですね。

―この間「近鉄プロファイル」の撮影で末広鉄橋に行ってきたんですが、よろしいですね!

奥井 あれいいですね! このごろは息子らがよく行くんですよ。

―あと<後篇>で面白かったのがF6形。あんなことするんですね。

奥井 わざわざ事前に置きに来て取り替えて帰るんです。あれは工場で検査を終えたやつを持って来たところです。

―あのタイプは南阿蘇鉄道でトロッコ列車に使っていたやつですね。近年門司港レトロ観光線の「潮風号」として活躍しています。

奥井 屋根が斜めになっているのは、あれで車両限界に合わせていますから。

―貨車に積まれて走って行く所を見たら、有蓋貨車とすごく揃っているんですね。車両限界に合わせてRが付けられているのがよくわかります。

奥井 あれをまともに撮っている人は少ないと思いますよ(笑)。

―あと<後篇>にはお召しも収録されています。

奥井 このごろは近鉄で行きますからね。

―お召しを1本走らせるためにどれだけ下準備をしているかというのがつぶさに撮られています。本番の映像はよくあっても、これ一体、前から何回撮られてるんですかと言うくらい、準備から撮影されていますね。

奥井 初期はもっと3軸車がごろごろおったんです。それを見るのが楽しみでね。でも末期になるほど単調になっていきました。

―お召しは言わば究極の臨時列車ですが、スロ62・スロフ62をはじめ数々の団体専用車両も出てきます。旧客で全車に緑の帯が入って、それで長い編成を連ねて壮観でした。

奥井 地方の線としては、あれだけ入って来てくれるのでありがたかったですね。やっぱりお伊勢様々でした(笑)。

―そして「ジョイフルトレイン」のはしりの時期になって、12系の改造車、14系の改造車、20系の改造車などが出てきました。

奥井 しょっちゅう入って来てましたからね。ありがたい事でした。

―最初に見た時は驚きませんでしたか。

奥井 噂はある程度聞いていましたし、音でもわかりました。判らなかったのは編成の長さだけです。

―それから日立の「ポンパ号」。私はキドカラーの飛行船が家の真上を飛んで行くのを見たことがあるんですが、あの頃ですよね。今となっては信じられないようなキャンペーンを展開していたんですね。

奥井 あれ良かったですね。

―あれは狙ってあそこの鉄橋(栃原−佐奈間の濁川橋梁)まで撮りに行かれてたんですか?

奥井 はい。あれは初めから「ポンパ」が来るというのが分ってましたから、あそこまで走りました。ここら辺で撮ると人、人、人で何とも仕方がないという気がしましたからね。

―当時から撮影をしに人が集まって来てたんですか?

奥井 集まっていました。やっぱりいい所は場所の取り合いですよ。尤もあとの方になると場所を空けてくれることもありましたが。

―「あ、奥井さん来たぞ!」と?

奥井 一番最後に行って「えっ!」となった時に「どうぞどうぞ」と空けてくれて恐縮したこともしょっちゅうでしたから。

―確かにDF50の最終日とか、ディーゼルの「くろしお」の最終日とか映像を見ていると結構集まっていますよね。

奥井 集まっています。

―あれはSLブームからファンが残って他へシフトして行ったんですか。

奥井 そうです。そして皆がカメラを買う時代になってきてましたからね。「私にも写せます」という時代でしたから。

―ジョイフルトレインの中でも私はあの美しい20系(ホリデーパル)が出てきますが、ちょっと後になると塗り替えられて変な色になっているんですけれど、これはオリジナルのままの頃で。

奥井 私のフィルム時代の最後の頃です。後にDVで撮った頃には色が変わっていました。

―そのように色々と変化していって、旧客に代って50系が登場したりする時代になりますね。

奥井 50系というと、みんなほんと嫌ってましたからね。撮りに行かなかったですよ。

―そうでしょうね。勿論これも収録されているのですが、今となったらですね、この50系も!

奥井 そうですね。撮っておいて良かったです。

―客車列車という存在そのものがなくなってきました。

奥井 そうですね。こんなに早くなくなるとは思わなかった。

―色々となくなったものが写っていますね。腕木式信号機にしろタブレットにしろ。

奥井 懐かしいと思います。さりとて当時は残せとも言えませんもん(笑)。

―結果的にこれらと前後して国鉄そのものがなくなっていくという、そういう時代でしたね。

奥井 いい時代に鉄道趣味をさせてもらったという事です!

                             <了>


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