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私と小型映画

奥井宗夫

奥井宗夫(おくいむねお)氏 略歴

三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。1959(昭和34)年に23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮影したカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。


奥井宗夫インタビュー『よみがえる総天然色の列車たち第3章1国鉄篇<前編>』のむねのおく」へ

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奥井宗夫インタビュー『よみがえる総天然色の列車たち第2章6名鉄篇』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章7国鉄ディーゼル篇<前篇>』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章8国鉄ディーゼル篇<中篇>』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章9国鉄ディーゼル篇<後篇>』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章10ローカル私鉄・東日本篇』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章11ローカル私鉄・中日本篇』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー『よみがえる総天然色の列車たち第2章12ローカル私鉄・西日本篇』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー『よみがえる総天然色の列車たち第2章13近鉄篇1』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章14近鉄篇2』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章15近鉄篇3』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章16近鉄篇4』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章17近鉄篇5』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章18路面電車篇<前篇>』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章19路面電車篇<後篇>』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章20蒸気機関車篇<前篇>』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章21蒸気機関車篇<中篇>』のむねのおく」へ

奥井宗夫インタビュー「『よみがえる総天然色の列車たち第2章22蒸気機関車篇<篇>』のむねのおく」へ



 私は現在、9ミリゲージの模型をしばらく休んで、8ミリ映画の方に熱中している。そのためにかなり他の方はおろそかになる。スチール写真もそうだし、記念乗車券は足を洗ったし、切符、切手に至るまでほとんど休止の状態である。

初めて映画を撮ったのは昭和33年からだが、鉄道はあまり撮らなかった。原因は初期のテストフィルムであまりにも横から撮したためにチラチラと走る列車が気に入らなく、山行記録が中心でした。

8ミリのシャッターは円盤の回転と開度で決まり、当然毎秒16コマ開度調節ナシでは鉄道はどうしても無理と思ったからである。

当時はダブルラン(16ミリ巾フィルムを片側半分撮して途中で反転して片側を撮り現像所で半分に裁ちつなぎ合せた)方式で最初はカメラ店の借物のエルモ8Aというゼンマイ式の機械、ところがレンズがニッコールのf1.8、13ミリというとても良く写るので感心してしまった。

でも或る日、C51225がオールダブルルーフのオハ31系の列車が近づいてきてゼンマイを巻き忘れて逃がしてしまった苦い失敗から電動式のキャノン8EEEというEE式の撮影機を初めて購入しました。

これはレンズもズームで露出もEE、お天気を見ながら絞りのリングを回さずになりとても助かりました。古いものを一生懸命使っていただけに感激もしました。

これで関門の旅(∗1)や静岡鉄道の森町線や駿遠線(∗2)へ行くことが出来たのです。しかしこのカメラも永く使うこともなくなってしまいました。技術の進歩なのでどうしようもありませんが、「私にも写せます!!」の一語で代表される、マガジンポンの時代になってしまいました。シングル・スーパー時代になってしまったのです。

まず画面が50%大きくなったのです。当然これまでのレギュラーサイズ(ダブルサイズ)より画面は美しくなるのは当り前。しかもサウンドに対するサウンド帯も更に磁気を塗り、片側に負担のかからぬようバランス帯も考えてあります。カメラの技術誌を見てからしばらくは様子を見ていましたが、発色や退色のことも考えスーパーを採りました。

そして撮影機は最初から憧れたニコンスーパー8を購入しました。f1.8、5倍ズームよりニッコールレンズへの信頼と24コマのスピードがあったからです。

8ミリは18コマが標準になりましたがサウンドにするのには24コマと決定したからです。しかし24コマで撮影すれば画面のチラツキは減少しますがフィルム代はかなり高くなります。一本50ft(15m)フィルムで18コマなら3分40秒、24コマなら2分40秒くらいしか持ちません。雑誌をかたっぱしから拾い読み、種々の条件を検討しました。丁度この頃に松阪レールクラブが発足したのです。そして無理は覚悟で鉄道24コマ、マイホームは18コマと決定しました。

このあたり皆それぞれ迷うようで18コマオンリーの人やSLは大切だから24コマ、市電は遅いので18コマとそれぞれあるようです。

第1回の遠征は大型SLを訪ねての御殿場線のD52と平のC62・61・60を見に前田氏、清水君と出発した(∗3)

               

第2回は秋の米原へD50(∗3)を見に前田氏の運転でマイカー撮影に出かけた。……

私のフィルムは大体200ftリールにまとめてゆく。約10分でそれ以上長くまとめない。足りないのは100ft、更に小さく帰ってきたままの50ft、不足のところには適当なものを足しておく、秋の米原も不足だから富山区の9600を足す、といった調子である。長ければ2つに分けるがこれはほとんどない。理由は予算がないことが第一原因であるが、他テレビのコマーシャルからコマーシャルの一区間的な気持ちもあり。下手な映画は短いのに限る。と同時に一時はやされた自動映写を配慮していたからである。50、100、200、400ftの特別なカセットに入れるとリーダーを引出してほとんど全部映写機がやってのける方式である。

特にここに書くまでもないが映写機だけはかなり外国製が進んでいるような気がしてならない。欧米の機械が気になってしかたがない。

最近日本ではテープレコーダー同調のパルス信号を入れてテープレコーダーと併用してゆくシステムが発売されているようだが、映写機とテレコは面倒でかなわないだろうと思う。やはり磁気でフィルムに入れることが理想だと考えられるが、パルス式なら18コマでも充分だし難しい問題だ。

これらのことからも、私はサウンドに対してはかなり気にして早くからテレコのカタログも取りよせて研究はしているのだが、予算の点でまだ全くの白紙である。

本当はフィルムのバランス帯にも音を入れ2chステレオサウンドの8ミリが目標なのだけど、そのように映写機が進むにはまだ5年くらいかかるのであろう。

しかし困るのはサウンドコレクションで、私のムービーの中にもぼつぼつ消えてゆくものがあり、何とか考えなくてはいけないようである。

さて映画に話をもどそう。あれから5年以上の年月が過ぎてしまった。蒸機ブームも異常ではあったがすでに10本以上のフィルムになり嫌気がさし今はどちらかと言えば私鉄が気になりED級の電機が一番気になった。そして5月に関東の秩父、西武のデキを見にゆき(∗4)、8月の末、なつかしの近江のED14(∗2)と米原のDD50を目的に米原に行ったのである。

米原のDD50はすでに一休となり全車雨ざらしとなっていた。交直接続区間の田村までの短い間なのだけど私の見たE10からD50、D51からED30更にDD50、今DE11にバトンを渡してしまっている。とってもがっかりしてしまった。近江の電機も東武のE4001が増えていたがED31がたくさん休んでいた。前に立ち寄った時にはフィルムがなく撮れなかったからである。しかし思ったほど撮らずに大阪セメントの電機とまぼろし(=蒸気機関車の廃車体)見に彦根を後にしてしまった。

私のフィルムは紀行的でほとんどカットしない。予算のせいもあるのだがSLのフィルムにもDCやECがどんどん出てくる。私の欠点でもあるだろう。国鉄のELにも興味があるがとてもそこまではゆかない。でも電車あり、市電あり、ナローあり、30本に近くになり時々切ったり継いだり好きなように楽しんでいる。

(松阪レールクラブ会報「Rail Mates」10号<昭和47年10月発行>より転載)

(∗1)「よみがえる総天然色の列車たち第2章1国鉄電気機関車篇 奥井宗夫8ミリフィルム作品集」に収録。

(∗2)「よみがえる総天然色の列車たち第2章 ローカル私鉄篇 奥井宗夫8ミリフィルム作品集」に収録予定。

(∗3)「よみがえる総天然色の列車たち第2章 蒸気機関車篇 奥井宗夫8ミリフィルム作品集」に収録予定。

(∗4)「よみがえる総天然色の列車たち第2章 関東私鉄篇 奥井宗夫8ミリフィルム作品集」に収録予定。

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奥井宗夫さんの息子・奥井淳司さんのHP「鉄道CAD製作所」